ⅩⅤ
「おはよう、ってどうしたの?ロイ」
アイリスはロイの目の下にある隈を見て驚いた。
「あぁ、おはよう。昨日少し寝付けなくてね」
昨日のことは言わないでおいた。
いまだにロイ自身も納得していなかった。
「おはよう。アイリス」
デイジーが台所から出てくる。
ロイほどではないがデイジーの顔にも疲れが見えた。
「…?」
アイリスはいまいち状況がつかめなかった。
「そうだアイリス。アルヴァたちをよろしく頼むわね」
デイジーは唐突に告げる。
一瞬の間。
その後アイリスの驚愕の声が響く。
「えええっ!」
ロイはその様子を見てはぁ、とため息をつく。
「君はワンパターンだな」
そう言われてもアイリスは口をパクパクとさせている。
そうしていると、アルヴァとアルヴィンが出てくる。
「おはよう。母さん、って何やってんのアイリスさん」
「おはようアルヴァ、アルヴィン。あなたたちこの人たちと旅したいんでしょ?いいわよ、行っても」
デイジーが二人に告げる。
二人は目を見開いてお互いを見つめた。
そして二人で手を取ってジャンプする。
「やった!やった!」
デイジーはその様子を見て少し寂しそうな表情をする。
「そんな顔をするのにどうして言ったんだ?」
ロイはデイジーに聞く。
「あの子たちは私が思っているよりも成長している。それを押さえつけるのは親じゃないわ」
デイジーはそういってアルヴァとアルヴィンの頭に手を乗せる。
そしてゆっくりと撫で始めた。
二人はぽかんとデイジーのほうを見つめていたが、やがてギュっとデイジーに抱きつく。
「いいわね。ああいうのを家族って言うのかしら」
いつの間にか立ち上がっていたアイリスがそう言う。
ロイは黙って頷いた。
「さてと、四人とも荷物は大丈夫?」
アイリスは腰についた袋を見る。
デイジーが旅をするならと持たせてくれた保存食が入っていた。
「怪我には気を付けるのよ」
「成長しているんじゃなかったのか?」
ロイはウザったそうにデイジーに言う。
「成長しているとはいえ、私の子供なの。心配して何が悪いのよ」
デイジーは少しむっとして答える。
「シンシアにあったら君のことを伝えといてあげるよ」
ロイはデイジーにだけ聞こえるように話す。
「それじゃ、これをあなたに託すわ」
デイジーは一冊の本をロイに手渡す。黒っぽい表紙には赤い字で『デビルズホーン』と書かれていた。
アルヴァとアルヴィンは早く行こうよとアイリスを急かしていた。
「それじゃ、出ぱ…」
アイリスははっとして山のほうに駆けていく。
「おい、どこに行く気だ!」
ロイも急いでアイリスの後を追った。
アルヴァとアルヴィンはデイジーに大きく手を振りながら二人の後を追う。
三人がしばらく走ると大きな水たまりのような場所の前にアイリスが立っていた。
「ここ、温泉だ」
アルヴァはロイに伝える。
ロイがアイリスのほうを見る。
アイリスはゆっくりとロイのほうに振り返ると、ポツリと呟いた。
「これ…水になってる…」
アイリスはその場で泣き崩れた。
「もう泣くなよ、アイリス」
ロイはアイリスのほうを振り向きながらそう言う。
「うぅ…」
アイリスは泣きながら、革の袋を持ち上げる。
その中身はさっきの水だった。
水になっても効能はなくなってないかもしれないと袋に入れたものの、革袋一つでは圧倒的に量が足りなかった。
「やっと背が伸びると思ったのに…」
そういうとまた泣き出す。
(まるで子供だな…昨日のあれは夢だったのかもしれない)
ロイはそう考えながら森の中を歩く。
あの後ちゃんとデイジーに礼を言ってホットヤードを出た。
数分間ずっとアイリスが泣いていて、ロイはそろそろイライラしてきたところだった。
すると目の前に小川が見えた。
「一度ここで落ち着け」
ロイは強引にアイリスを座らせる。
アイリスは川の水をすくって顔に掛ける。
冷たい水が気持ちいい。
思えばサイフォートにつく前もこうして川の水に癒されていた。
アイリスはほんの少し前のことをもう何年も前かのように懐かしんだ。
そんなアイリスたちの後ろに二つの影。
しかし影はお互いのことを知らなかった。
ガサッ。
小川の前の茂みが揺れる。
アイリスとロイは黙って戦闘態勢を取る。
茂みが大きく揺れ、中から何かが飛び出してくる。
二人は前に大きく拳を出す。
「私だよ。クラークだ」
その声を聞いてすんでのところで拳を止めた。
「何で君がいるんだ」
ロイは止めた拳の威力を少し弱めてクラークを殴る。
クラークは避ける暇なく腹に拳が直撃した。
「ごふっ…いきなり何をするんだ」
アイリスはクラークに手を差し伸べる。
クラークその手を掴んで立ち上がった。
「で、もう一度聞くけど何で君がいるんだ」
ロイは悪びれる素振りすらなくクラークに聞く。
「いや、私も旅がしたいと思ってね」
「君はサイフォートの町長だろ?」
「ああ、辞めてきた」
クラークの口から衝撃の一言が放たれた。
アイリスたちは愕然とする。
ロイはこの男は自分の本能のままに生活していると改めて実感した。
「クラーク町長。まさかあなたまでいるとは」
アイリスの真後ろから知らない声がした。
アイリスが振り向くと見るからに怪しい人物が立っている。
帽子を深くかぶり、服のジッパーを限界まで上げている人物。
かろうじて声が男の声だったため男性とわかったが、声を出さなければ性別はおろかもしかしたら人形とすら思っていたかもしれない。
「まぁいいです。さて、あなたが持っている本を渡してもらえますか」
その男はロイを指さして言った。
四人の視線がロイに集中した。
「悪いがこの本は友人から借りているものだ。見ず知らずの奴にやすやすと渡せない。第一君は誰だ?なぜ本のことを知っている」
男は少し考えてポンと手を叩く。
「失礼。私は『商人連合 七幹部』本屋と申します。以後お見知りおきを」
男は深々と礼をするが、帽子は取らなかった。
「私の仕事の一環として、“禁書”の回収をしているのです。禁書の情報はすべて私のところへ集まってきます」
本屋は説明をしたあと少し補足をした。
「あまり渡すのを渋るとこちらも強硬手段に出るしかなくなります。どうか、素直にお渡しください」
ロイは手を後ろに回してニヤッと笑う。
「君に渡すのが嫌だと言ったら?」
本屋はため息をついて服の内側から何かを取り出す。
「ペン?」
本屋はペンをくるっと一回転させ、空中に何かを書く。
「“テラーズサイド”」
本屋がそう唱えても何も起きない。
「何だ。ただ格好つけただけか」
ロイがそう言って本屋に近づく。
するとロイは足元の石に躓いて転んでしまった。
本は空中を舞って本屋の手に落ちてくる。
「ありがとうございます」
本屋は茂みの中へと消えていった。