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17話 少女の名前

「おにいちゃーん。次、桜の髪洗ってー」

「なんでお前の面倒を見ねばならぬのだ」

 友は取り急ぎ、桜とルフィーに局部を隠すように厳命する。
 更に友は極力、虚空に焦点を合わせ、全てを見ないようにした。

 タオルで己の股間を隠すことも忘れない。
 身体も基本前屈みにしている。
 周囲から友の友がどうなっているかは、判別できないはずだ。
 抜かりはない。

(さて、やるか……)

 目の前には少女が、バスチェアに腰掛け背を向けていた。
 強引にぼやけさせた視界を維持しながら、友は手早く少女の身体をスポンジで洗う。

 くすぐったいのか、友の手の動きに、時折笑い声を挙げていた。
 友はおっかなびっくりシャワーを使い、泡を洗い流したが、少女に怯えた様子はなかった。
 そして今、友は少女の髪を洗い、浴槽内の桜に抗議をしている。

「桜も、もう中学生なんだから、そろそろ自分で洗いなさいよ」

「えー。いーじゃん。おにいちゃんに髪洗ってもらうの好きなんだもん」

「……待ちなさい。サクラ、それ、最新はいつの話?」

「んー? んー」

「そ、そう。触れないでおくわ。でも、本当、その子も気持ちよさそうよね」

 桜と肩を並べてお湯に浸かるルフィーは、浴槽の縁に顎を載せながら少女を眺めていた。
 少女は、友の指の動きに顎を上げて、心地よさそうにしている。

「そういえば、その子なんて呼ぼうかしらね?」

「あー……、そうだなぁ」

 ルフィーの指摘に友は考え込む。
 少女には記憶がない。名前すら覚えていない。

「そういえばさー。その子を見てると、思い出すわね」

「何を?」

 唐突にルフィーが思い出し笑いをした。
 少女の頭皮を指の腹で擦り、マッサージをしていた友は、首を傾げて訊ね返す。

「ほら、あんたの小さい頃。水じゃないけど、風にびっくりしていたじゃない?」

「……そうだっけか?」

「そうよ。覚えてないの?」

 友はルフィーに視線を向けた。
 ルフィーは記憶を思い返すように目を閉じている。
 友の視線に込められた意思には、気付いていない。
 ルフィーはくすくすと笑いながら、言葉を続けた。

「まあ、ちっこかったから、忘れてるかもね。可愛かったわよー」

 思い出を語るルフィーに、友は耳を傾ける。
 桜も覚えてないのか、ルフィーの話を楽しそうに聞いていた。

「ねえ、ルフィー? 全然知らないんだけど、どれくらい前なの?」

「初めて会ったときくらいだから、どれくらいだっけ? 1歳とかそこらね」

「普通、覚えてないよー」

 桜がケラケラ笑うのを聞きながら、友は少女の髪の泡を流す。
 置いてあったタオルを手に取り、少女の髪の水気を取り除いていく。

「そん時にね、風を吹いてからかってみたら、びっくりするくらい怯えちゃってさ」

「へー。そんなことあったんだ」

「で、気になって暫く居着いて。そして、友が喋り始めた時かな」

「なにかあったの?」

「怒られた」

 少女の髪の水分は粗方取れた。友はトリートメントの容器を手に取る。
 蓋を開け、指先ですくい取る形状のものだ。
 適量を取り、掌で馴染ませ、毛先を中心に塗っていく。

「怒るって、いきなり?」

「本人からすると、喋れなくて怒れないから堪え続けたんだろうけどね」

「そんなに悪戯してたんだ」

「あはは……。で。思いの外、ユウが喋れたから会話してみてたら」

「ふんふん」

「風が苦手ってことがわかったから、どうしたものかと悩んだ訳よ」

 トリートメントが馴染むのを暫し待っていた友は、少女に断りを入れて洗い流していく。
 少女の顔に掛からないように気を配りながら、友は思い出す。

(ああ、そうだ。風がどうにも苦手だったから……)

 どういう訳か、目の前に居た風の精霊は言った。
 記憶の中にある人の良い笑みは、今と変わらない。

『あたしに名前を付けてよ』

 当時はまだ精霊のことはわからなかった。
 困惑する友にルフィーは、にっと笑って言葉を続けた。

『苦手な風の精霊っぽい名前をつけて、呼んでいたら馴れるでしょ?』

 なんでやねんと、その時は思った。
 だが、従ってみた。安直に考えて、付けた名前は――。

「それでルフィーときたもんだ。シルフィードの一部抜粋だもんね」

「そうなんだ! おにいちゃんが名前付けたんだ」

 どことなく馬鹿にされているような気になり、友は憮然としながら少女の髪を手に取る。
 程よい仕上がりとなった。
 後はきちんと乾かせば、完璧だ。友は満足そうに頷く。

