インタールード
インタールード(幕間)
私はこの世間でもまま耳にするバラバラ死体というものに対しては、事件記者という立場を越えて一家言持っている人間である。本編に入る前に私自身の拙い論考を延々と垂れ流す無礼を承知の上で、親愛なる読者諸氏には誠に申し訳なく感じるところである。
物語の最中だというのに五月蝿い作者だとか全く紙汚しもけしからん、などととられても作者としては全く弁解の余地はなく些か申し訳ない部分ではあるのだが、読みたいと思う方にだけ興味を持って頂く為に、敢えて幕間という表記を以て断りを入れさせて頂くことにした。これから展開する話は本編と全く関係ないとは言わないが、敢えて積極的に読む必要などないという内容だからだ。
“なぜ人は死体をバラバラにするのか?”という根源的な問題について、私は兼ねてから真っ向から取り組みたいと考えている。我ながら猟奇趣味で悪趣味の極みであり、やや狂気的とも思える殺伐としたテーマにいきなり及んだが、私自身は死体を解体するという心理自体は何も特別なことではないという結論に行き着いた。それを読者諸氏に何らかの形で伝えることで物語をより面白くできるという浅はかな考えに至ったのである。多分にフェアプレーを心がけたいという作者側の思惑を多少なりとも汲んで頂ければ幸いである。
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この先は今回の事件とは結びつかないし、些か読者諸氏の気分を害する可能性が著しい内容なので読み飛ばして頂いて一向にかまわない。犯罪心理学や統計学的なデータやこの種の議論に興味があり、且つ耐性がある人にだけ知ってもらえればいいという内容に触れているので読む際は注意して頂きたい。
言ってみれば“バラバラ死体の理論”とでも呼ぶべきか。以下数ページを費やして紐解いていくが本筋の内容だけ読みたいという方は、以下の―(ダッシュ)部分より先の記号◇(ダイヤ)が記された段落から読むことをお奨めする。
死体をバラバラにすること自体に意味がある場合は、主に以下の三つの理由が挙げられるだろう。
―性的興奮を得る
世の中には相手の肉体を損壊させることで性的興奮を得るような人間がまま存在する。これらは極めて稀なケースだが、異常性愛が動機のバラバラ殺人事件というのは確かに存在するのだ。本邦では“阿部定事件”が有名であろう。数々の映画やドラマの題材にもなっており、書籍でも数多く刊行されたので興味がある方々は一読したり検索してみることをお奨めする。
死体自体を記念品(スーベニア)や聖遺物の対象とする場合はネクロフィリア(死体愛好症)と呼んで区別するべきだが、これらは主に死体の局所的な部分を持ち去るといった犯罪に大きく関係する。代表的なところでは犯人が持ち去るのは主に性器である。
女性であれば女性のシンボルである乳房や子宮、男性ならぺニスを切り取って持ち去る。持ち去った性器で以て性交やフェラチオ、クンニリングスを行うという目的がそこにある。
性的な部分の対象として他に考えられるケースとしては首級である。
首を切断することが性的な目的である場合、これは主に男女問わずフェラチオや精液をかけるという行為のために被害者の首を切断して持ち去るか、その場で欲求を満たす。
類例としては“神戸連続児童殺傷事件”が挙げられる。
犯人の少年は蛙や蛞蝓といった動物を殺害して遺体を損壊することに性的な興奮を感じるようになり、猫を殺して遺体を損壊する時に性的な興奮や快楽を感じて性器が勃起し射精した。少年はその性的な興奮や快楽の感覚や要求が、人を殺害して遺体を損壊することによって、猫の殺害と遺体損壊よりも大きな性的な興奮や快楽を得たいとの欲求へとエスカレートし、それが自分の運命と思い込むようになり、この事件を行ったのであり、殺人の動機の類型としては快楽殺人である。
無論のこと、死体の局所的な部分であるから時間が経過すれば当然、腐敗するし腐臭とて尋常ではない。多くが殺人を犯したという非日常の体験や異常な性的興奮を記憶に留め、忘れないようにするという目的の為に行われたりする。
―恨みを晴らす
相手に対する憎しみが高じて最終的に死体をバラバラにするケースがある。
1983年、競売物件の取引をめぐるトラブルから幼い子供を含む一家5人が殺害された“練馬一家5人殺害事件”が代表例であろうか。
犯人は犯行のあった当日、子供たちの目の前で被害者の母親を金槌で何度も殴って殺した。この様子に驚いた長男が泣いて母親のもとに駆け寄ったが、犯人はまだ1歳の長男にまで手をかけた。続いて、恐怖で凍りついていた6才の三女を金槌で殴った後、両手で首を絞めて殺害している。
三人を殺害した犯人は遺体を浴室まで運び、リビングなどに飛び散った血を雑巾で拭き取っていた。
