1.メッセンジャー
二度に渡るレゴンの<魔女狩り>は失敗に終わった――。
人の噂は早い。まだ数日しか経っていないと言うのに、魔女がそれまで滞在していたシスターズの町はその噂話で持ちきりである。
――王女は魔女に辱めを受けた
人々の興味は専らそこに集中していた。まことしやかにそう囁かれているのが、
『王女は身体を抱きしめるように旧街道を駆けていた』と、言う物だ。
『黒いローブの下は何も着ていなかった、悔しさで顔を歪めていた』
『そのショックで、テロールは部屋に籠りっきりになっている』と、話す者もいる。
これらはどこから漏れたのか、大体が
町の人々は王女の身の心配もあるが、あの我儘な彼女がどのように辱められたのか――が、気になってしょうがないようだ。中には鼻息を荒く、居ても立ってもいられない様子の者まで見受けられる。
――近く、大規模な<戦争>が起こるだろう
――国は“魔女への報復”を行う準備を行なっている
――我々も山狩りに駆り出されるか、徴兵されるかもしれない
その噂はいつもこう締めくくられ、町人は不安に顔を曇らせた。
またそれに対し、思惑どおりの展開に笑みを浮かべる者たちもいる。
これまで、魔女やりたい放題にされてきた鬱憤を晴らす――盗賊たちの士気は高まっていた。
「――ふ、ふふふ……これで、準備は整ったなぁ。
なぁ、アイリーン。おめぇはおっそろしい女だなぁ」
廃坑の奥・盗賊団の頭のランバーは、モジャモジャのあご髭を撫でながら、ニマリと口角を上げた。
傍に控えている現在ご執着のアイリーンを抱き寄せ、分厚い手でその肩を撫で始める。
「まだ尚早ですわ。あなたがあの“魔女”を捕え、国に差し出さなければならないのですから」
「ああ、それはもう準備万端だが……ウチの手下、全員送らなくていいのか?」
「ええ。全員で行けば大移動になり、国に気取られてしまいますから。
あくまで偶然捕まえた事にし、赦免と引き換えに引き渡さなければなりません」
「プランAから、プランBに変更ってことだな。
おめぇが国王に口利きして、俺を士官に登用させる――そんな上手くいくのか?」
「問題ありません。あの城は……国王はもう私の手に堕ちていますから。
年甲斐も無く奥方と求め合い、満たされぬ快楽を追い続けるしか頭にありません。
厄介な娘も時間の問題――そこで、あなたとの縁談を持ちかけ、王族入りするのです」
「王族入りか、へへへっ――だがよ、あの噂は本当なのか?」
「ええ、何せ
魔女の城館の内部の情報を探り、町の者にも噂を話し王族の名を貶める――あの少年執事は、我が
「最も警戒されない奴を駒にするか……“黒い魔女”ってのは恐ろしい存在だな」
「あの娘にも、“
魔女の姉の“魔法”を吸ったせいか、中和・消滅させられていました……あの女だけは厄介ですわ」
「ま、結果的に上手く行ったからよかったじゃねぇか」
<メイジマッシャ―>に関する書物を執事・リュクに渡したのは、この“黒い魔女”・アイリーンであった。
その時、リュクは“
本来は襲撃の際にテロールを殺害させ、国に大義名分を与える予定であったが、魔女の姉・ミラリアの“魔法”が思っていたよりも強かった……そのため、別プランへと移行したようだ。
「――で、どうやってあの魔女を叩くんだ? 俺たちゃ、ヘンテコな道具なんざねぇぞ」
「ええ、そこは問題ありませんわ。手下と共に西棟へに向かってください」
アイリーンはそう言うと、懐から一枚の紙を取り出した。
そこには、入口から西棟だけの簡単な“間取り図”であり、最奥に丸印が記されている。
「執事は姉の部屋までの道のりを、事細かに覚えていました。
この区画には、罠が全くと言って仕掛けられていないようですし、皆でこの姉のいる部屋へと乗り込むのです」
「罠か……“魔法”とやらはどうするんだ?」
「魔女には定期的に、“魔法”が弱まったり途絶える時期がありますので。
無論、私にもありますが……今はそのような心配はありません」
「んん? どう言うことだ?」
「こう言う事ですよ――」
アイリーンはそう言うと、ランバーの手を取り下腹部に持っていかせた。
彼には何のことか分からなかったが、その手からじんわりと“生命の胎動”が感じられ、怪訝な顔から驚愕の表情に変化していた。
「お、おめぇまさかっ――」
「ええ。魔女にはすぐに分かりますので……“この子”のためにも、頑張ってくださいね」
ランバーは突然のそれに動揺を隠せずにいたが、確かに“自分の子”である感覚がそこにあった。
親になる自覚はまだないものの、目の前の最高の女を孕ませたと言う征服感が、彼の心を満たしている。
◆ ◆ ◆
その一方で――レゴンの城内は騒然としていた。
「やはり、その噂はまことなのだな?」
国王でもあるランダルは、低く疲れたような声で改めて問うた。
テロールは戻ってからというもの、ずっと自室でこもりっきり……着替えもせず、黒いローブを羽織ったまま自室に籠っている。
魔女たちに
「は、はいっ……!
確かに、その、テロール王女の声が扉越しに……」
「そうか――」
テロールがミラリアに捕えられた頃であった。
あの“会談”が行われている扉の前では、セラフィーナの他に、猿ぐつわをかけられたリュクが立たされいたのだ。
後ろ手に手かせをかけられ、扉の向こうから聞こえる
『ほら……静かになったわよ。“女の吐息”が分かるかしら?
王女サマと言えど女――キモチイイ事には逆らえないようね、ふふ……』
まだ幼い彼には、セラフィーナの熱っぽい吐息は猛毒であった。
耳でも呼吸しているのか、その毒は音と共に頭の中に吸い込まれてゆく――綴られる言葉の殆どが理解できぬが、魔女の説明はそれを理解させるほど丁寧だ。
リュクは嫉妬を覚えた。反対側の耳から聞こえる“女の呻き”も相まって、主の姿かたちをハッキリとイメージさせられてしまったのである。
『じゃ、ここで王女サマがどんな目に逢わされたか、彼女のお父さんに説明してア・ゲ・テ・ね。もしかしたら、ゴホウビが貰えちゃうかも?』
そう言うと、玄関ホールまで連れてゆかれ、手かせと共に解放されたのだ――。
しかし、城が騒然としているのはそれが理由ではなかった。
「そうか、テロールはそんな目に逢わされたのか」
娘が辱められたにも関わらず、国王は驚いた様子など微塵も見せず、それどころか青い微笑みまで浮かべているのである。
いくら高慢であっても、テロールを嫌っている者は誰一人とていない。これには家臣や衛兵も、動揺を隠せずにいた。
「別に驚く必要もあるまい? 生きていれば、まだ使い道はある――。
“純潔”は失われていても、金と権力のある家なら気にもしないだろう」
信じられない言葉に、誰もが耳を疑った。
王族の女は政略結婚に使われることが多い。これは致し方ないことだが、父親がこうも簡単に道具のように、娘を貴族や爵家に“売る”ようなマネをするのだろうか――と。誰しもがそう思い、心の中で国王を忌んだ。
呆然と立ち尽くしているリュクの目に、レゴンと言う水晶玉に、大きなヒビが入ったように感じていた。