第55話 めでたく解決
「王妃様、今日はすみませんでした。勝手に居なくなって。ご心配おかけしました」
シェリルが姿を消したまま彼女の膝に飛び乗り、違和感を覚えた彼女が何か口にする前に急いでそう囁くと、さすがに驚いた彼女はシェリルが居ると思われる場所を見下ろしながら囁き返した。
「シェリル? ここに居るのですか?」
「はい、色々あって姿を消しています」
「無事で良かったですが、心配しましたよ? 以後はこの様な事は無いように」
「はい、気を付けます」
その小声でのやり取りを、辛うじて聞き取ったランセルとレオンが、ギョッとしながらミレーヌの膝辺りに視線を向けた。そんな視線などは気にせず、ミレーヌが質問を続ける。
「ディオン殿が急にこの場に現れたのは、あなたが連れて来たからですか?」
「忍び込んだ先で、閉じ込められていましたので、二人で一緒に逃げて来ました」
「そうでしたか。それはご苦労様でした。それではあなたに一つ、王女としての任務を与えましょう」
「任務、ですか?」
いきなり飛んだ話にシェリルが首を捻ると、ミレーヌが悪戯っぽく笑う。
「現在、この国の第一王女付きの侍女が、行方不明になっている主の事を、とても心配しています。直ちに自室に向かって、安心させておあげなさい」
そう言われてシェリルは一瞬目を丸くしてから、すぐに「はいっ!」と小声ながらもはっきりと了承の返事をした。そしてすぐさまミレーヌの膝から飛び降りて走り出そうとしたが、彼女に呼び止められる。
「シェリル、お待ちなさい。レオン殿。シェリルを廊下に出してあげて下さい。このままでは扉を開けて貰えないわ。急に猫が出てきたら怪しまれますし」
「分かりました。シェリル、俺に付いて来てくれ」
「ええ」
そしてレオンは閉ざされている側面の出入り口に向かって歩いて行きながら、足元に向かって小さく囁いた。
「シェリル、随分心配したぞ?」
「うん、ごめんなさい」
「詳しい話は明日ゆっくり。姿が見えないから、見当違いの場所を見ながら説教しそうだ」
如何にも申し訳無さそうな彼女の声に、レオンは小さく苦笑いしてから、廊下に続くドアを守っている近衛兵に声をかけた。
「すまないが、ちょっと開けてくれないか? 外の空気を吸いたいから」
「どうぞ、お通り下さい」
レオンが開けられた扉を通り抜けると、その足元をすり抜けてシェリルは廊下に走り出て、自分の部屋へと向かった。そして頭の中で謝罪の言葉を考えているうちに、彼女は後宮の入口に到達し、彼女達が王宮にやって来てから、急遽ミレーヌの命で設置された猫専用の出入り口から、警備の近衛兵に気付かれる事無く建物内に侵入した。そして走る速度はそのままに、自室のドアの前へと辿り着く。そこで術式を解除して自分の姿を見える様にしてから、重厚な作りのドアを少し強めに前脚でトントンと叩きつつ、大声で中に向かって呼びかけてみた。
「すみません! 帰りがこんなに遅くなってごめんなさい、ここを開けて下さ――い!」
しかしすぐに反応があると思いきや、ドア付近は静まり返っており、シェリルは首を捻った。そして困ってしまった彼女は、先程よりドアに体を寄せ、体重をかけて力一杯ドアを叩き出す。
「あれ? 二人とも奥の方に居るのかしら? 困ったわ……。ソフィアさん! リリス! ここを開け、ぶぎゃっ!!」
「姫様、お戻りですか!? ……あら? 姫様の声がしたと思ったのに、幻聴だったの?」
バタバタと足音が聞こえたと思った次の瞬間、物凄い勢いでドアが左右に開かれ、シェリルはそれに顔を強打されてゴロゴロと転がった。しかし転がった先がちょうどドアの陰になり、血相を変えて中から飛び出して来たリリスに気付いて貰えなかった為、ヨロヨロとドアを回り込んで彼女の視界に入り込む位置まで移動し、痛む鼻先を押さえながら帰還の挨拶をする。
「……リリス。……た、ただいま」
その姿を一瞬ポカンとしながら見下ろしたリリスは、次の瞬間真っ青になってシェリルを抱き上げた。
