21話 躊躇のおやすみ
「ちょっと、待って! おにいちゃん!?」
友の提案に過敏に反応した桜が、慌てた声を上げる。
走り、そして跳躍し、体当たりもかくやという勢いで友に突撃してきた。
「ど、どうした桜さんや。寝るときの下着着用有無については、もういいのか」
「うん、ナイトブラというか育乳ブラの購入を至急検討すべきって思ったけど、そうじゃなくて」
ルフィーとの議論は一段落付いたらしい。
また購入物が増えるのか、と友は家計について頭の中で算出を始める。
しかし計算は止められる。
桜が友の両頬を摘まんだからだ。
「ディーネちゃんと寝ると聞こえました」
桜の丁寧な口調が逆に恐怖を増長させる。
笑顔の形であるが、何一つ好意的な印象を受けなかった。
「そうですね。そう結論づけました」
桜が敬語で話し始めたため、友も合わせて敬語で返す。
お互いに感情を押し隠す目的の敬語である。
桜は怒りやら何やらの感情を、友は単なる怯えと戸惑いといった感情を隠す。
どう考えても隠し切れていないが、それでも極力隠そうと努力した。
「こんな美少女と一緒に寝て、何をするつもりなのですか?」
「何もしないですよ。ええ。する訳がございません」
「おにいちゃんが、ロリコンな人とは思いませんでした」
「おやおや、何を仰いますか。何を理由にそう判断されたのでしょうか」
「……だって、ディーネちゃん。小さいじゃん。色々」
桜が茶番から先に降りた。
そして何か拗ね始める。
茶番が過ぎたかと友が反省する脇で、ルフィーが首を突っ込んだ。
「胸だったら、さほどサクラと変わんないわよね」
「……わたしの方が育ってるもん」
ルフィーの言う通り、桜に比べてディーネの諸々は僅かに足りないくらいだった。
だからと言ってどうだという訳はない。
下がっていた視線を戻した友は、未だに友の頬を掴む桜の手を握る。
「おにいちゃん?」
「桜も昔そうだったろう? 怖い思いしたら、寝るとき不安だって」
「……そうだけどさ」
「それで安心できるなら、そっちの方が良いだろうて」
「……でも」
桜は俯く。握られている友の手を握り返した。友の指をぐりぐりと押している。
嫌だけど、否定はできない。しかし嫌だ。
そう言っているような態度に、友は溜息を吐く。
どうしたものかと、友はルフィーを見る。
ルフィーを見ると、腕を組んで考え込んでいるようだった。
(そういえば、風呂のときも似たような)
友は嫌な予感を覚えつつ、ルフィーに視線を送り続けると顔を上げる。
ルフィーは友を見て、にやりと笑った。
嫌な予感しかしない。厳密に言うと嫌ではないが、あまり良くない予感だ。
友は眉間に皺を深く刻みながら、ルフィーの言葉を待った。
「じゃあ、サクラ。あんたも一緒に寝ればいいじゃない?」
友は予測通りの回答に、首をがっくりと落とす。
消沈する友を余所に会話は進んでいった。
「だって、ディーネは怖がって独りでは寝れない。誰かと一緒だと安心する」
「……なるほど、なら一人より二人の方がより安心だよね。うん。なるほど」
桜が納得を始めた。
気落ちしていた顔が明るくなっていく。
桜はディーネに顔を向けた。
「ねえ、ディーネちゃん、わたしも一緒に寝てもいい?」
「あ、はい。サクラちゃんも一緒だと、嬉しい、です」
ディーネの許可も取り付けた。
友の意思が入らないまま、事態が進む。
もっとも、友の意思を確認されたとしても、
「おにいちゃん……、いや?」
友に断れる訳がなかった。
桜が楽しそうにしているのに、無碍にできるほど冷酷ではない。
「じゃあ、決まりね?」
ルフィーが友の肩をぽんと叩くと、そのまま窓へと向かってふよふよと飛んでいく。
友は当然のことと思いながら目で追うが、桜が驚いたように声をあげる。
「ルフィー? ルフィーも一緒に寝るんじゃないの?」
「あたしはいいや。そもそも精霊は寝なくても平気だし」
「そうなの?」
「そうよー。受肉してれば寝ることもできるけど、それだけ。朝までの時間つぶしみたいなもんよ」
ルフィーは笑いながら、窓を開けて、桟に脚を掛ける。
そして指を鳴らした。
一瞬で服が、昼間の戦いのときと同じようなガウンのワンピースに変わる。
ルフィーの足下にあった、影が消える。
