05-[メルトの憂鬱]
ウィルが総合技能検定所に向かった頃、メルトは一人石造りの橋の上から陽の光をゆらゆらと照らし返す運河の水面を眺めていた。運河には手漕ぎの船で果物や衣類を運ぶ水夫が行き交い、街の活気を感じさせる。そんな街の雰囲気とは対照的にメルトの表情には陰りが見られた。
「私だってもう限界なんだってわかってるよ・・・」
ギルドを畳むというラスの言葉が胸に突き刺さる。両親が亡くなってから徐々に人がいなくなって経営も厳しくなっていることは確かに感じていたし、以前からギルドを畳みたいという姉の言葉は何度も聞いていた。それでも生まれてきた時からずっと過ごしてきたシャムロックという存在が無くなるということを受け入れたくなかった。メルトは行き場のない気持ちをぐっと押さえ込むように、腰の左右につけた両親から譲り受けた短剣の鞘に象られているギルドの象徴である白詰草をきつく握り締めた。行き場のない気持ちの要員となっているのはラスの言葉だけではなかった。
「今度ウィル君に会ったら謝らなきゃ・・・」
期待だけさせておいて結局仕事をあげられなかったこと、いきなり声を荒らげて放って出てきてしまったこと。ウィル君は今どうしてるんだろう、また仕事を探しに街に出かけたんだろうか・・・そんなことばかりが頭に浮かんでくる。根っから明るい少女のメルトはそのような感じで珍しく静かに俯くばかりだった。耳から聞こえてくる喧騒がただただ時の流れを告げてくる。普段は全く耳に入ってこないはずのそれらの音も今日ばかりは細かな会話のやり取りまで意識できる。気分が向かないときだけこういったどうでもいいことに集中してしまうのは人の性だろうか。
「うんっ、いつまで落ち込んでても仕方ない!ウィル君に会いに行こう!」
しかし、このままいても仕方ないと思ったのかメルトは顔を上げ、ウィルに会いに行くため橋の欄干から離れた。今まで大人しくしていた反動からか、メルトは街の大通り目がけて橋のかかっている小さな路地を風を切りながら走り抜けた。大通りに出るといつも通りの賑やかな街の景色が目に入ってきた。自分の気分がどんなに落ち込んでいてもこの街はいつも通りの景色でいてくれる・・・そんな些細なことに元気づけられながらシャムロックの方に戻ろうとしたそのとき、目に飛び込んできたのはギルドの近所に住んでいる知り合いの小さな男の子のアレンと女の子のサーシャだった。
「やっほー!今日も元気だねー!」
メルトは2人の子供に声をかけたが、2人は知り合いのメルトにも気付かないほど必死大通りを駆け抜けてその脇の路地裏に入っていった。
「ありゃ?どうしたんだろう」
いつもと様子が違う2人に少しばかり困惑していたメルトだったが、しばらくしてアレンとサーシャが走ってきた方向から慌ただしく3人の男が走ってきた。
「あのガキどこに行きやがった!」
「すぐに見つけ出してやる!」
この男達はどうやら二人を追ってきたようだったが、どうやら穏やかな内容ではなさそうだった。メルトは心の中でまた何か悪さでもしたんだなー、後で注意してあげなきゃ!と思ったが、目の前の男達はちょっと危なそうだったので今はとりあえず二人を庇うことにした。とりあえず二人を追わせないようにしないといけないと思ったメルトは時間を稼ぐために男達に近づいて話しかけることにした。
「もしかして小さな男の子と女の子でも探してるの?」
メルトは走ってきたばかりで息を荒げているいかにもゴロツキといった風貌の男達にそう話しかけた。
「あぁん?そうだが、嬢ちゃん何か知ってんのかい?」
いかつい男にいきなり凄まれたメルトはうわっ怖っ・・・と一瞬腰が引けた。たまにこういったゴロツキは街で見かけることがあるが、どうしてそういった人種は何かこういう風に振舞わなければいけない仕来りでもあるのか・・・と余りにも予想通りの言葉遣いと態度にメルトは半分呆れていたが二人のためにもなんとか頑張ることにした
「その2人ならさっきあっちの路地の方に逃げて行ったよ」
「それは本当か!?助かったぜ!」
「ひひっ、待ってろよ、すぐに捕まえてやる」
男達は完全にアレンとサーシャを見失っていたようだったので、メルトは嘘の方角を教えることにした。この男達はいかにも悪そうな奴らだが悪いのは頭の中も同じなのかメルトの言葉に何の疑いも持たずに先程二人が入っていった路地・・・とは全く違う方向にある路地に大急ぎで向かっていった。そしてそんな男たちを尻目に、メルトは二人を追いかけるためにアレンとサーシャが入っていた路地の方へ向かった。
その頃、アレンとサーシャは自分達を追いかけてきているゴロツキ達から逃げるために必死に狭い路地を息を切らしながら走っていた。
「サーシャ、大丈夫かっ?」
亜麻色の短い髪に額の汗を見え隠れさせながら先頭を走っているアレンが後ろに付いて来ているサーシャを気遣った。
「うっ、うん、平気なのー!」
サーシャは平気と答えたが必死でここまで走ってきたためその声と表情には疲労の色が見え始めていた。腰まであるせっかくの綺麗な黒髪も直す余裕が無いためぼさぼさに荒れてしまっている。
ここまで走り続けてきた二人は息が上がってしまったため一旦立ち止まって呼吸を整えることにした。この狭い路地に入ってからもしばらく走り続けていたが、このときようやく二人は自分達の後ろからゴロツキ達がいなくなっていることに気がついた。
「あいつらどこか行ったみたいだな」
