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第十六話

 ユーライジアという世界においては、最早当たり前に近いことではあるが。
 思えば猫のおれっちにとって初めての異世界旅行。
 何があるかも分からず、寝床一つとったってまともに確保できるかどうか。
 なんて危惧していたのは昨日の夕方までで。
 
 ごしゅじんの知り合いであるお犬様のステアさんのご厚意により、妹ちゃんの住むお屋敷と比べてもなんら遜色のない、ふかふかのベッドと温かいごはんをいただけて。
 幸先いいなとお気楽な心持ちでいたのは寝床に就くまでのことだった。

 何故ならおれっちは、ぬくい布を敷き詰められたバスケットの中で、寝に入る前の儀式のごとく、今日一日あったことをいろいろと考えていたからだ。

 それは、おれっちのどうしようもない癖のようなもの。
 思い込みであるのならそれに越したことはない、石橋を叩くかのような妄想にも似ている。


 この世界は、ごしゅじんの故郷。
 それはいい。
 だが、おれっちが見る限り、ごしゅじんに対し不穏な空気が漂っている気がするのだ。

 まず、この世界で初めて出会った少女のこと。
 ごしゅじんは、知り合いのように少女の名を呼んだ。
 でも、ごしゅじん自身ですら、それは確信の持てない曖昧なもので。
 そこには、世界同士の時間の進み方の違いもあるのだろうが。

 対する、ファイカと呼ばれていた少女は、おれっちの見立てではやはりごしゅじんのことを知っているようであった。
 と言うより、引っ込み思案で人見知りするごしゅじんが知っている人だと言うくらいなのだから、それなりに付き合いのあった人物であることは想像に難くなかったわけだが。

 
 そんな彼女は、こちらの話もろくに聞かずに、立ち消えてしまった。
 彼女が、魔法等で創られた分体であったことは、予想できる。
 喋るおれっちに驚いて集中が切れてしまった、なんてこともあるかもしれない。
 
 でも、どこか腑に落ちなかった。
 何か別のものに驚いているように見えたのだ。
 いや、何かなんてはぐらかす意味もなく自明だろう。
 
 彼女はごしゅじんを見て驚いていたのだ。
 そこには少なからず、畏怖めいたものもあって。
 それがおれっちには、時間軸が違うことで急成長したように見えるごしゅじんに対してのものにしては、違和感があった。

 それは、レンちゃんたち三人組もそう。
 一見なんでもない会話をしている時だって、彼女らは明らかにごしゅじんに警戒していた。

 まるで、ごしゅじんに何か警戒すべきものを幻視しているかのように。
 特にキィエちゃんは顕著だったように思える。

 それは、おれっちの知らないこの世界でのごしゅじんを、彼女たちが知っているような……そんな感覚で。

 
 故にどうしても勘繰ってしまうのだ。
 もう陽が暮れるというのに、一足先に港町へと向かった彼女たちに。
 依頼主を安心させるためだけじゃない、他の理由があるのではないかと。


 更に、お犬様のステアさん。
 ここまで良くしてもらって、疑心を浮かばせるのは忍びなかったが。
 はたして目や髪の色が同じだというくらいで、ごしゅじんと別の子を間違えるだろうか、ということだ。
 しかも、ごしゅじんの髪色は魔法で変えられたものであり、元々は別の色。
 おれっちには、それはが何かを誤魔化すための拙い言い訳にも聞こえた。

 第一、鼻がきき理性があり、言葉を操る彼女がそんなミスをするなんて、どうもしっくりこないではないか。
 実際、この屋敷を訪れたものがごしゅじんでなければ、あのぬいぐるみたちの攻勢は止まらなかっただろう。
 さらった少女を、傷つけぬようもてなしていたことも含め、他に何か意図があったのではと考えるのが自然な気がした。
 

 そして、ヨースのあの日記。
 星を集めるための本。
 ステアさんのお屋敷に一泊する際、またしても光っていたそれ。
 拝見してみれば、『課題クリア、星三つ獲得』と追加されていた。
 
 まだ先は長いが、どうにも流され引っ張られているかのような感じは否めない。
 まぁ、その事に関して言えば。
 ヨースがごしゅじんのためを思っているだろう事は確信を持っているので、星を集めることを否定することもないわけだが……。
 

 
 そんな風に考え込んでいたら。
 いつの間にやら眠りこけていたらしい。

 気付けば次の日。
 ふわふわのバスケットの中で、眠っていたはずのおれっちは、それ以上に柔らかな感触とぬくもり、ミルクのような甘い香りに包まれ……窒息、あるいは圧死しそうになっている自分に気付かされた。


