バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

01

 ──この話、漫画とかゲームの元ネタになってることが多いんだよね、読んでみなよ。

 二年前、彼が『北欧神話物語』を評した言葉なら、一言一句たがわず覚えていた。心に残った、とまで言うつもりはないが、呆気にとられたことだけは覚えている。本を貸し借りするような関係が、高校卒業後まで続くとは思っていなかったのだ。

 そもそも、当時だって大したことはしていない。シリーズものの漫画と小説をいくつか買い揃えていれば、毎月のように発売日は訪れる。それでも興味をひかれるもの全てを買えるなんてことはなくて、学生の財布事情を考えればそれも当然だった。

 となれば、友人との貸し借りは自然と行われることになる。私の場合、趣味が合ったのが異性だったというだけで、たとえば同年代の同性間で本の貸し借りをしていることは、なんらおかしいことではなかったはずだ。現に、紙袋にシリーズ全巻を入れてまとめて貸し借りしている様子は、大学でだって見ることができる。

 私と彼の関係は、ほとんどそれだけで成り立っていた。読みたい本があって、二人で分担して買って、貸しあって、借りあう。たまに本の話をして、けれど必要以上に近づくこともない。

 おそらく、彼にとって私との繋がりはこれしかなかったのだ。彼が自信をもって語れる話題、と言いかえてもいい。だから、本以外の話題を含んだメールには返事がこない──そう考えれば、まだ理解できないこともない。

 それだけの関係、というのも、もどかしいものがあるのだが。

「……よ、久しぶり」

 控えめな声に振り返ると、彼はちょうど自転車を降りるところだった。

 ──卒業式のあと、会ったところで。

 メールの指定通り、私は住宅街から少し離れた川べりに立っていた。川といっても、清流には程遠い。たんぼの水をかき混ぜてそのまま流したような泥水が、上流も下流もずっと続いている。

 河川敷も極端に狭く、急な傾斜は小さな子供が川に近づくことすらためらうほどだ。両側の道も農作業用のそれとそう大差はなく、周りに広がるたんぼの中に完全にまぎれてしまっている。

 通る人間なんて、ほとんど見たことはない。このあたりは冬の間、たんぼになにも植えないものだから、さらに人通りは少ない。物好きな釣り人か、まれに犬の散歩をしている老人を見かけるくらいだ。

 遠くには、木々が密集して生える小高い丘のような山が見える。反対側には、高台に建つ小学校と住宅街があるはずだった。

「変わってないね」

 ぽろり、と私の口からこぼれた言葉は、嘘とも本当とも言えなかった。言葉が見つからないまま辛うじて出た言葉のはずなのに、本心ではないような気もする。

 彼は、こんな顔だっただろうか。よく考えれば、私はろくに彼の顔を見たことがなかったかもしれない。ぼんやりとした記憶の中より、にきびの目立たない顔になった──ぐらいは断言できる。そのくらいだった。

「そっちも、変わらないな。安心した」

「都会行って、変わると思った?」

「向こうの方が、面白い人とかおしゃれな人とかいるんじゃないの」

 聞き慣れた、ぎこちない口調。所在なさげに自転車のハンドルを握りなおす手も、どこか見覚えがある。

 変わりないようでなにより、と言う気にはなれなかったが。

しおり