(13)ちょっと危険な『おもてなし』
そしてグリードと入れ替わる様に、イーダリスとファルドが応接間にやって来た。
「ソフィア。そこでヴォーバン男爵とすれ違ったが、想像していたよりも随分早く帰ったな。もっと粘るかと思っていたんだが」
「それに壁に背中をこすり付ける様にして、横歩きで俺達の前を通り過ぎて行ったんだけど、姉さん、何かやったのか?」
弟が疑いの眼差しを送ってきた為、ソフィアは半ば腹を立てながら言い返した。
「人聞きが悪いわね。普通に話していただけよ。ちょっとからかってやったけど」
「それなら良いんだけど……」
「ところで? どんな話になったんだ?」
何となく心配顔のイーダリスと、興味津々のファルスに向かって、ソフィアは皮肉っぽく語った。
「持参金も必要無いなら、この家の相続権も放棄して無一文で嫁に行ってやりますと、言ってやったわ」
「成程な。……こうなると、早速今夜あたり来るか?」
「と言うより、絶対来ますよね? 私に変な気を起こさせない為に」
飄々と問いを発したファルドに、ソフィアが不敵に笑いながら応じる。しかしイーダリスは、懐疑的な表情で口を開いた。
「本当に、来るんでしょうか? 仮にもここは貴族の屋敷ですから、騒ぎになったら王都内を警護する近衛軍の管轄内の扱いになって、色々と拙いのでは?」
しかしその希望的観測を、ファルドは若干憐れむように打ち消した。
「貴族の令嬢を襲わせて、その救世主を気取るなんて馬鹿げた事を本気でやった一族郎等に、そんな常識的な判断を求めるのは、無駄だと思うな」
「それもそうですね……」
そこまで言われてイーダリスは完全に諦め、ソフィアは如何にも楽しそうに宣言した。
「そういう訳だから、イーダ! 私これから早速、お出迎えの準備に入るから。夕食まで部屋に籠るわね!!」
「……もう、好きにしてくれ」
(え? 『お出迎えの準備』って、何だ?)
文字通り頭を抱えたイーダリスをその場に放置して、ソフィアは意気揚々と自室へと向かった。黙って一連のやり取りを見ていたサイラスは思わず考え込んで出遅れ、慌てて彼女の後を追ったが、追いついたドアの前で、あっさり立ち入り禁止を宣言される。
「あ、サイラスはここから入っちゃ駄目よ?」
「なぉ~ん!」
精一杯訴えたサイラスだったが、困った顔をしつつも、ソフィアは断固としてドアを死守した。
「ごめんね~。これから部屋の中が、ちょっと危なくなるのよ。だから今日はイーダと遊んでいてね。それじゃあ!」
「にゃうっ! にゃーっ!」
苦笑いで手を振ったソフィアが素早くドアを閉め、サイラスは完全に閉め出されてしまった。それから彼は暫くドアを叩いたり引っ掻いて訴えたが、室内は全くの無反応であり、諦めてその場を離れた。
それから隣室に入り込んでベランダから隣に飛び移ろうとしても、しっかり侵入を阻む防壁が設置されているのを察知して、サイラスは心の中で、ジーレスに恨み言を漏らす。
(ジーレスさん……。そりゃあ、未婚女性の部屋に防御防壁を展開させるのは、道徳上も当然の事だとは思いますが。何なんですか、この良い仕事っぷりは)
同業者だからこそ分かる、仕事でも無ければわざわざ解除しようとも思わないその緻密な仕事ぶりに、サイラスはあっさりと侵入するのを諦めて、その場を離れた。
(今夜あたり来るって……、まさかルーバンス公爵家の手の者が、この屋敷を襲いに来るのか? そこにあのロイとかって奴が颯爽と現れて賊を成敗する、とかのろくでもない筋書きを、立てているわけじゃないだろうな?)