 「みゃぁぅんっ」

 そう、それこそが死を孤独に迎える猫の習性に反した、おれっちの死に場所。
 でも本当に死んじゃったら元も子もないので、呼気を吐き出すみたいに鳴いてみる。

 
 「っ……ヨース?」

 多分、まだ寝ぼけているのだろう。
 だけどそれは、愛しいものを呼ぶ声。
 
 正直複雑な気持ちではあったが。
 そこで、自然と反応する尻尾の色づいた部分を掴まれる気配。
 ぱりっと、ごしゅじんとおれっちの魔力が反発する感覚。


 「みぎゃっ、いた、いたいって!」

 それを抑えるために、仕舞いにはほとんど悲鳴に近い声でそう叫ぶと、ごしゅじんはようやく我に返ったようで。
 あれよあれよという間に、両手で胴を挟まれ、気付けばおれっちは再びごしゅじんの腕の中。


 「どうしてティカのベッドにおれっちがいる訳?」

 抗議の意味も込めて見上げながらそう言うと。

 「……違う、おしゃが入ってきたの」

 たわわな谷間の向こうでそっぽを向き、赤くなってそんなことを言うごしゅじん。
 とてもじゃないけど、猫に対し反応ものとは思えないよな、なんて考える一方で。
 なんという可愛い嘘であるかともだえるおれっちがいたりして、思わず全身の毛が震える、まさにその瞬間。
 ごしゅじんの外見にそぐわぬ荷物袋(ちなみにこれも妹ちゃんお手製の大きなやつだ)が、煌々と光を発した。


 「……っ」

 おそらく、ヨースの日記帳が、また新たな文字を浮かび上がらせているのだろう。
 ごしゅじんははっとなり、片手でおれっちを抱えたまま荷物に手を伸ばす。

 案の定、鼓動のごとき拍子を刻むかのように、明滅を続ける日記帳。
 ごしゅじんは、ページをめくるのを躊躇わない。
 基本、動きの緩慢なごしゅじんにとってみれば、それは急いでいる、あるいは焦っていると思われてもおかしくない行動。

 まぁ、単純にヨースからの反応が嬉しいだけなのかもしれないけれど。



 「……」

 じっと、炎でも灯りそうな勢いで、日記を見据えるごしゅじん。
 例のごとく、桃源郷を抜け出し肩口から覗き込むと、そこには新たな『星』を獲得するための指令が下されていた。

 今回新たに書き足されていたのは、主に三つだった。

 一つ目は、『冒険者ギルドに登録する。獲得星数、二つ』。
 二つ目は、『友達を作る。獲得星数、一人につき一つ』。
 そして三つ目は、『船旅に出る。獲得星数、二つ』、というもので。

 なんか最初と書き方が違うというか、だんだんと曖昧になっているというか、なぁなぁになっているというか。


 ふいに顔を上げ、ごしゅじんの顔を伺ってみると、眉がきゅっとなっている。
 ごしゅじんが自身の罪悪感を乗り越え、立ち上がるためにということが、ありありと伺えるそれ。
 
 特に友達を作るなんてことは、ごしゅじんにとってみればかなりの難業に違いない。
 血を分けた肉親である妹ちゃんですら、共にあることを良しとしていなかったし(自分が悪いという理由で)、ほんの少しの間とはいえ、レンちゃんたちと行動を供にできたことですら、相当頑張ったなって褒めてあげたいくらいなのだから。
 
 
 「ギルド……あの娘が話してくれた?」
 「あ~、厳密にゃあ妹ちゃんは所属してたわけじゃないらしいけどね。でもまぁ、似たようなものじゃないかな。お金と夢と名声と、生きていくための仕事を得るための場所。こっちの世界でもそう変わらないんじゃないかな」
 
 
 おれっちより、こっちの世界に詳しいはずのごしゅじんとはいえ。
 ギルド等のことを知らないのは、仕方のないことなのかもしれない。
 
 今では牢屋暮らしからその日暮しの旅カラスのごしゅじんだけど。
 元々はいいとこのお嬢様……というより、ユーライジアという国の姫の一人と言っても差支えがないのがごしゅじんなのだから。