午後3時、次女が帰宅。リビングにいた犯人は問答の末に2階にあがろうとした9才の次女の前に立ちふさがり、首を両手にかけ体を吊り上げた。さらにぐったりしたところを掃除機のコードで締め、絞殺した。
その後、犯人は彼女の遺体も浴室に運び、被害者の衣服を包丁で剥ぎ取った。
午後9時半頃、この家の主人が帰宅。リビングのソファには犯人が座っており、彼は主人の姿を見るや、すっと立ちあがった。
「こっちは事態が切迫しているんだ」
犯人が怒鳴ると、家の主人も身構えたが、犯人は主人の腹部を殴り、首めがけてマサカリを振り下ろして殺害した。
例によって犯人は遺体を浴室に運び、バスタブの中に家族を積み重ねた。その頃には午後10時となっており、犯人は翌午前4時半すぎまで仮眠をとっている。
目覚めた犯人は車のトランクから骨すき包丁とノコギリ、ビニール袋と、そして電動肉挽き器を持ってきて、パンツ1枚の姿で家の主人の遺体の切断を始めた。遺体を細かくして富士の樹海に遺棄するためである。損壊した遺体の一部はトイレに流したり、ゴミ袋につめたりして彼の”作業”が終わったのは午前6時半頃だった。
この有名な事件で犯人はこう供述している。
「自分は正常です。一貫して心境に変化はありません。○○の奴は、骨まで粉々にしてやりたかった。妻と子供を殺したのは、かわいそうだったと思います」
血も涙もなくカテゴライズするならば、この事件は典型的な恨みによるバラバラに類型されるだろう。
また、暴力団抗争における制裁等もこのカテゴリに含まれるだろう。これは何も死体に限った話ではない。いわゆる極道の身内の不始末を“エンコ詰め”で以て責任を取ったり、けじめをつけるといった延長線上にある考え方で、海外のマフィアでもこうした慣習はめずらしいことではない。
敵対勢力や裏切り者に対して脅迫や威厳、意趣返しといった様々なメッセージを込めて死体であればパーツ部分に解体し、生体であれば手足の指などを切除して、部分を相手に贈るという方法は“プレゼント”や“メッセンジャー”などと呼ばれる方法で、仁侠映画などでも古くから用いられている手法で、非常にショッキングな心理効果を相手や観衆に与える、という目的があるからバラバラにする。
類例と呼べるかはやや微妙ではあるが本邦では“手首ラーメン事件”がある。暴力団抗争により起こったバラバラ殺人事件である。
1978年(昭和53年)兵庫県と岡山県の山中からバラバラに切断された遺体が発見された。背中の天女の刺青から某連合の幹部A(当時29歳)のものと確認されるも手首だけは発見されなかった。捜査の結果、別件の殺人容疑で逮捕された幹部B(当時30歳)が子分4人と共謀しAを殺害、子分の郷里に近い山中にバラバラ死体として遺棄したことがわかった。
Bは「指紋で身元が判明するのを恐れて手首を持ち帰り始末に困った為、商売をしているラーメン屋台で出汁をとるための鍋の中に入れて煮て、残った骨は槌で粉々にし捨てた」と供述。某暴力団の組長代行の地位とラーメン屋台の縄張りで抗争が絶えなかったことが事件の引き金となった。
―見立て殺人
何らかの伝説や神話や民間伝承などになぞらえてバラバラにする場合である。希にアート目的だったりするが、これはミステリでしか見たことがないし類例にできるケースは本邦には見出だせない。
ショッキングな死体の状態を場や世間に与える劇場型の心理的な効果に加え、復讐による連続殺人という目的を殺害対象に明確に与えることで相手を怯えさせ、後の犯行をやりやすくしたり、犯人自身の正体に直結してしまう死体の状態を隠蔽する為に犯人が何かに見立てるなど様々な効果の為に用いられている。
偽装工作としてバラバラにする場合は以下の理由が考えられる。
―死体の存在・身元を隠す
DNA鑑定の発達した現在ではあまり意味をなさなくなってきたが、バラバラにして人体の特徴的なパーツを散逸させることで死体の身元を隠し、犯行が明るみに出るのを防ぐというものだ。
1994年に起きた“井の頭公園バラバラ殺人事件”においては、公園のゴミ箱から発見された遺体は頭部と胴体がなく27個の部品に20cm間隔に切断され、指紋は削り取られ、血液も完全に抜かれていた。この事件は未だに未解決のまま公訴時効を迎えた事件であり、犯人の意図が今のところ完全に成功した例であろう。
また、2002年に発覚した“北九州監禁殺人事件”では家族6人に殺し合いをさせ、児童にまで殺人や遺体の解体を行わせていたが、遺体は全て解体された後に鍋で煮込まれ、海や公衆便所などに投棄されたため、長年にわたり犯行が発覚しなかった。死体を上手く処理することで事件の存在自体を隠蔽できれば、犯人は易々と逃げ延びることができるだろう。
