Part7『不審な輩』
最寄りの駅から乗り込んだ電車内のやや硬い緑色の座席に腰を下ろし、秒針を刻むような一定間隔の揺れと音を聞きながら、僕は窓の外の高速で移り変わる森の風景を眺める。
そんなめまぐるしい穏やかさとは無縁の流れは、しかし唐突に終わりを告た。
「おお……っ」
遮蔽物を通り過ぎた事により開けた情景の先には、広大な街が広がっていた。
輝く朝日を反射して鮮やかに揺れる木々や、近くに行けば見上げるほど大きいビルや家も、ここから見ればまるで模型のようにちっぽけで――それを橋の上から悠然と見下ろしているこの感覚が、僕は好きだった。
別に支配欲があるとか、自己顕示欲が満たされるとかではない。ただ、なんとなく懐かしく思えて好きだった。
とは言え見るのはまだ二回目なのだが。よくある話だ。なにか、昔見た光景と重なり、田舎の田園風景に懐かしさを覚えたりだとか――、
「っぁ……いってぇ……」
そんな淡い感慨に癒された心を、頭蓋の内に発生した疼痛の残滓が再び掻き乱す。
この鋭く鈍い、疼くような頭痛は、どうやら頭を強く打ち付けたことによる打撲痛らしい。
――というのも、話によれば僕は父さんの手料理が振舞われるという話を聞いて舞い上がったことで注意力が散漫し、その不注意が祟ってフローリングの床で盛大に素っ転んでしまったのだとか。
そして、挙げ句の果てには硬い床と衝突する鈍い音と共に意識を失ったのだと言う。
「…………」
というのが、その衝撃により一部の記憶の飛んだ僕への父の言い分だ。
――だが、それは違う。
僕は記憶がなくなってなんていないし、もちろん転んでもいなければ、頭を強く打ち付けてもいない。つまり、父さんは嘘をついたという事だ。
倒れる時、様子がおかしかった父さんから事の次第を詳細に聞き出すはずの策略は、思いもよらない結果を僕にもたらした。
――つまり、事実の隠蔽だ。
「だけどそんな事する理由があるのか……?」
いや、あるのだろう。でなければそんな事はしない。すべての行動には理由がある。衝動的にしろ、気まぐれにしろ、やろうと思ってやる事には全て理由が付いて回る。特例があろうとなかろうと、少なくとも僕はそう思っている。
まあ、それが分からないからこうして悩んでいるんだけど。それも答えの出ない往返徒労の堂々巡りだが。
「はあ……」
そんな身に余る難題に萎縮し切った心をほぐすように大きくため息をついたのと、目的地に到着した列車にブレーキがかかるのはほぼ同時だった。
溜め込んでいた空気を吐き出す甲高い噴出音と共に開いたドアから大量の人間が溢れ出し、その流れに巻き込まれながら僕も流れ出す。
「ぐふっ……いたっ! ふぐはっ……!」
揉みくちゃにされて声を上げる存在なんてまるでいないが如く、容赦無く肘や肩やカバンが僕を打ち付ける。
そうして散々至る所をぶつけながらも改札を通り抜け、広い場所に出たときに得られた開放感は、凄まじいものだった。
「都市にあるわけでもない狭い駅のくせに人が多いんだよな……」
至る所に点在する痛む箇所をさすりながら、僕はその元凶たる神城高校や、その横の雲山大学、それを挟み込むようにして立するバカでかいビルを眺める。
何故かここらには大学や中学や高校や会社が乱立しており、僕の神城高校への唯一の交通手段である鉄道車両は大いにその影響を受けていた。
だが文句を言っていても始まらない。それに今は父さんの不可解な行動について考えなければ――、
「おはよう神原! 随分と朝早い出勤だな!」
「づぁ……っ!?」
そんな思考を乱すように、何の前触れも無く肩に炸裂した衝撃に僕は思わずつんのめる。
その乱雑な態度に抗議するべく仏頂面で振り向いた僕へ、鍵峰嗣嵩は快活に笑いかけた。
「おはよう鍵峰……」
底抜けに明るい声に毒気を抜かれ、言いたい事は引っ込んが、しかし、その内容はやや見過ごせない。
「……余計なお世話かもしれないけど言っておくぞ。あのな鍵峰、8時半登校はそこまで朝早くはないし、学校に来るのは出勤とは言わず登校って言うんだ」
「はっはっは。まったく、君は心配性だな。だが、安心してくれ、そのくらいは知っている。商談というやつだ」
「お、おい、冗談だろ……?」
「ああ、もちろん。冗談だ」
「本当か……?」
「言っただろう、冗談だ」
「…………」
二重の意味で聞き返す僕へ、態度の変わらない鍵峰は堂々としたものだ。
ある意味で底の知れない危険分子を怪訝に見つめながら、僕は彼女との距離感を計り兼ねていた。そんな僕へ、鍵峰は胸を張って答える。