「うまく逃げれたのー?」
アレンとサーシャは用心深く少しの間自分達が走ってきた方を見つめていたが、ゴロツキ達が来る気配が無いことを確認すると気が抜けたのかへたっと地面に座り込んだ。
「あー・・・やばかったー」
「怖かったのー・・・」
しかし、ほっとしたのも束の間、座り込んで休んでいる二人にこっそりと近づいてきた人物が急に話しかけてきた。
「な~にがやばいのかな?」
ゴロツキ達をうまく撒けて安心しかけたアレンとサーシャは急に声をかけられてギュッと心臓が縮まった。
「うわっ!」「きゃっ!」
「なんだよ、人の顔見て驚くなんて失礼な!」
二人がびっくりして振り返るとそこにはよく知っている顔が眉を吊り上げて二人を見下ろしていた。
「なんだ、メルト姉ちゃんかよ!驚かすなよ!」「あっ、メルトお姉ちゃんだ~!」
自分の顔を見て驚かれて若干不満そうなメルトとは対照的にアレンとサーシャの2人はほっと安心したような表情を浮かべた。
「君達!ま~た何か悪さしてるんじゃないだろうね?」
メルトはゴロツキ達に追われていた原因が2人にあるんじゃないかと思い、何があったのかを問い詰めた。
「違うよ!俺達何もしてないよ!」「違うの!私達は何も悪くないの!」
どうでもいいことだが先程からアレンとサーシャは息がぴったりのようだ。普段やんちゃばかりしているこの子達の姿を見ているメルトにとってはすぐに二人の言葉を信じることはできなかったが、何度聞いても同じような返事ばかりする様子を見て本当に何か事情があるのかと思い、二人の言うことにひとまず耳を傾けてみることにした。
「俺達いつものようにセナおばちゃん家でお菓子を貰って食べながら遊んでたんだよ」「遊んでたの」
「そしたら急にあいつらが押しかけてきて、セナおばちゃんと何か話してたんだ。そしたら急におばちゃんを突き飛ばして棚の上に置いてあった大切な飾り物を奪ったんだ!」「奪ったの!」
「だから、俺達咄嗟にそれを奪い返して逃げてきたんだよ!」「逃げてきたの!」
「ほら、これがその飾り物だよ」「綺麗なのー!」
そういってこれが証拠だと言わんばかりに飾り物を突き出してくるアレンからメルトはその飾り物を手に取った。まじまじと飾りを見てみるが至って普通の銀細工のようであり、多少の価値はありそうなもののわざわざ人の家から強引に奪い取るような代物には見えなかった。しかし、2人が嘘を付いているようには見えなかったので、ゴロツキ達の真意はわからないがアレンとサーシャの言うことを信じることにした。
「本当に君達は悪いことをしていないんだね?お姉ちゃんの目を見て嘘じゃないって約束できる?」
「うんっ、俺達嘘なんかついちゃいないやい!」「嘘つくとタラスクに食べられちゃうのー!」
アレンとサーシャの2人はそういうと力強く頷いた。ちなみにタラスクというのは親が子供達に言うことを聞かせるために使っている伝説上の人食いの化物のことである。実際にそんな生き物はいないのだが、このヴィオラの街の子供達にはその存在を架空の怖い容姿と共にタラスクの存在が親から伝えられていた。
「ならよしっ!・・・とは言ってもどうしようか・・・大通りに出てもあいつらに見つかっちゃうだろうし、セナおばさんの家に言ってもまたあいつらが戻ってくるかもしれないし・・・」
「うーん・・どうしよー・・・」「困ったのー」
この後どうすればいいかなかなかいい案が思い浮かばず3人で悩んでいると、やがて遠くの方から足音が三つほど聞こえてきた。
「おいっ、いたぞ!あのガキだ」
「おい、あの女はさっき俺達にガキの居所を教えてきたやつじゃねーか?」
「けひっ、お仲間さんだったのかよ、おかげで余計な時間くっちまったぜ」
先程嘘の方角を教えたためか心なしか怒っているようにメルトは感じた。
「うわっ・・・」「見つかっちゃったの・・・」
「あちゃ~・・・」
この後どうするか真剣に考えていたせいでここまで近づかれるまで気付くことができなかった。
「おらぁ!ガキィ!その手に持っているものをこっちによこしな!」
そういうと三人のゴロツキの中で一番背が高い筋肉質の男がアレン目がけて掴みかかろうとしてきた。本能的にまずいと思ったメルトは咄嗟に腰につけていた短剣の一つを振り抜き、男の腕を軽く斬り付けた。男は予想もしなかった反撃に思わず驚きの声を上げて後ろに下がった。
「2人共!こっち!走って!」
男が怯んでいる隙にメルトは咄嗟にアレンとサーシャの手を取ってゴロツキ達がいる方とは逆側に駆け出した。捕まったら終わる!メルトは直感的にそう感じ、後ろも振り向きもせずに必死に二人の手を引っ張りながら走り続けた。一方男の方は斬られた腕を布で縛って止血をしていた。
「あらら、ざまーねぇな」
「ひひっ、ただのガキかと思ったらちったぁやるみてぇじゃねえか」
「何のんきにしてやがる!急いで追いかけろ!もう人目につかなければ殺っちまって構わねえ!急げ!」
先程腕を斬りつけられた男が激昂して残りの太った男と小さくてひょろっとした男に逃げたメルト達を追うことを命じた。
「メルト姉ちゃん、怖いよー・・・」「怖いのー・・・」
ゴロツキ達の危なげな雰囲気を感じ取ったのか、アレンとサーシャが小刻みに震えていた。
「大丈夫!お姉ちゃんがなんとかしてあげるから!」
メルトは頭の中でどうしよう!これはちょっとまずいかも!と思いながら震える小さな2つの手を握り締めながら街の裏路地の方へ走り抜けて行くのであった。