第34話 激変する日常
ソフィアがシェリル付きになるとほぼ同時に、シェリルのもとにこれまで面識が無かった貴族達が、引きも切らずに押しかけ始めた。そんな傍迷惑な来客が途切れ、その隙に一息入れて貰おうとリリスが主の前にお茶を差し出したが、シェリルはその横に突っ伏しながら、心からの叫びを上げた。
「うあぁぁぁっ! もう本当に、何なのあの人たち!! 揃いも揃って口を開けば、『あの弱小伯爵家出身の女やその息子が、王宮内でのさばっているなんて許しがたい』とか、『ラウール殿下はシェリル殿下と同様に不遇なお育ちですから、きっと気安くお付き合いできますよ』とか、あからさまにラウール推しでレオンやレイナ様を蔑む内容ばかり口にして!! ふざけんなぁぁっ!!」
「ですがそれらを黙って一通り聞いた上、『私は王宮に上がったばかりで、詳細な事情などまだまだ知らない事も多いので、色々な方からお話を聞いて学んでいるところです。皆様、これからも宜しくお導き下さい』と言って、微笑んだ姿は十分及第点でしたわ」
そう言ってにこやかに微笑んだソフィアに向かって、シェリルが引き攣り気味の笑顔を返す。
「……ソフィアさんのご指導の賜物です」
「過分なお褒めのお言葉、ありがとうございます」
リリスが(今のって、半分嫌味とか泣き言じゃないかしら)と思った途端、シェリルが色々振り切れた様に叫んだ。
「もう駄目ぇぇぇっ! 猫になりたい! この一週間、猫の姿になるのは寝る時だけだなんて、絶対絶対、有り得ないから――っ!!」
少々錯乱気味のその叫びを耳にしたリリスは、思わず涙ぐんでしまった。
「姫様……、色々な意味で煮詰まっていますね」
「姫様。そろそろプレデンス伯爵と、マグノ侯爵夫とのご面会の時間です。宜しくお願いします」
そこですかさずソフィアがにこやかに予定を告げると、シェリルはがくりと項垂れた。
「今だったら、歴史でも地理でも礼儀作法でも、一日ぶっ続けで勉強してもいい……」
そんな紛れもない本心からの言葉に、リリスは涙が出そうになった。
「そうですか……、延々と狸親父どもの相手をする位なら、お勉強している方が遥かにマシですか」
「なんて向上心溢れる、素敵なお言葉でしょう。事が済んだ暁にも、同じお気持ちをお持ちになっていて下さいね? ああ、それから、明日は王妃様がお茶の席に、シェリル様と《自称》ラウール殿下をお招きする事になりましたので、そのおつもりで」
さり気なく《自称》の所に苦々しい響きを含ませながら、唐突にソフィアが告げてきた為、シェリルは慌てて問い返した。
「え? ちょっと待って! そんな話、初耳だけど!?」
「はい、今初めてお耳に入れました」
「入れました、って……」
さすがにシェリルが絶句すると、少々気の毒に思ったらしいソフィアが、優しく言い聞かせてくる。
「王妃様が実際にお人柄を確認したいと思っても、自称ラウール殿下だけ呼びつけたら騒ぎ立てる馬鹿が多いですし、シェリル姫が王妃様に可愛がられているという、アピールも含んだ措置です。宜しくお願いします」
「そうですね。個別に呼ぶよりは、シェリル様の口添えで同伴した形にした方が、外野は騒ぎにくいですよね。シェリル様の王妃様への影響力も、さり気なく表されますし」
「直接顔を合わせるのは、もう少し先かと思っていたのに……」
二人の言い分は良く理解出来たが、自分の予想より前倒しになった事態に、シェリルはかなり気が重くなった。
(自分の偽者と対面……。もの凄く微妙な心境だし、何を企んでいるのか分からなくて怖いけど、頑張らないと)
シェリルはかなりの不安と困惑を抱えながらも、回避は不可能だと諦め、二人に向かって大人しく頷いてみせた。
そんな風に慌ただしく過ごすうちに夜も更け、シェリルとリリスはエリーシアの寝室へと移動した。シェリルがドレスや下着を脱いでいる間に、リリスが棚の中に丸めてしまっておいた厚手の布を引き出し、床の上にそれを広げる。
「今日も一日お疲れ様でした、シェリル様。すぐに術をかけます」
「お願い、リリス」
裸になったシェリルがシーツを身体に羽織っただけの状態で床に広げられた布の上に立つと、彼女から首輪を受け取ったリリスは、布と一緒にしまってあった用紙を棚から取り出し、そこに書かれてある呪文を慎重に唱え始めた。
「ええと……、ルード・シュレム・グレール・ケラスティ・ヴァン……」
エリーシアが術式を起動させる時より遥かに長い時間をかけ、リリスが呪文の詠唱を終えると、予め布に記載されてあった術式が光り出し、瞬間的に爆発的な光量になった。しかしすぐに室内がいつも通りの明るさになり、布の上でシーツの塊に潜り込む形になっている黒猫が、その隙間から顔を出し、リリスが安堵の溜め息を漏らす。
「無事終了。後は首輪を付けないと」
そして猫の前で床に膝を付き、背中を向けた彼女の首に首輪を回して紐を結んで固定してから声をかける。
「お待たせしました、姫様」
その声と同時に前脚で首輪の中央のガラスに触れて術式を作動させたシェリルは、申し訳なさそうにリリスを振り仰いだ。
「毎日、手間を取らせてごめんなさい」
「大した事はありません。だけどエリーシアさんって、女性なのに本当に凄腕の魔術師ですよね。こんな複雑な術式を瞬時に一から構築して呼び出せるだけじゃなく、起動させる詠唱呪文も十分の一以下に短縮できるなんて凄過ぎです。実際にやってみて、その凄さが実感できました」
「ここに来るまでは、それがそんなに凄い事だなんて、私、全然知らなかったわ」
シェリルが義姉を誉めて貰った事に対する照れくささと、自分の世間知らずぶりを再認識して苦笑していると、リリスが笑顔のまま言葉を継いだ。
「姫様は、魔術師と言えばアーデン様とエリーシアさんしかご存知無いですからね。どちらも間違いなく、稀代の魔術師ですよ。だからなかなか連絡が無くても、心配要りませんからね? きっと調査の合間にその土地の名所を見物したり、特産品を味わったりして忙しいんですよ。エリーシアさんって、何事もとことん楽しんでしまうタイプみたいですし」
唐突に笑顔でそんな事を言われたシェリルは面食らったが、すぐに自分を気遣ってくれた結果だと分かり、笑顔で調子を合わせた。
「うん、そうね。お土産を山ほど持って帰って来そう。ありがとう、リリス」
「どういたしまして。それでは姫様、失礼します」
「ええ、お休みなさい」
そしてお互いに笑顔で挨拶を交わしてからリリスはドアを閉めて立ち去り、シェリルはベッドに飛び乗って毛布に潜り込んだ。そして目を閉じて眠ろうとするが、日中の緊張がなかなか解けないせいか、容易に寝付けそうに無かった。そして無意識に小さく呟く。
「エリー。やっぱりちょっと寂しい……」
物心付いた時から一緒に寝ていたエリーシアの不在に、一週間経過しても未だに慣れそうもないシェリルだった。