02
詩織。
その名前を見て、私の足はぴたりと止まってしまった。
未練など、ない。ないつもりだった。
けれど、戻ることを少しだけ考えてしまう。彼女の強い光は、私にとってそれほどまでに魅力的だった。それさえあれば、私は人を殺さずに生きられる。──彼女の光さえ失われていなければ。
仮に戻ったとして、彼女が変わらずに接してくれる保証はない。それどころか私は殺人者で、警察が身柄を拘束するだけの証拠はいくらでも揃っている。
「時間が必要ですか?」
青年に声をかけられて、私はようやく我に返った。
再びスマートフォンに目をやると、すでに画面は暗転している。うっすらと自分の顔が反射されるのみで、心が締めつけられるような要素はない。
「もう、これは必要ないんでしょう」
青年は口をつぐんだ。
そう。判断するのは私だ。
私はスマートフォンの電源を切り、手近なゴミ箱に投げ込んだ。そのまま歩みを再開し、とがった耳の青年の導きに従う。
「待たせてしまってごめんなさい。行きましょう」
「よろしいのですか?」
「えぇ」
捨てるべき過去を捨てただけ。
惜しむ必要も、悲しむ必要もない。
「彼がいるなら、それで」