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異端審問


 ドクター・Tは嘘が嫌いだ。

 腕の良い外科医として、常に事実にだけ目を向け、目の前の手術台に眠らされ横たわる喋らない肉体を相手に黙々と処置をする日々。
 嘘をつくことが無い己のフィジカルを粛々と鍛え、規則正しく充実した毎日を淡々と静かに生きていく生活。

 (俺は、たった一度の選択ミスで、どうしようもなく深く暗い落とし穴に落ちてしまったのか?)

 彼は痛感する。
 どれだけ真実を訴えようとも、誰も聞く耳を持ってくれない。一度疑われると、簡単には逃れられない。そんな、中世で起きた魔女狩りの様な状況は、この現代社会においても……いや、人間の小さな集まりにおいてさえもいくらでも起きうる事だと。

 (くそっ。これは異端審問か? ……俺を陥れる? 冗談じゃない……一度捕まりゃあ最後、ドラマの様な逆転無罪は決してあり得ない地獄行き…………だが……俺は違う、自分の能力なら……ああ…………この状況を乗り切る手はたった一つ)

 乾いた唇を舐める。

 (そうだ…………裁く側に、立つ!)

 一身に集まる視線を前に、外科医はもう一度言った。
 「お、俺は…………私は犯人を知っているんだ」

 (上等じゃないか、俺は……この私こそが審問官、そっちに立つ側なのだ)

 沸き立っていた脳の血流が、スゥーっと冷めて行くのが分かる。
 「フフッ、いや……正確に言えば……」

 毅然と背筋を伸ばし、皆を見下ろす。
 「私は犯人を特定できる」

 一言一言を罪人に告げるようにハッキリと威厳を込めて結んだ。

 「なぜなら私には嘘が分かるからだ」


 部屋に居た誰もが黙り、考え込む。つまりはそれが医者の隠していた特殊能力、異能力なのかと。

 クリスがマーヴェルに耳打ちした。
 「そんな便利な能力あるんかなぁ? ほんまかな……」

 名探偵に言わせると、残念ながら洞察力に乏しい相棒だが、その疑いはもっともだとマーヴェルは思った。そこで周りの同じ疑問を抱いた人々に先駆けてドクターに聞いた。

 「この館に集められた招待客は、普通なら耳を疑う様な人外の能力を、間違いなくお持ちであろう事は十分推察できます。僕の超絶推理力……まだまだ真価を発揮できていないところが心苦しいですが……まことにもって……」

 探偵は頭に手を置いてバツが悪そうに微笑み、少し間を置き続けた。

 「誰の目にも明らかな……ロクロウ君のサイコキネシス。そしてあなたの能力?……」

 「そうだ。私には嘘か本当かが分かる」

 「では……それを信じるとして……少し疑問が……」

 ややいぶかしげに眉をひそめ、次の言葉を医者は待つ。

 「嘘が見抜けるのなら、コップのゲームに勝てたのでは?」

 皆は、最初の夕食時に一堂に会した際、マジシャンの持ちかけで毒入りコップに見立てたゲームをしたことを思い出した。そこでドクターは見事に煮え湯を飲まされたのだ。

 「フフフ……確かに。勝てた、勝てたかもしれない。しかし……」

 首を振りながら外科医は続ける。
 「あんな下らないお遊びで、能力を明かすのは得策ではないと思った。それにミスターモリヤが『選ぶ方を知っている』と言った言葉に嘘は無かったんでね」

 「なるほど……もし仮に能力と能力のぶつかり合いにでも発展してしまえば、あなたの力にみんなが気づいてしまったと、そういう事ですか」

 マーヴェルはそう言うと、合点がいったと深くうなずいた。

 「私は既に……あんたが似非探偵なんかじゃあなく、何らかの天才的な推理力を持ってる事も嘘ではないと知っている……まあ、そういう事だ」

 名探偵は『それはそれは』と、被っていた帽子を胸に当て、やや大げさに感謝のお辞儀をした。

 やり取りを聞いていたモリヤが、不満を匂わせ口を開いた。
 「おいおい……それじゃあまだ実証できたとまでは言えない」

 スリング婦人の方を窺いながら、彼女にも同意を得るかのように続ける。
 「真実か分からないぜ、あんたたち二人での口裏合わせも考えられる。それこそ出まかせの能力を騙る、とち狂った裁判官様にお前が犯人だと名指しでもされちゃあ、たまったもんじゃない」

 ドクターはその言い様に、もはや苛立ちを覚える事もなく冷静に答えた。
 「シンプルに解決しよう。何でもいいから私に話してくれ」

 さらに自信に満ちた顔で言い切った。
 「表情を読み取られないように後ろ向きでも構わない。嘘を言ってるかどうか全て言い当てるよ」


 メンタルマジシャンのモリヤと、やり取りを興味深そうに聞いていたスリング婦人は、それぞれ別々にドクターの問診を受けることにした。

 嘘と真実を織り交ぜた他愛もない日常会話。

 ドクター・Tは全てを振り分けた完璧に。

 彼の能力に、ほぼ納得感を持った晩餐室の面々は、残りのメンバーを集め、犯人捜しの審問会を開くことに全員一致で賛同した。


 「僕がマーティ君を呼びに行きます……おそらくこの件に関してショックが一番大きいだろうから、ちょっと心配だけれど」

 「……それはありがたいね。では私は……あのじいさん、カメラマンを呼びに行くとするかな」

 「承知した。じゃあ、あたしは御嬢さんを迎えに行くよ」

 晩餐室を出て、それぞれが目的の人物を探しに上階の客間へと別れて行った。


 大人しい青年マーティの部屋の前にマーヴェルは立つ。昨日、ロクロウととても仲良くしていた様子を思い出すと、ためらいがちにドアを数回ノックした。
 「マーティ? いるかな。ちょっと話が……探偵のマーヴェルだけど」

