17.思惑
取り敢えず大きなトラブルも無くシベール川に到達した近衛第四軍は、その川を渡ってランゼーム川までの地域で展開していた、近衛第五軍及び近隣領主軍と合流した。既に小競り合いは何度か生じた後であり、対するレストン国の方でも時を前後して増援が来たらしく、忽ち一触即発の状態になる。
二つの川に挟まれた地域は南側は見晴らしの良い低地ではあったが、水はけが今一つで足場の確保の必要性から、自然にそれよりは北側の丘陵地帯が主戦場となった。
エリーシア達が到着した二日後から、本格的な衝突が始まったのだが、「取り敢えず戦場での動きと、魔術行使の仕方をきちんと把握しておくように」とガルストから言い含められ、エリーシアは最初の数日間、戦場の観察に時間を費やした。
大人しく状況を観察していると、むやみやたらに術式を起動させると味方に甚大な被害を及ぼしかねない事や、相手方にも兵士をサポートする魔術師が存在する為、そちらがどんな魔術を繰り出してくるかによって減殺されたり相乗効果が出たりして、思い通りな効果が出ない場合がある事が分かる。頭では分かっていたつもりでも、実際に目で見ると一度で納得でき、恐らく自分の護衛兼、これまでに従軍経験がある為に指導役として一緒に残されていたであろうサイラスに、その都度疑問点を尋ねて解説して貰っていた。
そうこうしているうちに、冷静に全体の動きを把握できるようになり、それなりに素早く頭の中で対策を練り上げる事ができる様になったエリーシアだったが、丘の上から乗馬したまま、ここ数日で芳しい成果を上げていない自軍の動きを見おろして、隣に馬を並べていたサイラスに囁いた。
「ねえ、これって、一進一退って事よね?」
この何日かの動きを纏めて考え、意見を求めると、サイラスは真顔で頷いた。
「そうだな。膠着状態とも言う」
「司令官が無能なの?」
サラッとエリーシアが口にした言葉にサイラスがギョッとした顔になり、慌てて周囲を見回してそこら辺にいる近衛兵で、この発言を耳にした者がいないかどうか確認してから、声を精一杯落としながら彼女を叱り付けた。
「命が惜しかったら、口が裂けてもそんな事は言うな! 主軍の第四軍は健闘してるし、近隣領主軍の私兵集団も割と統率されててそれなりの働きを見せているのに、これはどう見ても第五軍の動きが悪過ぎるんだよ!」
「じゃあ第五軍の司令官が、無能って事じゃない」
「……頼むから黙っててくれ」
頭痛を覚えながら懇願したサイラスに、エリーシアは不満そうな顔をしたものの、大人しく黙り込んだ。そこで両軍共に撤退の合図の音があちこちで響き渡り、それぞれの陣に引き上げる動きが目に入る。
「さて、今日はそろそろ終了か」
「じゃあ、手際良く済ませましょうね」
ここからは待機していた二人の出番であり、火や水の準備を済ませて糧食の荷ほどきを済ませたり、負傷者の受け入れ態勢を整えて、医師団と協力して治癒魔術の行使をしたりと忙しく動き回り、当然の結果として実働部隊が食事を済ませて寝支度を始めた頃に、漸く二人は食事にありついて、焚き火の前で食べ始めた。そして半分以上食べ進めた所で、二人を探していたらしいガルストとシュレスタがやって来る。
「エリー、サイラス。ああ、まだ食事中だったか」
「構わないから食べていてくれ」
手ぶらでやって来た為、どうやら作戦会議をしながら食事を済ませてしまったらしいと判断した二人に、エリーシアとサイラスは軽く頭を下げて声をかけた。
「お疲れ様です、お二人とも」
「怪我とかはされてませんよね?」
「ああ、大丈夫だよ」
「それよりさっきの作戦会議で、少し困った事になったんだ」
「何ですか?」
本当に困った様にガルストが言い出した為、エリーシアは思わず食事の手を止めた。サイラスは戦場の常として食べられる時は食べるをモットーにしており、先程ガルストからも了解を得ているので、話を聞きながら黙々と食べ続ける。そんな二人に、シュレスタも戸惑いながら事情を説明し始めた。
「明日、軍を大きく三つに分ける事になったんだ。レストン軍の両翼を突く形で」
「相手も同じ様な事を考えそうですけどね。発案者は誰ですか?」
「近衛軍第五軍のナジェスタ殿が、強固に主張してね」
実際に紹介される事は無かったものの、遠目に眺めたその人物が、ジェリドとは格が違い過ぎる貧相な小者タイプであった事を思い出し、彼女は正直な感想を漏らした。
「……何か、やる前から失敗する様な気がするのは、私だけでしょうか?」
「思っても口には出すなって、言ってるだろ!?」
