可愛くない私のとっておきの仕返し
彼が女の子に人気なのは昔からだった。
私が彼に釣り合わないという彼女達の言い分も、よく分かっていた。
けれど、
「だからって、靴隠すとか……小学生かよ」
うつむいて歩いていると、視界の隅に白い影がちらちらと入り込む。外を歩くのに不向きな上履きは、地面の凹凸をいつもの靴より伝えてきて不快だった。
(あっ、しまった……!)
学校から家まで三分の一ほど歩いたところで、忘れ物をしてしまったことに気づいて立ち止まる。
明日提出しなければならない課題プリントを、机の上に置いてきてしまった。
靴を探すことに頭がいっぱいになって、プリントのことなんてすっかり忘れていた。
ここから学校までは五分ほどだ。それでも学校へ行きたくなくて、しばしその場で逡巡する。
けれど結局は先生に怒られたくない思いが勝って、鉛のような脚をひきずって学校へとむかった。
◆ ◆ ◆
(ほんっと最悪)
確かに私は顔も性格も可愛くない。人付き合いもてんで駄目。運動だって得意じゃないし、芸術に関してもさっぱりだ。
そのくせ勉強だけはそこそこ出来るというのだから、彼女達が私のことをよく思わないのは理解できる。その上“王子”などとよばれている彼と恋仲なのだから尚更だ。
彼女達同様、私自身もいくら幼馴染みだからといって、なぜ彼が私のことを好きなのか分からないくらいだ。
いつもの癖で下駄箱を開けてから、自分が上履きに履き替える必要がないことに気づく。
思わず深くため息をついてから、教室へとむかった。
静かだから、今日は委員会や部活で使用されてることもないだろう。
無人の教室を想像しながら扉を開き、そして。
時が止まった。
呼吸の仕方も忘れて、ただ目の前の光景に唖然とする。
そこにひろがっていたのは、この世で最も見たくなかった、最悪の場面。
状況を理解すると、私は一秒でも早くそこから離れたくって、自分でも驚くほどの速さで駆け出した。
後ろから彼がなにか声を掛けてくるが、それを振り切ってがむしゃらに走る。
だって。だって、彼は、こともあろうに私の靴を隠したであろう彼女と、唇を重ねていたのだ。
走って走って、けれど運動の苦手な私が彼を振り切れるはずもなくて。
「由未……! 」
手首をぐんっ、と引っ張られて、強制的に立ち止まらされる。
「っざけんな!はなせっ! 」
抵抗するも、放すまいと力強く握られた腕は自由になりそうもなかった。
「ちがうんだ、由未、きいて……? 」
「何が違うって言うのよ……! 」
その言葉と共に彼の顔をみてみると、彼は情けないくらいにしょんぼりとして、今にも泣き出しそうに見えた。
(泣きたいのはこっちだっての……! )
悪いのはどう考えても彼のはずなのに、なんだか申し訳ないような気がしてきてしまう。
「逃げないから、手首、放して。痛い」
彼に向き合ってそう言うと、彼はゆっくりと手を放して、事の顛末を語り始めた。
「お昼休みに、話があるから放課後に教室で待っていてくれって、今井さんに言われたんだ。俺も言いたいことがあったから、分かったって言って、言われたとおり待ってた」
相変わらず泣きそうな顔のまま、けれどしっかりと私の目を見て彼は言う。
「ちょっとして今井さんがきて、付き合ってくれないかって言われた。もちろん直ぐに断ったよ。なんで?って訊かれて、俺は由未が好きだからって、そう伝えた」
少しだけ照れながらも、そんなことを言う。
「それで、今井さんに由未をいじめるのをやめてくれないかってきいて、そしたら、その……キスしてくれたらいいよって言われて」
「はあっ?」
なんだそれは。なんなんだそれは。
「今思うと、もっとほかにやり方があったと思う。それにどんな理由があろうとしちゃいけないことをしたって、反省してる……。でも、俺はどうしても俺のせいで由未がいじめられるのが我慢できな」
