宇宙語 ~仲間たちと語らう
今日の最初の仕事は品出しだ。
アパレル関連の派遣会社ときいて登録したのに、二社目でスポーツ用品店に回されたときは、ちょっと不満だった。この店はといえば、コーディネイトやディスプレイの必要なしゃれたテニスやゴルフのウェアはなく、上下セットのジャージやウィンドブレーカーばかり。陳列といったら、売れた品の補充のことだ。
といっても、品出しや陳列は、接客と違って緊張することはない。地道にやれば私にもできる。ただ、人様が一列5秒で済ませる整頓作業に、はてしなく時間をくってしまうことをのぞけば。
「南君、そこまで精根こめて一つ一つ確かめなくても、ざっと見て目につくのだけ直せばいいから。過ぎたるは労多くして功は少ないっていうでしょう。ここはスピードと正確さを天秤にかけて、客が増えるまでにささっと済ませてね」
店長が声をかけていく。また、言われてしまった・・。必死で集中していると、つい時間が経つのを忘れてしまうのだ。
バイブレーター式のタイマーなら、病院で使い方をマスターした。だけど、店に持っていき忘れる、制服に移し忘れる、作業開始のときセットし忘れる‥で使いこなせなかった。
あげくに、棚卸しで残業した夜中に疲れはてて、汚れた制服を洗濯機に放りこんだら、タイマーを出し忘れていておシャカになった。
ついでに、三色ボールペンも出し忘れていたので、脱水のときたまたま隣にあった白いレースのブラウスが赤や紫のまだらに染まってしまい、涙が出た。
そもそも、「ざっと」でわかり「ささっと」できれば苦労はしない。
私には直線でない袋の羅列は、曖昧図形にしか見えない。仕方がないので、両脇を奥から手でなでていき、出っぱりに引っかかれば、そこをつかんで左右に動かす。知らない人が見たら、視覚障害のある人を雇っていると思うかもしれない。
五億年前に生まれて進化を続けたという地球生物の眼‥。
蜂やトンボは複眼で、数えきれないほどの映像をとらえているらしい。カメレオンや草食獣は両脇にある眼で、360度のパノラマすべてに注意を払っているらしい。肉食のライオンやフクロウやヒトは正面に並んだ眼で、物体の厚みを立体的につかんでいるらしい。
私でもちゃんと立体的に見えるような3D眼鏡はありませんか。それとも、ありとあらゆる物体に目盛りか等高線でもつけたら、世界の奥行きがわかりやすくなるんだろうか。
「苦手が多いなら、得意なことを活かした仕事を選ぶといいですよ」
大学の就職支援課でもハローワークでも、そうアドバイスされた。でも、職業にできるほど得意なことって、だれにでも必ずあるものですか。
私はこんな見え方でも、平面に描く絵だけは幼稚園のころから、どの担任にもほめられた。
「大人並みに上手です! ぜひ伸ばしてあげてください」
小中学校でも先生が皆のまえで、一枚だけ取りあげて巧いところを指摘してくれた。中学・高校では当然のように美術選択で美術クラブで。
ただ、風景画だけは評価が低かった。視力2・0以上の私には、遠くの林や山の葉の一枚一枚が見えてしまい、それをどう省略して描いたらいいのかわからなかったのだ。
ところが、高校のときに観た作品展で、その一葉一葉をも逃さないようなたんねんさで描いたサインペン画を発見した。その画家は自閉スペクトラム症をもっていて、すべての作品の画面を同じような緻密さで埋めつくしていた。
人よりなめらかなラインやしゃれた色使いをこなせたからといって、誰もがイラストレーターや絵描きやデザイナーになれるわけがない。私はどこまでも中途半端だった。
「好きなことは趣味でやるほうが楽しめるから。仕事だと妥協させられたり〆切に追われたりで、好きなものが苦痛になっちゃうこともあるよ」
目ざして挫折するまえに予防線をはった母の言葉は、けっして間違いではなかったと思う。じゃあ、私に向いたことって? 適性テストを何種類うけてみても、コンピューターは毎回微妙に違う「適職」を勧めるだけだ。
午後、店長が外回りに出ていて、菊池さんは休憩中のときに、電話が鳴った。
なにが苦手といって、電話ほど緊張するものはない。まえに、入荷数の知らせを聞きまちがって大迷惑をかけたこともある。私が出て、また聞きちがえたらどうしよう。
もう一人のアルバイトの子に出てもらえないかと視線を送ったが、あいにく接客中。家なら居留守もつかえるが、職場ではそうはいかない。仕方なく、こわごわ受話器を取った。
「こちら○○○○○高校バスケ部の○○○○デス、○○○○○○○○○○フォームノ○○○○、Mサイズを13、Lサイズを6、○○○○○○○○○○○タイプ、ライトベージデデキマスカ。ソレトオギノノ○○○○サポーター14コ、○○○○サポーター22コ、アリマスカ」
在庫の問い合わせのようだけど、携帯電話らしく音が荒れていて、固有名詞が伏せ字をしたみたいに聞きとれない。
「申し訳ありません、お電話が少々遠いようで。恐れいりますが、もう一度お願いできますでしょうか」
「○○○○○のバスケユニフォームの○○○○、Mサイズを13、Lサイズを6、○○○○○○○○○○○タイプ、ライトベージで。それと、オギノの膝用サポーター14コ、指用サポーター22コ、ありますか」
二回聞いたことで翻訳できた部分はすこし増えた。けど、音が大きくなったからといって、全部聞きとれるわけではない。
「申し訳ございません、一つずつお願いします」
なんとか書きとろうとするが、接客中のアルバイトの女子学生の甲高い声が耳について、電話の声がかき消える。
ペンを握る手が汗でべとつく。そのくせ額がひんやりする。それが気になると心臓まで無用に強く打ちだす‥
そのとき、横から白い手が伸びてきて、受話器をすっと奪いとった。
「もしもし、お電話替わりました。担当の菊池でございます」
休憩を返上して出てきた?