そんな懸念を脳裏に思い浮かべながらサイラスが廊下を歩いていると、どこかのドアの前で先程の二人が話し込んでいた。
「ファルドさん。ファルス公爵家から託されて、この家を保管場所として管理している、美術品や書物とかはどうしましょうか? 万が一被害が出たら、公爵に申し訳ないですから」
真顔で懸念を訴えたイーダリスだったが、ファルドは面白そうに笑って応じた。
「ああ、イーダリス殿、その点は全く心配いりません。どんな奴でも庭先までは入れてあげますが、あんなにソフィアがやる気満々なのに、邸内に一人だって入れるわけが無いじゃありませんか。全てそのままで結構ですから」
「そうですね。分かりました」
そしてイーダリスはがっくりと項垂れてどこかへと歩き去り、サイラスと目が合ったファルドは「やあ、サイラス。今夜は庭に出たりしないで、大人しく寝ているんだぞ?」と軽く声をかけながら、彼の横を通り過ぎて行った。
(ちょっと危なくなるって、どう言う事だ? そもそも彼女が言ってた『おもてなし』って、何なんだよ?)
先程脳裏に浮かんだ疑問は、解消するどころか益々謎が深まってしまったが、取り敢えず夜は夜通し起きて警戒しようと覚悟を決め、その為の昼寝をしようと、サイラスは寝心地の良い場所を探して歩き出した。そして程良い温かさの場所を見つけて、纏まった昼寝を済ませた所で、丁度良く夕飯の時間になった。
いつも通り食堂で食べている者達に交じって、パンやハムの薄切りや、冷ましたスープを貰って食べていると、日中街中に出ていたジーレスやオイゲンに、ファルドが昼間の顛末を語って聞かせた。そして一通り聞き終えた所でジーレスが食事の手を止めて、ソフィアに静かに問いかける。
「それで、今夜はちょっと物騒な連中を『是非、敷地内にご招待したい』と、そういう訳なのか? ソフィア」
「はい、駄目でしょうか? 頭領」
神妙にお伺いを立てて来た彼女に、ジーレスは苦笑しながら了承した。
「『屋敷内』なら支障があるが、『敷地内』なら構わないだろう。結界は最初敢えて緩くして、賊が粗方入ったら抜け出せない様に調整しておく。ここ暫くの後宮勤めで、身体が鈍っているだろう。好きなだけ暴れて構わない。私が全面的にフォローする」
「やった!! ありがとうございます、頭領!」
完全なお墨付きを貰った彼女は、がくりと項垂れた弟の横で喜色満面で礼を述べた。するとオイゲンが会話に割り込む。
「頭領、俺達は?」
「ソフィアが討ち漏らした分は任せる」
「やっぱり、ソフィアに甘くないか?」
素っ気なく応じたジーレスにオイゲンは思わず愚痴を零し、その場は軽い笑いに包まれたが、ソフィアの言っている『おもてなし』の内容がうっすらと判別できてきたサイラスだけは、聞かなかったふりで黙々と食事を食べ続けた。
その日の深夜。
ソフィアは寝入るどころか、お手製の覚醒作用のある特製飲料を、景気良く一気飲みしてから庭に出た。そして照らす物が月明かりだけという貴族の屋敷にしては暗い庭で、不埒者の不法侵入を今か今かと待ち受ける。
「……来たわね」
月が流れてきた厚い雲に隠れ、月明かりすら無くなった庭が暗闇に閉ざされたが、先ほどの微妙に不自然な雲の流れから、それはジーレスの魔術によるものであり、この屋敷の周辺に賊が集結しつつある事を暗示していた。それをこれまでの経験で、それを正確に認識していたソフィアは、細心の注意を払いながら引き続き塀際の木立の中に身を潜めていると、少ししてから塀の少し離れた部分から、次々と何者かが飛び降りる気配を感じる。
「……10、11、12。全員で12人か。肩慣らしには、ちょうど良いわね」
そう言って自分だけに聞こえる程度の声でソフィアは呟き、足音を立てずにゆっくりと移動を開始した。