第10話 術式解除
「シェリル、首輪を外すわ」
「な~ぅ」
床に座って大人しく顔を上げたシェリルの首から、後ろの結び目を解いて革製の首輪を取ったエリーシアは、変わらず床に淡く光っている術式を指差しながら指示を出した。
「じゃあシェリル、あそこの術式の中央に座って」
「みゃ~ぅ」
一声鳴いて指し示された場所に大人しく歩いて行ったシェリルは、僅かに躊躇う(ためらう)素振りを見せながらも、淡く光る術式に足を踏み入れ、無言でその中央で足を揃えて座った。それを確認したエリーシアが、緊張感を漲らせた表情でクラウスを振り返る。
「おじさん、詠唱呪文は何ですか?」
「通常の術式解放呪文だ」
「それなら分かりますので、私自身で試しても良いですか? シェリルの事に関して、なるべく他人任せにしたくありません」
その要求を聞いて、背後の魔術師達の中で僅かに動揺が走ったが、申し出た彼女の真剣な表情を見て、クラウスは当然といった風情で頷いた。
「彼女のたった一人の家族の君としては、当然の要求だな。分かった、ここは任せる。もし不測の事態が発生しても、私達がフォローするから安心してくれ」
「ありがとうございます」
素直に礼を述べたエリーシアは、部屋の隅に佇んでいるクラウスと同様の出で立ちの男性たちに向かって、軽く会釈した。そして先程の会話を聞いていた彼等が、静かに頷き返してきたのを視界に収めてから、エリーシアは徐に足元の術式に向けて両手を伸ばし、それを発動させるための呪文を唱え始める。
「デラ・スーリム・ファイリス」
するとエリーシアが言葉を紡ぎ出したと同時に、床に浮かび上がっている軌跡の光量が徐々に増してきた。
「……ル・ガゥ・ノルド!」
そしてエリーシアが全て唱え終わった瞬間、室内に目が眩むほどの光が一気に発生し、術式の周りから外に向かって物凄い突風が湧き起こった。
「きゃあっ!!」
「エリー、大丈夫か!?」
咄嗟に吹き飛ばされそうになったエリーシアを、すぐ背後にいたクラウスが捕まえて何とか支え、部屋の中に喧騒が満ちた。
「魔術師長! 大丈夫ですか!?」
「心配要らない! それより猫は!?」
「シェリル!!」
クラウスに支えられながら、エリーシアは光源の中心を確認しようとしたが、眩しくて不可能だった。しかし唐突に突風が止み、それと同時にあっさりと光が消えうせると、先程まで術式が浮かび上がっていた場所に、人の姿になったシェリルが、長い癖の無い黒髪を纏わり付かせた全裸の姿で放心して座り込んでいるのを確認する。その瞬間、エリーシアはクラウスの腕の中から飛び出し、義妹の元に駆け寄った。
「大成功よ、シェリル!! 満月の光を浴びなくても、人の姿に戻っているわ!」
勢い良く抱き付いて歓喜の叫びを上げたエリーシアに、シェリルがまだ幾分信じられない表情をしながら問い返す。
「……本当?」
「本当よ! 良かった!! 父さんが生きていたら、どんなに喜んだかっ……」
それから感極まった様に、抱き付いたまま泣き始めたエリーシアに、自身も涙ぐみながらシェリルが礼を述べる。
「エリー、ありがとう。今までずっと面倒を見てくれて」
「何馬鹿な事を言っているの、二人きりの家族じゃない! ……ああ、そうだ。クラウスおじさんにお礼を言わないと。おじさん、この度はどうもありがとうございました」
思い出した様にシェリルから体を離したエリーシアは、慌てて背後を振り返って頭を下げた。
「たいした事はしていないよ。取り敢えず姫様に、服を着て貰って良いかな? 私達は部屋を出ているから、着替えが終わったらドアから出て来てくれ。場所を変えて今後の事について、詳しく話をしよう」
予め用意されていたらしく、女性用衣類一式らをクラウスが差し出してきた為、エリーシアは漸く、シェリルを裸のまま人目に晒す訳にいかない事に気が付いた。そして慌てて周囲を見渡すと、同様の理由からか先程まで経過を見守っていた者達は、彼女達三人を残していつの間にか室内から姿を消しており、恐らくはクラウスの配慮だろうと感謝する。
「着替えまでは考え付きませんでした。お借りします」
「じゃあ私は、ドアの外で待っているから」
鷹揚に頷いたクラウスは、エリーシアの陰に隠れたシェリルにも小さく会釈してからドアに向かって歩き出した。そしてドアが閉められて二人きりになってから、エリーシアが安堵した表情で義妹を促す。
「取り敢えずシェリル、服を着て頂戴」
「でも……、こんな上質そうな服、本当に着て良いの?」
「一応、王女って確定したし、大丈夫よ。取り敢えず考えるのは後! さっさと移動して、話とやらを聞きましょう。これから色々大変だと思うし」
「そうね。急いで着るわ。外でクラウスさんを待たせているし」
そこで父の形見の首輪を放り出していた事を思い出したエリーシアがそれを拾いに行っている間に、シェリルは慌ただしく着慣れない衣類を身に着けた。そして着替えを終えた二人は、待っていたクラウスに先導されて廊下を歩き出したが、人払いでもされているのか、王宮の一角である筈なのに全く人の気配が感じられず、その異常さにエリーシアは密かに眉を顰める。さすがにシェリルも心細く感じたらしく、義姉の腕を軽く引いて囁いた。