2話 下校途中で桜と二人
部活に所属していない者の下校は早い。
時刻は午後四時過ぎ。
「ねえねえ、おにいちゃん」
揃って帰宅部である友と桜は、帰路についていた。
友の目の前を歩いていた桜が振り返る。
鞄を後ろ手に持ち、友を下から見上げるように覗き、顔を綻ばせる。
「晩ご飯、何にしようか?」
友と桜の家には両親がいない。
死別した訳ではない。ただ父親の単身赴任に母親がついて行っただけだ。
現状二人暮らしであり、家事は分担して行なっている。
料理が好きな桜の意思を尊重し、料理担当は桜に一任していた。
(とは言っても、こう聞かれると回答に困るんだよな)
友は桜の言葉に笑顔を向けたまま、脳内で思考する。
料理で何が良いかと聞かれ、何でも良いと回答するのは愚の骨頂である。
相手が作ってくれるものは嬉しいと答える人は多いが、相手は困る。
それもそうだ、訊ねられた問いに実際何も答えていないのだから。
(さて、なんと答えようか)
食べたい料理が思い浮かばない。
そもそも十数年共に生きている存在だ。
味の好みも知り尽くし、作る料理は舌に合う。
桜が作る料理ならば、美味しく感じる。
愚の骨頂の回答を口にしようと思ったが、友は思いとどまった。
どうせ何でも美味しいのである。
味を第一にするのではなく、手間を優先しようと考えた。
友は料理の手間が然程掛からない品を思い浮かべ、口を開く。
「ペペロンチーノか、ミートソーススパゲッティか。どっちかかな?」
片やパスタを茹でて、ニンニクとベーコンと鷹の爪を炒めるだけ。
片や、挽肉とタマネギを炒めてカットトマトで煮込むだけだ。
簡単に作れる料理を提案すると、桜は悪戯じみた笑いを浮かべる。
「ふふーん? おにいちゃん、相変わらず優しいね」
「……何のことだか、わかりませんね」
にまにまと笑う桜から友は目を逸らし、桜を追い抜いて歩こうとする。
しかし桜は友の腕に抱きつくと、友の追い抜きを防いだ。
友の肩に頬を付けながら、桜は友の腕を抱いたまま歩き始める。
「えっと桜さんや?」
「じゃあ、このままスーパー寄って帰ろー」
「あー、へいへい」
桜の為すがままに友は歩みを進める。
他愛のない会話を愉しみながら、友は周囲を眺める。
人通りは少ない。
見慣れた景色だ。
活気という言葉からかけ離れた景色に、寂しさを感じる。
友たちの住む街の特徴を一言で表わすと、田舎の街だった。
田畑が多いという意味ではなく、都会から離れているという意味だ。
グラウンドの広い学校を中心に一軒家が建ち並ぶ。
どの家にも基本的に広めの庭が存在する。
逆に集合住宅が殆どない。
道路も二車線以上が普通。
民家の建ち並ぶ一帯でも人通りは少ない。
少し外れれば、更に人の姿はなく、未開発の土地が広がるような地域だった。
したがって少し歩くだけで、公園ではないのに草木の生い茂る場所に辿り着ける。
「そうだ、おにいちゃん。遠回りしよ」
「普通、近道をしたがるんじゃないですかね」
「桜は普通じゃないので、いいんですー」
下校時の寄り道は桜の意思に任せている。
今日の桜が選んだコースは、草木の生い茂るルートだった。
「一昨日くらいに大雨降ったから、歩きづらそうなんですけどー」
「まあまあ。草の張ってある場所はそれなりに歩けるから大丈夫だよ」
友が言う通り、其処彼処に水たまりがあった。
が、桜の言う通り草の生えている部分は水たまりの影響を受けていない。
足の踏み場さえ考慮すれば、歩けないこともない。
しかし腕を組んだままでは歩きづらかったのか、桜は友の手を握る。
そして友の手を引くように自然溢れる道を歩く。
元々は住宅や近隣の大学を建設する際に利用された資材運搬車の通り道だった。
開発完了後、舗装されると思いきや、整備されることがなかった道。
今や自然に帰りつつある。
どのような計画だったのかと思わないでもないが、誰も困ってないのだ。
少なくとも、桜と歩く友にとって問題はなかった。
(それよりも風が穏やかで、草木の匂いも心地よく。良い場所だねぇ)
更に言うと、人気が無いのもポイントである。
土地が余り、自然に溢れる街の宿命として、わざわざ自然を堪能しようとする者は極端に少ない。
昨今流行っているランニングに勤しむ人も、荒れた道を走ろうとは思わないようだ。
見渡しても視界内には、友と桜以外の人がいない。
周囲の視線に晒されることのない空間であり、息抜きになる。
非凡な日常を送る友の生活は、知らず人からの視線が常に集まるものだった。
そんな空気の中では周囲と良好な関係を築けていても、息が詰まる。
(それは、きっと桜も同じなんだろうけど)
人気の無いところを歩くこと、それは二人にとって安らぎの時間となっていた。
(まあ、思春期を迎えている年頃の男女が手を繋いで歩くところも見られたくはないしね)
家族の行為だ。別に問題はない行為のはずだ。
しかし昔の話だ。
以前まで問題のなかった行為も、年齢を重ねることで周囲の目も変わっていく。
思うがままの行動ができない。
端から見ると羨まれる人物でも、様々な不自由にストレスを抱える。
友は早々と有名税みたいなものだと諦めていたが、桜には窮屈なのだろう。
横目で桜の様子を覗う。
鼻歌交じりにはしゃいでいるが、目の奥に見える色は安堵だった。
(ま、しゃーないね)
友はそっと息を吐くと、握られていた桜の手を強く握り返した。
桜は視線で何事かと問いかけてきたが、友は肩を竦めて笑いを返す。
友の意思が十分に伝わったのか、桜もにへらと笑った。
締まりのない、だらしない笑顔。
それは一三歳の少女らしい自然な笑みだった。
柔らかい風が二人の笑顔を撫でる。
北の地にある為か、夏の風とはいえ、いささか冷たい。
しかし、だからこそ繋ぐ手の温かさを心地よく感じる。
(ああ、願わくば――)
非凡なる生活は、友と桜を苛む。
この平穏な時間が何よりも安らぐ。
平凡であれば何時でも味わえるだろうこの一時。
(――平凡な空気を、もう少し味合わせてくれ)
非凡な生活の中で、僅かでも平々凡々な時を愉しみたかった。
贅沢な悩みと理解している。
本来ならば、非凡な空気など味わうことなど、ない。
物語の主人公のような生活を喜ぶべきなのだろう。
それでも疲弊する今なら、願って憧れる。
非凡な生活を送るからこそ、憧れた。
(まあ、桜と一緒に歩くというのも、非凡なんだろうけどね)
少しだけ苦笑しながら、それでも友は安らぎを噛み締める。
桜と二人、手を繋ぎながら整備されていない道を進んだ。
およそ二〇分、未整備の道を歩いていると、大きな水たまりに出くわした。
「でか」
「これは、歩きようがないね」
先日降った大雨のためだろう。
どうやって突破しようか、そもそも無理して歩く必要もないような。
友が思案する中、ふと目を丸くした。
(……ん?)
5m四方という、もはや小さな池のように広がる水の脇に、一人の美女が居た。