 聞いてびっくり納得ではあるが。
 実のところこのお屋敷でさえごしゅじんの家のもの……別荘らしく。
 ステアさんが、管理していたものだそうで。

 この場所だけで考えたって、そもそも生きていくためにギルドで働かなければならない必要性など、本来ならなかったはずなのだ。
 まぁ、趣味でギルドのお株を奪うような仕事をしていた妹ちゃんのことを考えれば、いずれはごしゅじんも同じ道を歩むだろうことは容易に想像できるわけだが。

 
 「ギルド……どこにあるの?」
 「そうさねぇ。レヨンの港町だっけ? そこに行けば分かるんじゃない? どっちにしろあの三人娘たちとの約束もあるし……おお、うまくすれば三つとも達成できるかも」


 星を獲得するための助言などがない代わりに、制限時間のようなものもないとすると。
 じっくり腰を据えてやれば不可能はないと言うか、むつかしいのは二つ目だけだろう。
 残りの二つは、言われなくともやっていただろうし。


 「あの三人組と別れる前にこの指令出てたらなー。今頃星四つは貯まってただろうに」

 レンちゃんとキィエちゃんとジストナちゃん、それからラウネちゃん。
 ついさっきまで警戒していたことなどおくびにも出さず、おれっちはそんな事を言う。

 事実、あの三人の冒険者少女たちと、ごしゅじんが打ち解け始めていたのは事実だったから。
 大丈夫じゃないかな、なんて思っていたんだけど。


 「……でも、友達って、どうやってなるの?」
 「それは。そういやそうだなぁ。どうやってこの日記、達成不達成の判断してるんだろう?」


 多分ごしゅじんは、素で友達を作る方法を聞いてるのだろうけど。
 それで気付かされたのは、まさしくその言葉通りのことだった。
 
 単純に口頭で友達の許可をもらえばいいのか?
 あるいは心でお互いがそう思えばいいのか。
 この指令に限っては、成功失敗というよりも、星が加算されていくもののようだから、試してみるのはありかもしれない。

 おれっちは、ならばとばかりにごしゅじんの肩口から飛び降りて。
 部屋に備え付けられてあったテーブルの上に颯爽と降り立つと、改めてごしゅじんに向き直る。

 「よし、それなら試してみよう。友達になってくれますか……って、おれっちに聞いてみ」
 「……やだ」  
 「はい、分かり……ってはやっ! 否定すんのはえぇって! そりゃあ、愛玩動物と友情の約束だなんて馬鹿げてるけぶほぁっ!?」


 さっきから随分と俊敏なごしゅじん。
 おれっちがちょっぴりショックを受けながらもそうぼやくよりも早く、両の手でテーブルからかっさらわれ、再び天国と地獄。
 

 さらわれた先はいつもの桃源郷。
 死に場所故に息もできない。
 
 なんてのはうまくないし、冗談にもならないので、必死に谷間から顔だけ出しておれっちは抗議の鳴き声を上げる。


 「い、いきなりどうしたっ。おれっちは基本的に大歓迎なんだけどもっ」
 
 ただ、強いて上げるとすれば、恥らって逃げ出すくらいの方が好みなのだが。
 こんな子猫にそんな反応するのは、猫好きだけど触れない妹ちゃんくらいのものである。
 人間の姿なら、恥らって花が咲くように赤くなるごしゅじんの姿が浮かぶんだけど……。


 「……」

 そんなありえない、益体もないこと考えつつ見上げるも、ごしゅじんは僅かばかり抱擁の度合いを強めるばかりで、何も語らない。


 「……」
 「……っ」

 それでもじぃっと見つめていると、さっきまで想像していたものが具現化したみたいに、頬を赤く染めるごしゅじん。

 おお、貴重な反応だ。
 愛玩動物に対してと考えれば行きすぎな気がしなくもないが、心は人間の漢であるおれっちとすれば悪くない気分だった。
 
 ひょっとして、愛玩動物云々じゃなくて、友達だなんてつれないわ! って言いたいのだろうか。
 はは、まさかね。そんなことあるわけないのに。
 

 「ティカさま、おしゃさま、おはようございます。朝食の用意ができましたので、食堂までお集まりください」
 「……っ」
 
 ある意味、そんな夢見心地で油断していた……ってわけでもなかったんだけど。
 まるでいきなりドア越しに出現したみたいにに、ステアさんの声がする。


 「は、はい。今行きます」

 慌てた様子のごしゅじんに、くすりと犬らしくない笑みをこぼすステアさん。

 おれっちは内心の驚きを出さぬようにしつつ、一声鳴いてそれに応えて……。


              (第十七話につづく)





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