02
演技がかった、というよりもいっそ時代錯誤のような男の言動は、私を苛立たせるのに十分すぎた。
宙に浮いた花を避け、元々向かっていた方へ──男のいる方へ歩みを再開する。
私の靴音に反応して、男は頭をあげた。シルクハットを頭へ戻し、ステッキを地面についたまま悠然と立つ。
男との距離が縮まるほど、首の後ろで緊張感が高まっていく。
まだ使っていない、お守りのような折り畳みナイフを思い浮かべた。右手はいつでもスカートのポケットに入れられる。けれど、男の前でへたな動きをするべきではないとも感じる。
男の目の動きと表情が把握できないのは、さらに問題だった。落ち着き払っているように見えて、実際はなにを考えているのかまったく分からない。ただ、露わになった口元は静かに笑みを浮かべていて、薄気味の悪さが増していた。
それほど遠くないと感じた距離も、高まる緊張感のせいで長く感じてしまう。
ようやく男のとなりに至り、自分の体で隠した右手をスカートのポケットに収める。
自分の熱で温められたナイフの柄を掴む。
しかし、男は微動だにしなかった。
呆気にとられると同時に、なぜか残念だと感じる。
そのまま数歩進んで、ようやく背後から男の声がした。
「私を殺さなくていいのかね?」
その言葉を、私は待ち望んでいたような気がした。
どす黒い感情が、灰色の仮面を突き破って表へ出る。ポケットから右手を抜き、掴んだままのナイフから刃を出す。振り向きざまに右手を振ると、男もこちらに向き直っていた。
やはり口元は、笑みを浮かべたまま。
「あぁ、やはり美しい」
演技がかった口調も、揺らいでいない。
仮面に隠されているとはいえ、眉間にナイフの切っ先が向けられているというのに。
「そうしている方が似合っている。世界はなぜあなたをここに生んでしまったのか──もっとふさわしい場所に、あなたは生まれるべきだった」
「戦場とか?」
「そこは少し野性的すぎるのではないかね?」
低く言った私に対し、男は喉を鳴らして笑った。
男の嘘くさい口調と仕草は、やはり不愉快だ。
しかし、仮面が剥がれかけて、ナイフまで向けているにも関わらず、私は男に対して殺意を抱いていなかった。
男のまとう華美な色や仮面が、感情を覆い隠してしまうからだろうか。
それとも、男が人間でないからか。
「今すぐにでもレディをさらってしまいたいのだが、それでは納得してもらえますまい。まずはあなたに、今の世界への未練を捨て去ってもらわなければ」
好き勝手に言う仮面の男は、おもむろにテールコートの懐に手を入れた。
身構える私に対し、男が悠々と取り出したのは赤い仮面だった。
男がつけているものと同様、顔の上半分を覆うためのもの。パーティーグッズに見るような安っぽい材質ではなく、やけに本格的な装飾が施されている。
時代錯誤な仮面の男は、アスファルトの上にひざまずき、あろうことか赤い仮面を私に差し出してきた。
「……なんのつもり?」
「私にエスコートさせていただきたい」
灰色に隠されていた感情が、また頭を持ち上げる。
理性は男を警戒し、拒絶している。しかし、どうやら本心はそうでないらしい。
社会と常識と道徳からの解放を、私は求めていた。
「レディの──血にまみれた舞踏を」
*
そうして、血濡れた仮面劇の幕は上がった。