 程なくして、明るい顔のマーティ・アシモフ本人が、ゆっくり開けたドアの隙間から顔をのぞかせた。

 「あ、探偵さん。なんですか?」

 知った顔で安心しドアを大きく開くが、マーヴェルの暗い深刻な表情に気が付く。

 「……何か……あったの?」

 「ロクロウ君が…亡くなった」

 「……」
 ぽそりと言った探偵の言葉を聞き、見る見るうちに顔色が無くなる青年。

 「う……嘘……嘘だ! …………」

 かろうじてそれだけ喉の奥から絞り出すと、後はもう言葉も無くなる。


 重いひき臼を回すように時間がギリギリと過ぎて、探偵が何とか次のターンへ。
 「……気の毒……申し訳ないが、事実なんだ」

 「……し、信じない……」
 まだ完全に消化できていない様子のマーティは、心の内の一言を小さく呟き、呆然と床の一点を見つめ立ち尽くしたまま。

 「ロクロウ君の部屋で……その目で……確かめてほしい」

 酷な事かとも思ったが、探偵は力の抜けた彼を支えながら同じ階のしし座の間へといざなった。

 奇妙な状況の元で新しく生まれた友情、深く繋がれるかもしれなかった、親友になれるかもしれなかった存在。
 ベッドで眠るように横たわるロクロウの死に顔を見て、腰の力が抜けた。
 今まで囚われ漠然と過ごして居た泥沼で滑って転んだのではない、希望に満ち天へと続く階段を上っている途中で谷底へと突き落とされたのだ。

 犯人を見つけるために集まる、そんな探偵の言葉を上の空で聞きながら、彼にはもう周りも見えず、ただ言われるまま後をついて行くのだった。



 探偵と同じく階段を上って行ったモリヤは、初老のカメラマン、オオツの部屋のドアを叩く。

 ガチャリとドアノブが回り大きく扉が開いた。

 「なんだ? なんかようかね」

 白髪交じりの髪が少し湿っている。

 「ああ、重要な用事だ。……サイキックの子供が死んだよ」

 「……あの、威勢のいい子供か?」

 「今朝の騒ぎ……聞こえなかったのか?」

 「すまん……ちょうどシャワーを浴びていた」

 年齢から来る落着きだけとは思えない。人が一人、それも子供が一人死んだというのに顔色一つ変えない、まるで無頓着。

 (……よほどタフなのか? まさか……この状況を知っていた!?)

 「そこで……一階の食堂にみんなで集まることになった。あんたもすぐ来てくれないか」

 「了解した」

 そう言うと、そのまま廊下へ出るとドアを閉める。

 「行こう」

 ミスターモリヤは気づいていた。ドアを開ける時も今も、この男は部屋にカギをかけていないことに。


 スリング婦人は持ち前の身軽さで、3階の一番奥にある、おとめ座の間へと駆け付けた。クガクレ嬢を呼ぶために何度もノックをしたが反応が全く無い。どうも部屋を空けているようだ。

 廊下を見渡し、同階に人影が無い事を確認すると、素早く階段を下りて行く。途中で重い表情をした探偵達とすれ違った。

 2階廊下にも見当たらず、既に1階のラウンジや、食堂を出て一目できる範囲にもいなかったことは分かっている。

 (どこ行ったんだい? お嬢さんは……残るは地下……いや他の部屋の中か? 館の外へ出ちまったのかい? そりゃあ面倒だね)

 そんなことを思いながら、玄関へ向かおうとすると、扉が開き、タイミングよく彼女が外から入って来た。

 「ああ! ちょうど良かった。あんたを迎えに行こうと思ってたんだよ」

 ゴージャスな雰囲気を漂わせる美女、クガクレ アマコは驚いたように目を開く。

 「まあ。……スリングさん……どうかしたんですか?」

 「子供が死んだ。殺されて」
 ギラッとした老婆らしからぬ瞳に光を湛え、言う。

 「え!! 嘘!!」
 アマコは口元に手を当てびっくりした表情になり、視線を食堂の方へ向けた。

 「そこでみんな食道に集まるんだ。話し合いをね……」

 「わ、分かりました。今? じゃあ、このまま行きます…………」

 彼女は食堂へ歩を進めるスレンダーな足。その後姿を背後で、じっと見ながら老婆は思う。

 (ん? なんだろね……この違和感……。彼女の驚きがわざとらしい…………う~ん……)

 「散歩にでも行ってたのかい?」
 食堂近くまで来た時、後ろから尋ねた。

 「ええ、ちょっと気分転換に」
 素晴らしく美しい笑顔を見せ振り向く彼女。ふわぁっとブロンドのつややかな髪も優雅に揺れる。

 「……日焼けは……もう気にしないのかね」

 「…………まだ朝ですし……みなさんの事も大体わかったので、ずっとベールで顔を隠すのも失礼かなと……」

 「そうさね、あんた奇麗だから、その方がいいよ」
 何の裏も無く、彼女はそう思って言った。

 ほんの少しぎこちない表情筋の動き、そのまま笑みを浮かべ食堂内へ入って行く。

 クナには違和感の正体が分かった。


 美しく着飾った美女。目鼻立ちくっきり整い、一見、派手にも見える。

 しかし彼女には匂いが無い。

 おそらく大概のレディにあって当たり前の…………香水の匂いが。

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