「本当だ。私は生まれてこの方嘘をついたことがない」
「その台詞を吐くのは大抵嘘つきだって相場が決まってるんだよ」
「ならば私は特例ということか。そんな事はないぞ神原。別に私は人より優れてなどいない」
「何もかもが違えよ! 多分お前は普通に凡例通りの嘘つきだよ!」
「はははは。神原は面白いな」
「こ、こいつ……――ん?」
心底愉快そうに笑う鍵峰を睨みつつ、低い声で呟く。
そんな彼女に向けた軽い苛立ちの感情は、目の前の光景に四散する。
「なんだ、あれ?……鍵峰、なにか知ってるか?」
「さあ、私にもわからない。何しろ転校してきたばかりなんでな。というか、それを言うなら神原こそ知らないのか? 君は少なくとも一年は通っているのだろう」
その質問への答えを持たない僕は、腕を組んで黙り込む。だが、答えはわからなくても大方の検討はついている。
デカデカと黒フォントで生徒会と書き込まれた黄色いたすきをかけた少年少女。そんな集団が何やらチラシのようなものを配っているとなれば、恐らくは勧誘かなにかだろう。丁度新学期だしな。
「ちょっといいかな? それは……何を配っているんだ?」
なんて、そんな推測を隣を歩く鍵峰に話してやろうと口を開きかけたところで、彼女は足早に彼らに近づいて行ってしまった。
「あ、ああ。これは不審者注意の勧告用紙だよ」
「不審者、注意?」
「うん。不審者注意」
だが、そんな彼女の忙しなさに助けられる形になったようだ。危ない、危ない。知ったかぶりで危うく恥をかくところだった。
しかし、その内容は気になる。
「ちょっといいか? なあ、不審者って具体的にはどんなやつなんだ?」
「どんなやつ……? うーん……まあ、言っちゃえば通り魔だよ、通り魔。なんか、夜の人気のない路地でフード被った奴に刃物で襲われたって、俺はそう聞いてるけど――、」
「……フード……刃物……通り魔」
先行した鍵峰を追う形で駆け寄った僕から投げかけられた質問に、人の良さそうな好男子は神妙な顔で答える。
その恐らくは生徒会の一員であろう少年から語られた話の中で、特に引っかかったワードを復唱する。
「助かったよ、ありがとう。にしても物騒な話だな」
「ああ、本当にね。それに被害は高校生に集中してるらしいんだよな。火事も増えてきてるし……物騒極まりないよ」
「で、それに対する注意喚起ってわけだ。なるほどな。お疲れ様」
「ははは、このくらいおやすい御用さ。――でも、まあ、そう長くは続かないと俺は思うけどな」
「え? なんで、また……?」
肩をすくめてそんなことを言った彼は、聞き逃しそうな音量の呟きにつぶさに反応して聞き返した僕に一瞬目を丸くした。
が、それも一瞬のことで、すぐに気を取り直すと、はにかむような笑顔を浮かべて答えた。
答える前に『高校生の与太話なんだし話半分に聞いてよ?』なんて予防線を張ってから。
「だってさ、まだ誰も殺せていないんだよ? 通り魔であって連続殺人犯じゃないんだ。そりゃあ、フード被ってるからすぐには特定できないけど、やればやるほど目撃者も増えてすぐに捕まるんじゃないかなって思ってさ」
「うーん……いや、それはちょっと楽観的すぎるだろ。なにも殺人犯だけが脅威ってわけじゃないんだし。――それに、そいつだっていつ人を殺すかわからないじゃないか」
「それも……そうだね。でもさ、もう1つ理由があるんだ」
先に貼られていた予防線など綺麗に撃ち砕いて僕は彼の言う与太話をバッサリと切り捨てる。
しかし、そんな不遜な態度にもめげる事なく彼は続ける。
「――ズバリ犯行の粗雑さだよ」
「粗雑?」
「そう、粗くて雑な犯行」
「どういう事だよ?」
「えっとね……まず証拠が残り過ぎてるんだ。犯人自身の毛髪とか血痕とかね」
「え、犯人の血痕も? なんだよ、被害者から反撃でも受けたのか?」
「うん、その通りだよ。でもそれってやっぱり高校生に反撃受けて普通に負傷するくらいの危険度とも取れちゃうのかな? いや、それは流石に楽観的すぎかな――あと、それ以外にもあるよ。背格好が毎回同じとか、ね」
「うーん……確かに楽観視するのも頷けるな」
まあ、頷けるというだけで僕はしないけれど。
しかし、犯人の粗雑な犯行というのも納得だ。と言うかこの調子ならすぐに捕まるだろう。
「まあ、それまで頑張れよ」
「ああ、そっちこそね――って、そう言えば一緒にいた彼女、さっさと行っちゃったけど大丈夫なの?」
「……え? あ、本当だ! い、いない!!」
そう言って指さされた背後を見れば、確かにそこにいるはずの彼女の姿はなかった。忽然と、影も形も残さずに。