「ざっっっけんな!!! 」
彼が言い切る前に、大音量で遮る。
なんなんだほんと。さっきから黙ってきいていれば。
「ふざけんなばか! いつ誰がいじめをとめてくれって頼んだ?」
「それは、その、ごめん……。でも俺、」
「あのさあっ、あんたのせいで私がいじめられてる? はあっ? あんた何様のつもりなの? 私がいじめられてんのは私があの子達に嫌われるようなことしてるからでしょっ? 表で褒めあって裏では貶しあってて気持ち悪かったし、挙句の果てには授業すらろくに聴いてないのに課題みせてとか言ってくるから冷たくしてたら逆ギレされてるだけなんだから! あんたのせいなんかじゃ、全然、ないし、それに」
気がついたら、私は両の目からみっともないほどの涙が溢れていた。
嗚咽がもれそうになってしまって、言葉を発することが出来ない。
彼は昔からいつもそうだ。どこまでも優しくて、どうしようもないくらい馬鹿なのだ。
だからたくさんの女の子から言い寄られて、中途半端な態度をとって傷つけてしまったり、今回のように相手のためと思った行為が逆に傷つける結果となってしまったりするのだ。
けれど涙の直接的な原因は、そんな風に変わらない彼に対する苛立ちでも、今井さん達に対する苛立ちでもなかった。
安心、したのだ。
ずっと、なぜ彼は私なんかと付き合っているのか疑問だった。今井さんはクラスの中でも華やかで目立つタイプで、私よりも余程お似合いのように思えてしまって。
捨てられてしまったんじゃないかと、走りながら考えていた。
だって、自分のことを心配して思いやって行動しようとしてくれた彼に対して、こんな態度しかとれない可愛くないわたしだから。
「ほんと、ごめん……」
人目はけして少なくないというのに、彼にぎゅうと抱きしめられる。
走っているうちに、ちょうど「コ」の字型に並ぶ校舎の真ん中、中庭に来てしまっていたらしい。そして先程からの騒ぎをきいて、なんだなんだと無数の野次馬が、窓から首をだして私達を眺めていた。
私がいじめられるのが気になるのなら、人前でこういう事をしないようにする、とかの方に力を入れてくれればいいのに。
そんなことを思いながらも、好きな人に抱きしめられて嬉しくないはずがなくて。私の方からも抱きしめ返す。
ふと上の方に視線をやると、教室から心底悔しそうな顔をのぞかせる今井さんが見えた。
(そうだ、いいことを思いついた)
私が思いついたのは、とっておきの仕返しの方法。
「ねえ、」
つぶやいて、彼から体を離す。
「私ね、まだ腹の虫がおさまってないんだけどさ」
ほんとうは彼に対する怒りなんて、ほとんど残っていなかったのだが。そう言うと、彼は申し訳なさそうに私の次の言葉を待った。
「ちょっとさ、歯、食いしばってくんない?」
拳をふりあげながらそう言うと、彼は素直に目をつむって歯を食いしばった。
高くあげた拳を一気に振りおろし、彼の頬にあたるぎりぎり手前。急激に進路を変えた拳は、 開かれて彼の胸ぐらをつかみ思いっきり引き寄せる。そして。
私は彼に、奪うような口づけをした。
先ほどの今井さんとのものを忘れるくらいに、熱く、長く。
驚いた彼が目を開いて私を見つめたが、そんなことも気にせずに、つづける。
しばらくして、長い長い口づけを終えた私は、呆然とする彼に
「今度から、余計な気はまわさなくていいんだからね。私には、あんたがいてくれれば、それでいいんだから」
と、そんな言葉をのこして、本来の目的であったプリントをとりに教室へと戻った。
明日から、この騒ぎのことで周りからさんざん好奇の視線や影口を浴びせられるかもしれない。いじめも悪化してしまうかもしれない。
それでも、気分はとてもすっきりしていて。
教室へとむかう私の足取りは、学校へ来るまでとは対照的に、とても軽やかなものだった。