「でも、ルフィー?」

「んー」

「そんな昔から、おにいちゃんのとこにいたのは、なんで?」

「なんでかしらね? 不思議とユウの周りにいるだけで、なんか居心地が良かったのよねー」

「おう、次。髪洗ってやるから来いやー」

 雑談を続ける桜たちに友は声のみを向ける。
 首は動かせない。何故ならば、

「はあい!」

 桜が元気よく浴槽から立ち上がるからだ。
 局部を隠すようにと伝えたはずなのに、忘れている。
 友は視線を天井に向けたまま、少女を浴槽へ送り出す。

「おねがいしまーす」

 入れ替わるように、桜が友の前に座った。
 バスチェアに腰掛け、そして友を背もたれにして。

「……桜さんや。お戯れを」

「にゃっへっへ。甘えたい年頃なのですー」

 桜の頭を押し返しながら、友は嘆息する。
 そして、髪を手櫛で梳かし始めた。

「それはそれとして、どうすっかね。その子の名前」

「あだ名でも何でもいいけど、呼び名がないと不便よね」

 視線を向けると、ルフィーの横で少女が目を細めていた。
 水が苦手なのか、それとも風呂が好きなのか。
 まったくもって理解が及ばなかった。

「見た目とか、特長から連想してみる?」

 ルフィーが少女の額を指で押しながら、友へ提案する。
 特長から呼び名を考えるのは悪くない考えに思えた。

「……可愛いこと以外、思いつかねえな」

「むー」

 友の言葉に、桜が唸る。
 抗議なのか、友の顎に頭を押し付けてきた。
 友は再度押し返し、シャンプーを掌で泡立てて、桜の頭を泡で覆い始めた。

「無理矢理上げるとしたら、青みの掛かった銀髪に、青い目ってとこかしら?」

「ブルー? ヴェール? アッズーロ?」

「英語もフランス語もイタリア語もピンとこないわね」

 ルフィーが肩を竦めて嘆息する。
 桜の頭皮を揉みながら、少女の名前について考える。

(名前、名前なぁ)

 桜の髪の泡を流しながら考えるが、浮かばない。
 泡を流す水を眺めて、友はふと思い出す。

(ルフィーの名前は、風の精霊からだったなぁ……)

 そして先のルフィーと桜の会話を思い返す。
 友は風を苦手にしていた。
 目の前には風の精霊がいた。
 風の精霊は、風に対する苦手意識を無くさせるために、それっぽい名前をつけろと言った。

(それで、ルフィーとなった……)

 水を少女は苦手としている。
 少女の特長は青にまつわる物が多く、水と関連づけるのは悪くない。
 桜の髪の毛をまとめて、手で軽く水を絞り、友は口を開いた。

「……ディーネ」

 友の言葉に、桜が顔を見上げ、ルフィーが目を丸くした。
 少女も、友をきょとんと見ている。
 三人から注目を浴びた友は、手を振って水気を切ると頬を掻いた。

「どうだろう。ルフィーと同じで申し訳ないけど」

「あー。水の精霊って、ウンディーネだっけ?」

 桜が友を見上げながら、笑顔を見せた。
 友は苦笑しつつ、タオルを手に取り少女と同じように水分を除いてく。

「ディーネ、ディーネね……。良いかもね。名前がきっかけで水に馴れるかもだし」

「むしろ怯えたりはしないかね?」

「どう? ディーネって呼ばれるのは?」

 不安そうな友から、少女へ視線を移したルフィーは少女に問いかける。
 少女は、上を見ながら少し考え込んだ後、友に視線を戻す。

「あの……」

「うん?」

「かわいいかな、って?」

 掌を合わせながら、少女は笑った。
 語尾が上がる疑問系だったが、気に入ったように見える。

「じゃあ、ディーネって呼ぶね」

「はい、わかりましたっ」

 こうして少女の名前は、ディーネに決まった。
 問題の一つが解決したことに、友は一息吐くと、目下の問題に目を移す。

(まずは桜の髪の手入れをしないとな)

 再開を待ちわび、リズミカルに左右に揺れる桜の後頭部に、友は苦笑しながら手を伸ばした。

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