19話 ディーネへの疑惑
「ユウ、起きてる?」
友が部屋で寛いでいると、扉が開けられる。
ルフィーだった。
ベッドの上にうつ伏せに寝そべり漫画を読んでいた友は、顔を上げる。
ルフィーは胸元の空いたカシュクールドレス型のナイトウェアを着ていた。
色気と可愛さの両在する服に、友は一瞬目を丸くする。
しかし、動揺を見せずに、友は落ち着いた雰囲気で口を開いた。
「どうした?」
「いや、ちょっと話があって。……サクラは?」
「自分の部屋だろ。……なんで俺に聞いた?」
「いや、常にあんたら一緒でしょ? 入るわよ」
ルフィーは部屋に入ってくると、友の寝そべるベッドに座る。
広いベッドで寝るのが好きな友のベッドは非常に大きい。
人が三人寝ても余裕のある大きさだ。
それでも、ルフィーは友の間近に腰を下ろした。
友は眼前に置かれた尻を凝視した後、漫画に視線を戻す。
「まあ、良いけど。寝る前のお肌の手入れしてんじゃない?」
「……まだ13でそんなの必要なの?」
「それは、わかんないけど。でも、手遅れになってから始めるよりも全然いいんじゃ……」
「人間はよくわかんないわねー。じゃ、あの子も?」
「桜と一緒にいるはず」
「ふうん……」
「で、何の話?」
「……気付いてんでしょ?」
「……何のこと、かな?」
友は漫画のページをめくろうとする。
だがルフィーに肩を掴まれ、阻まれた。
顔を上げて何事かと訊ねようとしたところ、友の身体は仰向けにされる。
目を丸くする友の前には、ルフィーの顔があった。
ルフィーが覆い被さるように友を押し倒した。
息の掛かる距離にあるルフィーの顔を見ながら、友は再度訊ねる。
「……何のことさ?」
「あの子のこと。どこまで察してるの?」
ルフィーの瞳に映る自分の顔を、友は眺める。
憮然とした表情だった。
(俺は何を意外にと思ってるんだか)
憮然とは、動揺し呆けたことを指す言葉だ。
詰問されたことに戸惑っているのか。
それともルフィーに押し倒されたことに戸惑っているのか。
嘆息しつつも、友はルフィーに応えるために口を開く。
「ただの外国人じゃ、ないってことくらいは」
友はディーネの言動について思い返す。
まず日本語が通じる。発音も流暢だ。
箸もしっかり使えた。
生活習慣も日本のそれに順応している。
「さすがに、気付いてたのね。じゃあ、記憶喪失ってのは、どう思う?」
「……どうだろうね。そこまでは、わからないけどさ」
ディーネの態度や言動からわかるのは、怯え、警戒する仕草が多いということだけだ。
風呂から上がって以降、多少警戒心は解けた。
それでもまだディーネには壁を感じる。
「もうちょっと打ち解けないと、そこはわからんでしょ」
「まあ、そうね。ところで、どうするの?」
「どうとは?」
「あの子。警察なり、何なりに渡すのが普通の流れと思うけど?」
迷子を保護した。
少なくとも民間で保護し続けるのは、良くないだろう。
警察に届け出るのが正しい。
探しているであろう保護者も警察に届け出るのは、想像に容易かった。
例え、耐え難い家庭環境で逃げ出したのだとしても、家に匿うのは良策ではない。
逆に個人で勝手に保護している友たちが、誘拐犯扱いされることも考えられた。
中学生が迷子を保護するのは、非常識が過ぎる対応である。しかし――、
「精霊が関与してなければね」
友やディーネを取り巻く環境は、非常識で非現実なものだった。
警察に預けたとしても、精霊相手には安心できる環境ではない。
『
現に、ディーネは精霊に追われた。
昼間の戦闘で、撒き散らした『精霊力』により新たな暴走精霊が現れる可能性が高い。
「俺たちが、守らないと。あの子が餌になる」
「……得体が知れないのに? あの怪しい男のこともよくわからないのよ?」
ルフィーが指摘したことは、友も気になっていることだった。
黒ずくめの男は、暴走精霊の名前を知っていた。
暴走精霊を祓っても結界が持続し、男が去って結界が解かれた。
男が関与していることは明らかだ。
「それでも、だよ。知らない、と言えるほど非情じゃないもん」
「あんたねえ……、わかってんの? いらん節介で、自分が怪我するかもしれないのよ」
友はルフィーの瞳を眺める。
(ルフィーが言わんとしていることは、わかってる)
その目は、心配の色で彩られていた。
友は腕を伸ばし、ルフィーの後頭部に手を当てる。
「大丈夫だって。桜もしっかり守るさ」
ルフィーが案じているのは、友の身、そして桜のことだと思った。
安心させるように、友はルフィーの後頭部をぽんぽんと叩く。
ルフィーは不服そうに口を尖らせると、友を身体で上から潰す。
浮いている普段とは違い、今は体重をかけてきた。
軽いとは言え、成人女性一人分の体重を不意に受けた友は呻き声を上げる。
「ヒトの心配も知らずに、お気楽に言っちゃって」
拗ねるような口調で、ルフィーは友の耳元で囁く。
ルフィーの顔が更に至近距離にあるようだ。
耳に掛かる吐息が擽ったい。
八つ当たりのように友を抱き締めるルフィーを宥めるように、友はルフィーの頭を撫でる。
「ごめん、また頼りにしちまう」
「……いいわよ。んなもん、あんたんところに居着いてから、覚悟済みよ」
「助かるよ、本当」
友は感謝を口にした。
人の良いこの精霊は、常に友の身を案じ、行動する。
感謝はいくら言っても足りないほどだ。
機会がある度に伝えているが、もっと感謝を伝えたいと友は思っている。
(とは言っても。話すと軽口ばかりで、そんな機会に恵まれないんだけどね)
友の意思が伝わったのか、ルフィーの身体から自然と力が抜けていく。
だが、ルフィーは離れない。
友に抱きついた姿勢のまま動きを止めていた。
(そういや、なんでこいつは実体化したままなんだろうか)
ルフィーは自由に実体化もできれば、肉体を持たない精神体のような状態になることもできる。
気まぐれで肉体を持つこともあるが、基本的には精神体でいることが常である。
先ほどまでのような、友と会話するだけならば、精霊化しているはずだった。
「ねえ、ルフィー。なんで受肉状態のままなんだ?」
「ん? ああ、ほら。暴走精霊を倒すときにさ、ご褒美あげるって言ったじゃん?」
思い返せば、そのような会話をした記憶が友にはあった。
しかし、その話とルフィーが実体化していることと、どう繋がるのだろうか。
友は嫌な予感を覚えつつ、その時の会話を思い出そうとした。
だが、友が答えを出すよりも、ルフィーの行動が早かった。
ルフィーが身を起こした。
再度、友の顔を覗き込む。
先ほどと同じような姿勢だ。
違う点は、一つ。
ルフィーの表情だ。
熱の入った目に、上気した頬。
艶のある表情に、友は戸惑う。
だが戸惑いを表現するよりも身体は別な方向へ動いた。
喉を鳴らすという、端から見れば期待しているような行動を反射的にしてしまう。
友の反応に、ルフィーは顔を更に近づける。
鼻先が接触する距離。
「ご褒美、欲しいよね」