2008年4月18日に発覚した“江東マンション神隠し殺人事件”では、被害者の遺体を細かく解体して下水に流したり、ゴミ捨て場に小分けにして捨てるなどして2週間ほどで遺体を処理していた。
犯人逮捕後、下水管にわずかに残った遺体肉片のDNAが被害者のものと一致している。
この事件においては死体の隠蔽は一月ほど逮捕の時期を遅らせるほどの効果しかなかった。街中に配置された監視カメラ群による被害者・容疑者行動のトレースやDNA鑑定などの科学捜査の前には、死体はその一部でも見つかればアウトで、完全犯罪の為には死体そのものを完全に隠蔽する必要性があるということだろう。
―死体の身元を誤認させる
死体の身元を隠すために首を切断したり顔を潰すというのは、いわゆる“顔のない死体”と呼ばれ、ミステリのトリックとしては常套手段だが、実例としてそのような話が現実にあるかどうかは未知である。
多くが司法解剖や検死の及ばない場所やシチュエーションで行われる。これはいわゆる“クローズドサークル”という舞台設定を用いたもので、主に閉ざされた吹雪の山荘や湖畔の山荘や絶海の孤島といった場所で起こる殺人事件などをテーマにした作品群などによく用いられる手法である。
警察の捜査の及ばない閉ざされた空間に関係者を集めて閉じ込め、好きなだけ犯行を行えるという犯人側のメリットを生かして物語を進行させていくというミステリやサスペンスやホラーでは、お馴染みの手法である。
犯人が殺人の対象となる関係者の中に紛れ込む場合が大半だが、中にはこのパターンを敢えて外したものもある。犯人自身が関係者を皆殺しにしていくという目的の為などに用いられたりする。主に誰が生き残るのかといった結末部分へのスリリングな展開と、犯人は誰なのかという犯人当てミステリの展開を同時に満たしえる内容になっている。余談だが、この古くからある手法はミステリでは王道的ともいう内容であり、作者の手腕が最も色濃く作品に反映される腕の振るい甲斐のあるテーマともいえるだろう。
しかしDNA鑑定が整備された現在においてはあまり意味がある行動とはいえないだろう。これまた余談だが、ミステリにおいて首無し死体や切断された死体の一部だけが発見された場合などには、殺されたのは本人かどうかまず疑ってかかる必要がある。
「顔の無い死体」の例は古くからあり、江戸川乱歩は紀元前からあると指摘している。
具体的にはヘロドトスが『歴史』(紀元前5世紀頃)に記述した「ランプシニトス」 (紀元前12世紀の古代エジプトのファラオであったラムセス3世に比定) の話と、これに影響を受けたと見られるパウサニアスの記録(紀元前2世紀頃)を挙げている。興味がある方は検索してみるのも悪くはないだろう。
また横溝正史は“密室”“一人二役”と共に推理小説の三大トリックとしている。
―他の証拠・事実を隠す
こちらもミステリの域を出ないが、犯人に結びつくような特徴的な手段で殺害に至ってしまった場合、その痕跡を隠すために死体をバラバラにしてしまうケースがある。致命傷の原因となった部位を切断することで、死因の解明を阻害することができる。
また、痕跡を完全に消せなくても、バラバラ殺人という衝撃的な事実を示すことで、他の重要な証拠・事実から他人の目を逸らすという効果がある。普通に殺された場合、真っ先に疑われる立場にいる人物が犯行に至った場合、犯人の可能性を広げるために、わざと派手な殺し方をする場合などもこれに含まれるだろう。
例としては指に填まった結婚指輪や婚約指輪の痕跡を隠す為などに被害者の手首自体を切断して持ち去ったり、日焼けした痕跡を隠す為に四肢を切断するといったケースが考えられる。
犯人に直結してしまうような痕跡を隠蔽する為に切断するという手法は、様々なミステリー作品に取り入れられており、多くがバラバラにした理由と犯人側の思惑を解き明かす推理展開が為されるのが通例となっている。
―アリバイ作り
バラバラにした複数人の死体の一部を順番に発見させるが、実は殺害の順番を異ならせることで、アリバイを作る場合が該当する。
また損壊させた死体の一部を見せ、実際の死亡時刻と誤認させる。損壊させた様々な人の死体を誤認させ、実際の死亡時刻を誤認させるなどのやや突飛とも思える方法もこれに含まれるだろう。
だが、これらはアリバイ作りのために多くの殺人を行うという多大なリスクを負いかねない限定的な条件がついた下での行為であるため現実においては本末転倒な行為であり、やはり密室殺人やクローズドサークル式のミステリに限定される。犯行推定時刻をずらすのであれば、もっと他にやりようがあるだろうという場合がほとんどである。
他の必要がありバラバラにする場合は以下の理由が考えられる。
―食べる