「はい、高瀬川高校バスケット部の吉崎様、‥エシックスのバスケユニフォーム上下のブラックを、Mサイズが13着、同じくLサイズが6着。‥ロゴは書体がカレッジタイプ、色がライトベージュで。‥オギノの膝用サポーターが14コ、指用サポーターが22コ‥以上でございますね。只今、メーカーに確認いたしますので、少々お時間いただけますでしょうか。のちほど、折りかえしお電話いたしますので、お電話番号をちょうだいできますか。030・745・8905。本日夕方五時前後でもよろしいでしょうか」
菊池さんが用紙にすらすらと記入していく。イージーオーダーの電話だったんだ‥。
「申し訳ありません!」
電話をきった菊池さんに、頭を膝につきそうなくらい下げた。おじぎは背筋を伸ばしたまま45度と教わったけど、今はその倍は気持ちが入ってるから。
「いいのよ」
菊池さんは注文用紙を片手に、さっそくメーカーに電話しはじめた。とり残された私は、それ以上謝りようもない。使えない人‥とあきれているに違いない。店長になんて報告されるだろう。
落ちこんだ気分で休憩を交代し、冷房のない蒸し暑い従業員用トイレに入る。休憩といっても、小売業は全員が時間をずらしてとるから、話せる相手もいない。トイレを済ませて、持参のペットボトルに詰めてきた生ぬるい水を飲むだけ。
「‥私ハ大丈夫、私ハ大丈夫、カイクグッテ生キルンダ」
自信のわくようなことも、励みになるような何かも起きないなら、自分で自分に暗示をかけるしかない。高校のころからピンチになるたび、自分にかけてきた呪文をつぶやいてみる。
殺風景な壁には、そこだけ不似合いな虹色のスペクトルが映っている。向かいのガラスばりのビルをわたる光の反射が、トイレの換気窓に届き、縁を斜めにカットされたガラスを通って屈折するのだ。どういう角度の加減か、毎年夏のあいだだけ見られる現象だ。
紫外線の視える動物たちはこの帯の外側に、ヒトの知らないどんなにきれいな色が見えてるんだろう‥
世にも美しいこの帯を理科の実験で初めて見たとき、絵具は七色混ぜれば黒くなるのに、光なら白になるのが不思議で、先生にたずねてみた。そしたら、先生はなにやら遠い目をして、科学というよりは哲学めいた答えをくれたっけ。
「それはねえ、太陽がヒトにとって全き光であるっていう証拠なんだ」
‥私にはいろんな色が足りない。半端なスペクトル。
どうして私たちは、オールラウンドに能力を求められるんだろう。電話の受け答えのマニュアルなら、私だって暗記している。自慢じゃないが、声はでかいし滑舌も悪くないと思う。
けど、使えない、工夫もへったくれもない。そもそも聞きとれないのだから。
家に戻ってから、今日もパソコンにつづる。
「私は聴力は問題ないのに、電話の声が聞きとりにくいんです。そういうのに役だつ補聴器ってないんですよね。Ωが普通の補聴器っぽい形で作ってくれたんですが、電話専用の聴きとりやすい機種が開発されたらいいのにって、まじで思います」(風に舞う木の葉)
「あたしも食堂とか飲み屋だと、周りの雑音で、向かいの連れの声が聞きとれないよ。ぜったい、目の前にいる人の声のほうが大きいはずなのに、とけ込んじゃって区別つかないっていうか(~~;」(ヌクラ☆らぶ)
「そうそう。何回も聞きかえすのがうざいから、聞こえたふりで適当にうなずいとくだけ。けど、そうすると後で話ずれて、ドツボにはまる(汗)」(その名も生ゴミ男)
「大学の講義は、ボイスレコーダーで録音しておいて、パソコンに音声入力して文字に起こすようになってから、成績上がりました。小・中・高校でも録音が許されてたら、もっといい学校にいけたのにと無念です」(人呼んでリケジョ)
「この症状、法律上は認定されておらぬが、聴覚障害の一種といっても過言にあらずと考える。如何であろうか」(黒主の主)
思わぬほどの反響があって驚いた。
「穴に話しかけんのは、耳壊れてたからか!? 人類のオトモダチねえな!!」(嵐を呼ぶ使者)
「そういう嵐クンも、ここに参加してらっしゃるってことは、ご同類では?」(ヌクラ☆らぶ)
「おまいらみたいに、海坊主わいてネエよ!!」(嵐を呼ぶ使者)
「皆さん、無視しましょう」(自称ジェントルマン)
「テレビがついてる店って最悪な。巨大プラズマテレビなんか、いわゆる音声以外の電磁波が耳鳴りみたいに凄すぎて、回れ右で逃走(苦)」(その名も生ゴミ男)
「私も携帯電話のきぃ~んって音が、神経に障って使えません。子どものころ、絶対音感とやらで感心されてたけど、べつに音楽家や調律師になるつもりじゃなし。なんの意味もありません」(人呼んでリケジョ)
「耳鼻科の問題じゃないのかもしれませんねえ。神経内科とかでしょうか」(自称ジェントルマン)
おそろしいほど鈍感な部分と、妙に敏感な部分の両方を持てあましている人間が、こんなにいたなんて。
世界は、行く手の見えない年中うす暗い海だ。だけど今は、そこに薄日が射しこみ波頭がきらめいている。