受肉を解き、精霊化したのだろう。
桜と友以外、姿は見えない状態だ。
友はルフィーに向けて笑いかける。
「また、外に行くの?」
「そうよ。外で風と一緒に漂ってるわよ」
友はルフィーが夜間、外にいる理由を知っている。
睡眠を必要としない精霊と違い、『
暴走精霊が何時現れ、襲いかかられるかわからない。
睡眠時の無防備な状態で、
そのため、ルフィーは夜の間、周囲を警戒してくれている。
「あんたたちの邪魔しちゃ悪いじゃない? 夜は何をしてても大丈夫よ? 気にしないで」
ルフィーは冗談みたいに嘯いて、桜に向けて片目を閉じた。
苦労を悟らせないためとは言え、もう少し発言内容に気をつけて欲しかった。
現に、桜は顔を赤くして俯いていた。
「じゃあ、あたしは行くから。おやすみー」
ルフィーはケタケタ笑いながら、窓から外へと飛び立った。
友はふうと溜息を吐くと、窓に足を向ける。
外に目をやると、ルフィーが空中を泳ぐように飛んでいた。
笑いながら友に向けて親指を立てた拳を見せている。
友は肩を竦めて、窓を閉める。
続いてカーテンを閉めて振り向く。
ベッドの上には、にこにこと笑うディーネと、
今更ながら恥ずかしそうに、もじもじし始める桜の姿があった。
ここまで事態が進んだ以上、最早やっぱりやめたと言え出せないだろう。
(さあ、覚悟を決めるか)
友は苦笑と共に覚悟を完了すると、部屋の照明のリモコンを手に取る。
そのままベッドに移動を始め、桜の横に座る。
「ね、寝るぞ。明日休みじゃないんだし」
友は時計を見る。
既に22時を回っていた。
友は別にまだ起きていても平気だが、桜もディーネも寝た方が良い。
掛け布団を捲り、桜とディーネに寝るように促す。
ディーネは素直に布団に潜り込んだ。
そして桜が残った。
どうやら、いざ寝る段階になり躊躇いが生まれたらしい。
止めるならば、この機を逃してはならない。
友は、頬を掻きながら桜に訊ねる。
「ど、どうする?」
桜は一度布団に入り込んだディーネを見る。
そして友をじっと見た。
「……ね、寝るよ。うん。おにいちゃんを監視しないと」
「監視って」
「ほら、早く。布団入って」
桜に押されるように、友は布団に押し込まれる。
気付けば友を挟んで、左にディーネ、右に桜が眠る姿勢となった。
(監視するんじゃないのか、桜が真ん中になればいいじゃない)
友は釈然としないまま、ディーネに枕を渡す。
枕は一つしかない。
「桜、枕……」
桜に部屋から枕を持ってこいと告げようとしたが、阻まれる。
腕を掴まれて、そのまま桜の頭が載る。
「桜さん?」
「……寝るんなら、桜はおにいちゃんの腕で大丈夫だよ」
友を見上げながら呟く桜をじっと見て、友は溜息を吐く。
「俺の枕は、いや、まあいいけど」
友は頭を掻いたあと、照明を消す。
暗くなった室内で、友はディーネに声を掛ける。
「なにかあったら、直ぐ言ってね。寝てても起きるから」
「あ、は、はい」
顔は見えないが、ディーネの返事を聞く。
暗闇に対する怯えはない。
ただ一人でいるのが不安なのかも知れない。
(それならば、共に寝るだけで充分かな?)
少しだけ安堵し、友は首を反対方向に向ける。
桜が友をじっと見ていた。
友の腕、というよりは肩に頭を載せていた。
恐ろしく近い。
暗くとも、近い距離ならば見える。
桜は、ただ友を見ていた。
何かを言おうとしている訳ではない。
ただ視線に温度を感じた。
抗議の視線ではなく、真逆の意思だった。
友は桜を見て、口を開いて、そして閉じる。
言いたい言葉は、何だろうか。
まとまらない。
目を逸らしたいが、逸らすことができなかった。
友は躊躇った後、言葉を告げる。
「……おやすみ」
桜は友を見ていた。
友と同じように、口を開いて閉じた。
何事かを言おうとして、止めたことが友に伝わる。
内心冷や汗を流しながら桜の反応を待つ友に、桜はくすりと笑う。
「……おやすみなさい、おにいちゃん」
挨拶を交わした後、桜は目を閉じた。
友は桜が眠りに入ったことを見た後、顔を天井に向ける。
暗闇は顔を隠すのにちょうどいい。
友は唇を自嘲気味に歪めた。
(逃げるくらい、いいじゃないか)
夜は長い。
友は一人、早く床に就いたことを後悔し、目を閉じた。