カニバリズムないしは食人と呼ばれる異常な嗜好が死体をバラバラにする動機となる。
“パリ人肉食事件”は1981年フランスで発生した事件だが、犯人は被害者を殺害後、陵辱し、遺体の一部を生のまま食べ、また遺体を解体し写真を撮影して遺体の一部をフライパンなどで調理して食べたとされる。“東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件”の犯人も殺害した女児の指をもぎ取り、醤油をかけて食べたとされる。
―運搬/収納する
成人の体を運搬したり収納したりしようとすると大変なので、小さくバラバラにして運搬/収納しやすくするのは割と妥当な動機らしい。
2006年に発生した“新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件”では、妻が夫の死体を隠蔽する際に一人で持ち運べないのでバラバラにしたと供述している。
1994年に発生した“福岡美容師バラバラ殺人事件”においても、犯人の女性が遺体を運搬するために解体を行ったことが判明しており、バラバラ殺人の最も普遍的かつ理に適った動機であると言える。ミステリでは、大きいままだと通らない隙間を通したり、密室殺人など他のトリックと組み合わせて利用される。
―殺人をアピールする
殺人行為をしたという事実をアピールする為にその一部を持ち歩く。その為に死体をバラバラにするというものである。
戦国時代における首級と同様の考えだが、前述と重複する1997年“神戸連続児童殺傷事件”(酒鬼薔薇事件)では、被害者の少年の頭部が声明文とともに中学校の正門前に置かれていた。犯人が当時中学生であったことから世間や社会に対して、或いは特定の個人に対する自慢や過剰な自己アピールという劇場型犯罪にもカテゴライズされるものだろう。
海外の例では劇場型犯罪の元祖とされる切り裂きジャックが有名である。既出の運搬目的とも一部重なるが、警察や世間や特定の人物に対して殺人の明白な証拠を突きつけるという目的が考えられる。
◇なぜ人は死体をバラバラにするのか?
冒頭でも触れたが、私自身は死体をバラバラにするのは心理的に少しも特別なことではないと思っているということが読者諸氏にもお分かり頂けただろうか?
実際に起こった事件や類例を見てみると、基本的には事件の発覚を恐れ、死体そのものを隠して、可能ならば犯行自体を隠蔽する事を目的として死体をバラバラにするケースが多いようである。
死体の切断作業には多大な労力と時間を要することは容易に想像できるが、それでもバラバラ殺人が後を絶たないのは死体さえ見つからなければ安心だという心理が働くからだろう。実際、死体が発見されずに殺人罪が立件された例は極めて少ない。
ある人が突然蒸発しても死体さえ見つからなければ単なる行方不明者として扱われ、本格的な捜査が始まらなければ自分の身は安泰という訳である。多少のリスクは承知の上で死体の切断、隠蔽を行う犯人がいるのも無理からぬ事だろう。
犯人側の視点に立ってみれば殺人行為は紛れもない非日常の、取り返しのつかない不可逆的行為であり、むしろバラバラにするのは日常という時間を取り戻す為の通過儀礼であるという見方もできるからだ。人間一人を痕跡ごと存在したという事実や記憶や記録に至るまで、この世から一切合切消すというのは実際のところ不可能なのである。
個人による情報発信が簡単に行えるインターネットの普及により、劇場型犯罪がより行いやすい環境が整っている今、この種の犯罪がエスカレートするのも時間の問題なのだろうか。
その矢先に起こった今回の事件であったのだから、私自身の感慨を多少なりとも親愛なる読者諸氏には察して頂きたいところである。フェアプレーを期すという意味で読者諸氏には今回は情報を共有するという先行する形で僭越ながら提示させて頂いた。物語に幕間を挿入するという非礼は重ねてお詫びしたい。余計な世話とも暴挙とも紙汚しともとられそうだが、多少なりとも作者自身の意図や危惧が伝わってくれることを願ってやまない。そして、願わくばこの後に語られる事件のさらなる顛末を以て、この事件の謎に挑戦して頂きたい。
Personal Data
Name :東城 達也(とうじょうたつや)
Age :32
Profile:都内の大手出版会社S社勤務の事件記者。週刊『実録犯罪』編集部で数々の事件を手がけ、奔走する。
親友の西園寺和也とは大学時代の同期。犯罪心理学のゼミ生時代に西園寺と知り合い、現在も交流。
至って穏和で寛容な性格で、自身に尖ったところはなく、突っ込み役にむしろ向いていると自負するほどの典型的な草食系男子。
自身の手掛けた様々な怪事件や難事件を、いつかワトスン博士のような記録者となって書籍にして刊行したいと考えている。「私」。