フィギュア・チョコレート
「ふぃぎゅあのチョコレートかけにしようと思うの」
幼さが残る少女の声が、昼下がりの台所に響いた。
「……フィギュア??」
「うん、ふぃぎゅあ」
<手作りチョコレート用>と名付けられた厚いチョコレートをテーブルの上へと乗せながら、問われた少女が嬉しそうにほほえむ。
「ふぎゅあにチョコレートをかけるの!!」
その発音はいかにも使い慣れてないといった感じで、聞きかじっただけの意見なのは丸わかりだった。
はぁ……、と小さなため息をついた同い年の少女――美樹が、残念な物を見るような冷たい目で、その笑顔を流し見る。
「もう一回聞いていい?
「えと、えと……、ふぃぎゅあのチョコレートかけ……」
一瞬にしておどおどし始めた京子が、消え入りそうな声で言葉を紡ぐ。
「あのね、あのね……。こう君って、この子が好きなんだって。
だからこの子をにょたいもりにしたら喜んでくれるんだって……」
ポケットから出てきたのは、1体のフィギュア。
人気アニメのヒロインの人形だった。
「……女体盛りねぇ。……いったい誰に聞いたのよ?」
「斉藤くん……」
「あー、あの馬鹿ね……」
思わず目頭を押さえた美樹が、大きく頭を振る。
「京子。悪いことは言わないから、斉藤の言うことは聞かない方がいいわよ」
「え?? どうして?」
「あいつ、馬鹿だから」
クラスメートを問答無用で切り捨てた美樹が、京子の小さな手に握られたフィギュアへと視線を送った。
水着のような姿で剣を握る少女が、聖女のような優しい顔で微笑んでおり、その豊かな胸がなんとも妬ましい。
「それと、そのフィギュアをベースにしちゃダメよ?」
「ふぇ? そっちもダメなの!?」
「当たり前じゃない!! いい? その女は敵なのよ??
その女から公平を奪わなきゃいけないの。戦うのよ、京子!!」
グッと握りしめた拳を天井に向かって突き上げた美樹が、好戦的な微笑みを浮かべる。
そんな美樹に惹かれるように、京子の瞳にも戦意が浮かんだ。
「……そっか。……そうだよね。
それじゃぁ、どうしよう……。どうやって戦ったらいいかな……」
少しだけ伏し目がちになった京子が、頬に人差し指を当てて、思考の世界へと入っていく。
どうやって自分をアピールしたら良いのだろう?
どうやってこの気持を伝えたら良いんだろう?
そんな思考のもと、ふとあるアイディアが浮かんできた。
「わたしのにょたいもりにする??」
フィギュアがダメなら、私がやればいいじゃない。
そんな思考から紡がれた言葉に、台所の空気が凍りつく。
一瞬の後に顔を真っ赤に染めた美樹が、京子の両肩をぐっと掴み、キラキラとした瞳を真っすぐに見つめる。
「バカっ、女の子は体を大切にしなきゃダメって保険の授業で習ったでしょ!!
そんなことしたら火傷しちゃうじゃない!!」
息が届くほど近くなった美樹の顔は、どこまでも真剣だった。
「そっか……。うーん。どうしたらいいかな?」
「そうね…………」
細かく割り終わった板チョコが入ったボールを前に、2人のうなり声が混ざり合う。
そして、幾ばくかの沈黙を挟んで、美樹がポンっと手を合わせた。
「私を食べてってことで、チョコレートで京子のフィギュアを作ったらいいのよ!!」
瞳をランランと輝かせる美樹は、どこまでも本気の顔をしていた。
「わたしのふゅぎゅあ??」
コテンと首をかしげた京子が不思議そうに聞き返してみても、美樹が放つ目の輝きが収まる事はない。
「そう、京子のフィギュア!!
京子の可愛さを全面に押し出したチョコレートを作るの!!」
フィギュア、わたしのフィギュアと、何度も同じ言葉を口の中で繰り返し呟いた京子が、嬉しそうに顔を上げた。
「おぉー、なんかカッコイイね!!」
満更でもないらしい。
だが、そんなウキウキとした表情も、長くは続かなかった。
「……でも、むつかしくない?? 時間、あんまりないよ?」
バレンタインまで残り1周間。
暗くなる前に家へと帰らなければ、お母さんに怒られてしまうため、彼女達が自由に使える時間は多くない。
「うーん。それもそうね……」
いい案だと思ったんだけどなぁ、などと口の中でぼやいた美樹が、う~ん、う~ん、と首を傾げた。
そして、再びポンと手を叩き、まっすぐに京子の目を見つめ直す。
「それじゃぁ、作るのはおっぱいだけね!!