「きゃあぁっ! 姫様、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈ぶっ!!」
そこで感極まったリリスがシェリルを抱き締めながら盛大に泣き出し、シェリルは抱き潰されそうになって呻いた。
「うわぁぁぁん! 姫様がご無事で良かったぁぁっ!! 犬に食われたか鳥に頭をつつかれて、血まみれで倒れていたらどうしようかと、心配しましたぁぁっ!」
「……ご、ごめ……、しん、ぱ……」
「本当に、生きた心地がしなくてぇぇっ!」
そして少しの間泣き続けていたリリスは、ふと腕の中のシェリルが静か過ぎる事に気が付いた。
「あら? 姫様、どうかされました? ……って!? きゃあぁぁぁっ! 姫様、しっかりして下さい!!」
全身を圧迫されて呼吸困難に陥った末、見事に気を失ってしまったシェリルに気付いたリリスは、彼女を激しく揺さぶりながら再度甲高い悲鳴を上げた。
「それで、この状況なわけですね?」
「はい。誠に申し訳ありません。その後すぐに意識は取り戻されたのですが、一気に疲れが出てしまわれたみたいで。姫様は、エリーシア様が戻られるまで、寝ないで待っているつもりだったのですが」
大広間での騒ぎに何とか収拾をつけ、宰相と魔術師長に大まかな報告を済ませて自室に戻って来たエリーシアは、リリスに平身低頭で出迎えられた。一瞬何事かと思ったものの、シェリルが戻って来た時のあらましを聞いて、ベッドで一人すやすやと寝息を立てている義妹を見下ろしながら苦笑いを漏らす。
「構いません。今日一日シェリルが突発的に行方不明になっていたのは、王妃様から伺いましたし。随分ご心配おかけしたみたいで、申し訳ありませんでした。それとこの間、シェリルの面倒を見て頂いて、ありがとうございました」
エリーシアが微笑んで頭を下げると、リリスは慌てて再度頭を下げた。
「とんでもありません。こちらこそ、楽しく過ごさせて頂きました。ところでエリーシアさん、もうお休みになりますか? それとも、お風呂の支度を整えましょうか?」
「ええと……、その前にお茶を一杯だけ貰えますか? 実はお昼を食べた後、絨毯を飛ばして駆けずり回っていて、お夕飯も食べそびれちゃって」
申し訳なさそうにエリーシアが口にした内容に、リリスはすぐに明るく笑って応じた。
「エリーシアさんも姫様同様、今日一日大活躍だったんですよね? 姫様の冒険談と併せて、明日じっくりお伺いしたいです」
「面白いかどうかは分からないけど、洗いざらいお話しますから」
「それでは私は一度下がって、お茶とお風呂、それから夜着の支度をしてきますので」
「宜しくお願いします」
そうして彼女が一礼して出て行き、寝室に取り残されたエリーシアは、相変わらずベッドで爆睡しているシェリルの横に座って、おかしそうに小声で笑った。
「随分頑張っていたみたいね、シェリル。私も結構頑張っちゃったな。基本的にのんびり過ごすのが、私のキャラだったのに」
そう言いながらエリーシアは優しくシェリルの身体を撫でてから、乱暴に足を払って靴を脱ぎ捨てた。そして何となく埃っぽい服装のまま、シェリルの横にゴロリと横たわる。
「お休みも貰ったし、暫くはのんびりしましょうか。……まずは、準備ができるまでちょっとだけ」
そんな事を言いながら、シェリルの方に体を向けてぼんやりしていたエリーシアだったが、彼女が眠りに落ちるまで、ほんの僅かな時間しか要しなかった。
「エリーシアさん? 準備ができましたので……、あれ?」
準備を整えてエリーシアを呼びに来リリスだったが、寝室の中に小声で呼びかけても反応が無かった為、室内を覗き込んだ。すると寄り添うようにして、一つのベッドで熟睡している一人と一匹を認めて、思わず笑いを漏らす。
「やっぱりエリーシアさんもお疲れだったみたいですね。明日の朝食は、昼食を兼ねてお出ししますから、ぐっすり休んで下さい」
そう囁いたリリスは、主達の眠りを妨げずに慎重に扉を閉め、その場を立ち去った。