別にどこへ行ってもいいのだが、何か一言言ってから行けというものだ。
それに話しかけてきたのはそっちだったはずなんだが……まあ、今回は僕が勝手に話題をとって話し込んじゃったっていうのもあるし、自業自得といえばそうなのか。
だが、なんにせよ取り敢えず。
「……僕も行くか」
「あははは、そっちも大変そうだね。お疲れ様」
「あ、いろいろ教えてくれてありがとう。じゃあ、また会えたら!」
「うん、また……会えたらね」
どこか白々しく思えてしまうほどの満面の笑みを浮かべてひらひらと手を振る名も知らぬ生徒会員に別れを告げ、鍵峰を追うように僕は教室へ向かう。
「だから、てめえはいきなりしゃしゃりでてきて鬱陶しいんだよ……邪魔だ、すっこんでろ!」
「いいや、私にはそれは見過ごせない。それをしてしまったら私は鍵峰の家訓を汚す事になるのでな」
「――あれ?」
だが、その足は広い昇降口の隅々にまで響き渡る怒声と凜とした声に引き止められた。
「はあ? わけわかんねぇ事言ってんなよ? ぶっ殺すぞ!!」
いや、正確には均等に二つがではない。三割五分くらいの偏りで後者が上回っていた。
そして件の声色の主は続ける。
「殺すなどという物騒な言葉を軽々しく使うな。なにがあったかはわからないが、そうやってがなりたてていても一向に話は進まないだろう」
「だから、そういう事を言ってんじゃねえんだよ……ああ!! もう黙ってろよてめえは!! さっき言った通り関係ねえだろうがよ!!」
「おい! な、なにやってんだよ、鍵峰!」
「む、神原」
「チッ、また増えやがった……」
駆け寄って問いかける僕に、二人は各々の反応を示す。その反応に苦笑しつつ、二人の様子を確認する。
「その人はお前の知り合いか?」
「いや、そうではない。というか名前も知らないな」
「え? じゃなあんでこんな――、」
訳のわからない行動を咎めようと開いた口は、目に入った茶髪の彼の持つ泥まみれのローファーによって閉ざされた。
「喧嘩……ってわけじゃなさそうだな」
「ああ、大体分かっただろう」
「うん、大体な」
「ッァ!! めんどくせぇなぁ! んだよ、てめえもいい子ちゃん気取りか」
「――はあ?」
ガシガシと癖のついた長い茶髪を掻き回しながら、苛立ちげにそうがなる彼の、その悪びれない態度に僕は気の抜けた声を漏らす。
「こいつもよォ、いきなり突っかかってきて『やめろ』だの『謝れ』だの『洗って返せ』だのギャーギャーうっせえんだよ」
「当然の事を言ったまでだ」
「うっせえんだよ!!」
「なあ、えっと……茶髪の彼――、」
「ああ?」
売り言葉に買い言葉といった感じで再着火しかけた白熱の討論を遮り、僕は声を上げる。
「取り敢えず理由だ。お前はなんでそんなことしたんだ?」
「罰ゲームだよ、罰ゲーム。俺のツレとかけててよ。負けたらそいつの靴に泥塗るってな」
「そいつって事はやっぱ自分のじゃないわけだ。ってか自分のは今履いてるしな」
「ああ、当たり前だろ。こりゃ、あの女のモンだよ」
「あの女?」
「だから……あの――、」
「あ、神原さん、鍵峰さん。早く教室に行ってください。ホームルームが始まりますよ」
「――っ、毎度毎度タイミングが……」
職員室の隣に位置するこの昇降口だ。今まで誰も通り掛からなかった方が奇跡だったのだろう。
だが、そんな奇跡も終わり、タイミング悪く通りかかった女性教師に僕の質問は遮られた。
あと少しでというところでことごとく邪魔が入る。どうやら近頃の僕の運勢はマイナスに振り切っているようだった。
だが、名前1つ聞き出すだけならすぐに終わる。ここは素早く聞き出してしまおう。
「あ、はい。すいませんすぐ行きます……で、誰なんだよ。お前は誰の靴を――、」
「後は茶髪の……? あ、上坂くん! 貴方それ何持ってるの!?」
「ぐぅぅう……!」
本当にタイミングが悪い。実はわざとやっているんじゃないだろうかと思うほどに、彼女は綺麗に僕の質問を完封する。
「神原。流石に無理だろう。放課後にでも問い詰めればいい。今は行こう」
「ああ、そうしよう。僕も怒られたくないしな……」
心残りもあるが、今はあまり悪目立ちしたくない。
「でも、あの下駄箱……確かあそこは――、」
ふと気になった内容を、僕は思案する。
「神原ー? どうしたー? いくぞー」
「あ……ああ! 分かった、すぐ行く!」
だが、そんな思案は遥か上の階段から呼びかける声によって打ち切られ、僕は後ろ髪を引く未練をなんとか断ち切って、
「…………」
怒鳴り声の響く昇降口を後にした。