男の子って、おっぱいが好きだって聞くし!!」
これ以上の名案はないとばかりに、キラキラと目を輝かせた。
「おっぱいだけ……、うん。それなら間に合うかも……」
詳しい作業工程はわかないが、全身を作るよりは簡単だろう。
おっぱいなら、こう君も喜んでくれる気がする。
そう思えた。
「おっけー、そうと決まればさっそく行動開始ね!!」
こうして、『おっぱいチョコで彼のハートを射止めよう作戦』が発動させることになった。
良くも悪くも、彼女達の暴走を止める者は誰もいない。
「……私のおっぱいかぁ」
京子がふと視線を真下へと落せば、そこに見えるのは、主張の少ない自分の体。
ほんの少しだけ膨らんできた胸に手を当ててみる。
服の上から少しだけもんでみる。
「か、形はいいよね??
それに、それに、最近はちょっとだけおっきくなって……、きたんだよ!?」
目を合わせようとしない京子の肩に、美樹の手がやさしく添えられた。
「大丈夫よ!! あたし達には将来性があるわ!!」
「……うん。夢はおっきく」
机の上に置かれたフィギュアを見ないようにしながら、チョコレートを溶かし始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「かたいね……。わたしのおっぱいは、もっと柔らかいよ?」
「ん~、生チョコにしたらいいんじゃないかな?」
「うん。そうしてみる!!」
初号機は柔らかさが足りなかった。
「形が悪い……。私のおっぱいは綺麗なお椀型だもん!!」
「それにちょっと柔らかすぎたよね。内部を普通のチョコにして、その回りを生チョコにしたら、近いと思わない??」
「うーん、そうかも」
二号機は形が悪く、柔らかすぎた。
「表面がデコボコしてる。私のはなめらかだもん!!」
「ココアパウダーでお化粧してみる?」
三号機からは、見た目の改良も施していった。
「小さくない?? 私のはもっと……」
「ん? このくらいじゃない?」
「……もっとあるもん」
「うん、そうだね。あるよね」
改良に改良を重ねて、将来性も加味されたおっぱいが作り上げられていく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「できたーーーー!!」
結局、納得のいくチョコレートが仕上がったのは、バレンタイン当日の放課後のこと。
本当にぎりぎりまで微調整が加えられた<京子のおっぱいチョコレート>は、見るからになめらかで、柔らかそうな感じだった。
本物と比較すれば、少々……いや、かなり巨乳に仕上げられているものの、その肌の質感や形、手で触った時の柔らかさなどは、京子のおっぱいが忠実に再現されていた。
「あっ……」
ふと、時計に目を向ければ、秒針は17時を少しだけ過ぎたところ。
30分になれば、美樹が公平を教室に引っ張って来てくれることになっていた。
「急がなきゃ」
実物の3倍くらいの大きさになった手作りチョコを自転車に積み込み、学校へと急いだ。
チョコが壊れないように、段差には極限の注意を払う。
校門の前に自転車をたてかけ、チョコレートが入った箱を両手で抱えて、教室へと走った。
髪型の乱れを気にしながらドア越しに内部をのぞき込めば、部活の練習着を身に着けた公平が、美樹と楽しそうに談笑している。
2人以外に人影はない。
どうやらうまく公平だけを引っ張ってきてくれたようだ。
(ありがとう、美樹)
感謝の言葉とともに緊張を飲み込んだ京子が、つま先で扉を開けた。
乙女としては少々はしたなく感じたものの、両手がふさがっているのだから仕方が無い。
ガラガラガラ、と音が鳴り、お邪魔虫は消えますね、とばかりに美樹が廊下へと去って行く。
すれ違いざまに、『私のおっぱい、おいしい? って、ちゃんと聞いてくるのよ?』と励ましてくれる美樹にうなずき返しながら、公平が待つ教室へと入っていった。
「……ごめんね。……呼び出しちゃって」
「いや、いいよ。大丈夫」
待ち構えていた公平は、どことなく緊張しているように見えた。
今日は2月14日のバレンタインデー。
呼び出された理由など、考えなくてもわかる。
「こ、これ。もらって、くれないかな?」
「お、おう……。って、でかいな」
抱きかかえるほどの大きさに目を丸くして驚いたものの、すぐに表情を引き締めた公平が、チョコレートが入った箱を嬉しそうに受け取ってくれた。
「こう君、おっきいほうが、好きかなー、って……、おもって……」
そう、大きくしたのは、決して見栄を張ったわけではない。
公平のためを思う、愛の大きさなのだ。
恥ずかしそうにもじもじと髪をいじる京子を尻目に、綺麗にラッピングされた大きな箱が、机の上へと置かれた。
「あけてもいいか?」
「(コクコクコクコク)」
無言でうなずいた京子の前で、縛ってあったリボンが解かれ、包装紙が剥がされていく。
そして、ゆっくりと周囲を覆っていた箱が取り除かれ、魂を込めたおっぱいが公平の目にさらされた。
(こう君に見られてる……。わたしのおっぱいが、こう君に……)
どこか恍惚とした表情を浮かべる京子が、はふっ、と吐息をはき出せば、目を輝かせた公平が、京子のおっぱいチョコへと顔を近づける。
そして、下から上まで舐めるように見つめた公平が、嬉しそうな声を張り上げた。
「すげーーー!! スライムじゃんかっ!!!!