思わず食事の手を止めてサイラスが窘めたが、年長者二人も彼女と同じ感想を抱いていたらしく、特に叱責の言葉は口にしなかった。そして小さく溜め息を吐いてから話を続ける。
「攻めあぐねている状態だから、結局それが採用されてね。川の下流域から侵攻する左翼は、第五軍が担当する事になった」
「それでここから更に北側の山岳方面からは、奇襲部隊として編成した部隊を右翼として攻撃させる事にしたんだ。ここで困るのが、私達の配置なんだが……」
「どういう事です?」
難しい顔付きで口ごもったシュレスタに、サイラス食べ終えた皿を倒木の上に置きながら尋ねた。すると苦々しい口調での答えが返って来る。
「第五軍の司令官は上昇志向の強い御仁で、ここで成果を上げて王都に呼び戻して貰おうと必死なんだ。色々先走って暴走しかねない。軍全体の統制を取るという意味ではマイナスだ」
「作戦を立案した本人ですしね」
「……絶対、熱意が空回りしてるわ」
エリーシアとサイラスがうんざりしながら応じると、ガルストが懸念がありありの表情で説明を続ける。
「そして中央軍には第四軍と領主軍の連合となるんだが……。ここで山岳地帯に入る右翼の道案内を務めると、スペリシア伯爵家のルパート殿が立候補してきてね」
「それが何か?」
正直何が悪いのかと不思議に思ったエリーシアだったが、何とも微妙な答えが返ってきた。
「当然、自家の兵士を連れて奇襲を仕掛けるのかと思いきや、『我が家の兵は全員王太子殿下にお預けしますので、如何にでもお使い下さい』と言われたんだ。『ダレ切った我が家の兵に重要な役目を任せたら、失敗に終わるかもしるません。道案内は私が単独でしますので、近衛軍の精鋭の方々に同行をお願いします』とかほざいたそうだし」
それを聞いて、その場に居合わせなかったエリーシアとサイラスは、はっきりと顔を顰める。
「何ですか、それは?」
「普通、連れてきた私兵を酷評しますか? それは裏を返せば、自分を貶している様なものでしょう?」
「全く同感だ。だからルパート殿の発言には、どうにも裏がある様な気がしてならない。モンテラード司令官もそう仰っていた」
そこで一度話を区切ったガルストは、真剣な顔付きになってシュレルタと検討した内容を、二人に告げた。
「そこでだ。第五軍はさっき言った通り体面重視の、出世志向の固まりの様な男だから、若いサイラスとエリーにそこを任せたら、意見など聞かずに暴走する可能性もある。しかし中央軍で待機して貰うのも、今回は不安があるんだ。どうしてわざわざルパート殿が、私兵を貶してまで主陣に置いていこうとする意図が不明だからな。そしてルパート殿がルーバンス公爵の六男である事実を考えると、まさかとは思うが戦闘中のゴタゴタに紛れて、兄であるウェスリー殿の手引きで私兵にエリーを狙わせる算段なのかとの懸念も生じるんだ」
そこまで説明されたエリーシアは、心底忌々しそうに舌打ちした。
「面倒な……。もういっそのこと、領地に帰って貰えませんかね?」
「そうは行くか! それではエリーは、右翼付きになるんですか?」
彼女を叱り付けつつ、ガルストの言いたい事を読み取ったサイラスが確認を入れる。それにガルスト達は静かに頷いた。
「ああ。左翼はシュレスタ殿にナジェスタ司令官の暴走を押さえて貰って、中央軍は殿下と司令官の側で、私が管理する。それで右翼をエリーとサイラスが担当してくれ」
「一番人数は少ないし、率先して敵と遭遇する可能性もあるが、幸い行軍範囲は丘陵部や山の麓の森の中だから両軍とも大部隊は展開できないし、隠密行動をする上でも魔術師の人数は多いに越した事は無いからな」
そこでサイラスが、納得した様に頷く。
「同行する近衛軍部隊は厳選するそうですし、周りを固めておけば、ルパート殿も一人では何もできないだろうという判断ですね?」
「そう言う事だ」
「分かりました。十分気をつけます」
エリーシアも了解して頷いた為、ガルストは一瞬心配そうな表情になったものの、すぐに事務的な口調で指示を出した。
「それで今夜は早めに休んで貰って、明日早朝から移動開始だから、これからすぐ打ち合わせをする。食べたら向こうの天幕に来てくれ」
「了解しました」
そして手元の皿の中身を素早く食べ終えたエリーシアが立ち上がって、先に指定された天幕に向かって歩いて行った二人の後を追う。
「さて、忙しくなりそうね」
「そうだな」
エリーシアは平然と口にして歩き出したが、彼女が食べ終わるのを待って一緒に歩き出したサイラスは、暫くの間難しい顔で考え込んでいた。