第45話 脱出
すぐさま話を纏め、寝台の端にペラペラの毛布をわざとらしく垂らし、床面を隠す様にしてから、二人は夕食が運ばれてくるのを静かに待った。そして階段の上のドアを開ける音が伝わってくると同時に、無言のままディオンがシェリルを抱えた。
(さて、起動……)
彼女も無言で首輪のガラス玉に触れながら念じると、瞬く間にシェリルと、彼女を抱えているディオンの姿まで消えて、余人には見えなくなった。当然そんな事など知らない食事を運んできた上の見張り番の男は、地下牢の前まで下りて来て一見誰も居なくなった様にしか見えない牢の中を見て仰天し、持参したトレーを取り落とした。
「おい、メシを持って来……、居ない!? どうして……、あの野郎、抜け穴でも掘っていたのか!?」
そして慌てて鉄格子に取り付き、鍵を取り出して扉を開け、中に入って毛布を掴んで寝台の下を確認しようとした。その背中に、シェリルから手を離して姿を現したディオンが、体重をかけて肘を落とす。
「ぐはぁっ!!」
「シェリル、今だ!!」
予想外の攻撃に、すっかり油断して蹲った男の足元から鍵束を拾い上げ、ディオンは急いで牢を出て、元通り扉を閉めた。逆に閉じ込められた男が喚く声を無視して階段を上がり、慎重にドアの向こうに出てから、ディオンが漸く安堵した様にシェリルに声をかけた。
「驚いた。本当に俺まで見えていなかったらしいな」
「この姿を消せる術式の説明を受けた時、『姿を消しているお前が触れている人間も、お前同様姿が見えなくなるから』って、死んだ父が言っていたの」
シェリルはそう説明したが、ディオンが素朴な疑問を呈した。
「お父さんは、どうしてそんな術式を構築したのかな?」
「父が出かけると、当時家には子供の姉と私しか居なくて。姉も魔術師で大抵の危険は回避できるけど、襲撃されて姉が怪我をしたら私だけでは反撃できないから、これで自分と姉の身を守る様に言われたわ」
「それなら、すぐ逃げる為の術式とか、治癒の術式とか、手っ取り早く攻撃の為の術式の方が良くないかな? 襲撃者が居座って家捜ししたり、有る物で飲み食いとかし始めたりしたら、お姉さんが怪我したままだと拙くない?」
微妙な顔付きでそう指摘され、シェリルは言葉に詰まった。
「……言われてみればそうかも」
「それどころじゃ無かったな。急ごう」
「そうね」
そして二人は鍵束を放り出し、廊下へ続くドアに向かった。
「シェリル、この屋敷の構造を知っているかな? 俺がここに連れて来られた時は、目隠しをされていて全く分からなくて。逃げ出そうとしても、すぐに捕まったし」
そう問われたシェリルは、細く開けられたドアの隙間から廊下を覗き込みながら申し訳無さそうに言葉を返した。
「私もここは初めてだし、良く分からないわ。取り敢えずこの廊下を突き当たりまで進んで、左に曲がってくれる?」
「分かった。じゃあシェリル。姿を消す為に暫く俺に運ばれてくれ。連中に出くわしたら大変だ」
「そうね」
そして屈むと同時に腕の中に飛び込んできたシェリルを抱き上げ、再び自分の姿を消して、廊下を進み始める。
「いざとなれば窓から庭に出て、塀を辿れば門に出るし、姿を消しているから堂々と……、っ! ひゃあっ!?」
「そう……、うきゃっ!!」
小声で会話しながら曲がり角を直進しようとした二人の前に、いきなり角の陰から剣が突き出され、ディオンの喉をかすって止まった。ディオンが仰天して腰を抜かして廊下に座り込んだが、自分の頭上を至近距離で剣が通り抜けたシェリルも動転して、ディオンの腕から飛び降りる。
それで必然的にディオンの姿が現れたが、角の向こうから現れた人物が、彼をまじまじと見下ろして、訝しげに尋ねた。
「何だ? あの連中の仲間とも思えんが」
「はぁ?」
陰から足を踏み出して現れたジェリドが、ディオンを無表情に見下ろしつつ、一応剣を引いた。と同時に予想外の彼の登場に、シェリルが思わず声を上げる。
「ジェリドさん! どうしてここに!?」
すると、ジェリドは訝しげな表情で、声がした辺りに視線を向ける。
「姫? 声がしますが、まさか今、姿を消していますか?」
「はいっ! 今、見える様にします!」
シェリルが慌てて首輪のガラス玉に触れながら術式を解除すると、その姿を認めたジェリドが、殺伐とした場には相応しくない優雅な微笑を向けた。
「いきなり所在不明になり心配しました。ご無事で良かったです」
「お騒がせして、申し訳ありません」
「驚いた……。寿命が何年か縮んだ……」
シェリルは何の連絡もしないで王宮を出た事を思い出して冷や汗もので頭を下げ、どうやら相手が敵では無いと理解できたディオンは、漸く安堵の溜め息を吐いた。
そんな二人を見下ろしたジェリドは、このままでは人目に付く可能性に思い至り、「取り敢えずこちらへ」と手近な一室に二人を引きずり込み、念の為、最後に廊下の様子を窺ってから静かにドアを閉めた。