なに、おまえも竜クエスト好きなのか!?」
机の周囲をくるくると回り、まじまじと眺める公平の目に映るのは、やわらかそうなお椀型のチョコレートが2つ。
毎日のようにやりこんでいるゲームのモンスターに酷似していた。
「さすが京子だなー。すっげー大変だったんじゃないのか? スライム作るの」
「え? ……あっ、えっと、……それ、おっぱ……、えとえと……。
……うんうん、楽しかったから、大変じゃなかったよ」
もごもごと口を動かす京子を尻目に、浩介が手作りチョコへと手を伸ばす。
「あっ……」
「すっげー、やわらかい、まじスライムみてぇ!!
これ食っていいの??」
「う、うん。食べてくれる?」
「もちろんっ!! いっただっきまーす!!」
つながった部分をパキっと折った公平が、なめらかな側面にかぶりつく。
(あぁ……、わたしの谷間が……)
「んふぉーー、んふめぇーー」
ココアパウダーで口元を汚した公平が、口いっぱいに広がった幸せをかみしめた。
「ど、どう。かな??」
そのままの勢いで2口、3口と食べ進めた公平が、満足そうにうなずく。
「すっげーうまいよ!! サンキューなっ!!」
そう行って公平が笑ってくれた。
だが、そんな彼の表情も時間とともに影がさす。
1口、2口、3口と食べ進めるにつれて、明らかに進み具合が悪くなっていった。
「……おいしい?」
「あっ、あぁ、……すっげーうまいよ」
「……うん、それなら良いの。ありがとう」
美味しいという言葉に嘘は無さそうだが、どこか無理をしている気がする。
(なんだろう? どこかダメだったのかな?)
締め付けられるような胸の痛みを感じながら公平の様子を伺えば、どことなく胃の辺りを気にしているような気がした。
そして、片方だけに成ってしまった<おっぱいチョコ>を眺めた公平が、ふと壁に掛かる時計を流し見る。
「……あー、ここで全部食べるには、ちょっと多いかな。
のこりは、持って帰っていいか?」
「あっ、……うん」
どこかほっとした空気を滲み出しながら、公平が席を立つ。
「すげーうまかったよ。それじゃぁなー」
1匹のスライムが入った箱を大事そうに抱えた公平が、嬉しそうに教室を出て行った。
ひとり残された京子に、物陰から出てきた美樹が静かに寄り添う。
「どう、だった?」
恐る恐るといった感じで質問を投げかけてくる美樹に向けて、儚げな表情を浮かべた京子が、消え入りそうな声を絞り出す。
「うまく話せなかった。
わたしのおっぱいだって、わかって貰えなかった……」
「そっか……」
「見栄を張っておっきくしちゃったから、神様に怒られたのかな……」
目を合わすことなく静かに呟いた美樹が、星空に変わりつつある空を仰ぎ見た。
今夜くらいは、帰るのが遅くなってもお母さんは許してくれると思う。
そう思いたかった。
2人の間に冷たい風が吹きつけ、カチカチという時計の音だけが教室を支配する。
――だがそれもほんの少しだけのこと。
「それじゃぁ、次はホワイトデーにリベンジねっ!!」
腰掛けていた机を飛び降りた美樹が、グッと握りしめた拳を天井に向けて、高らかと掲げてみせた。
「ふぇ? ホワイトデー??」
「そうよ。今度は京子のおっぱいクッキーを焼くのよ!!
今度は測定値そのままで作れば大丈夫ね!!」
目を丸くする京子を振り返りながら、美樹が微笑んだ。
「そのまま……。うん、そうだね。こう君のために、わたし頑張る!!
……けど、ホワイトデーってチョコレートを貰った子がお返しをする日でしょ?」
「そうよ。京子はチョコをもらって
「そっか!! うん、そうだね!!
わたし、今度こそ、こう君にわたしのおっぱいを食べて貰う!!」
「よしっ、もちろんあたしも手伝うわ!! 一緒に頑張るわよ!!」
「うんっ!!」
2つの拳が天へと突き上げられた。
彼女達の戦いはまだまだ続く。彼の心をつかむ、その日まで。