09
その腹を、白服の女が容赦なく蹴りつけた。呼吸すら詰まるほどの痛みの中、青年は受け身もなく床へ倒れ、視界の端でどうにか女の顔を捉える。
「ふ……はは……やはり神は……神は私をお見捨てにならなかった!!」
自らの血で汚れた顔を気にもせず、女が叫ぶ。死の淵から救い上げられた興奮からか、その目は見開かれ、瞳孔が拡大していた。
呼吸をするたびに、青年の喉の奥が震え、掠れた音が漏れる。血液を失い、石畳に体温を奪われる。凍えるような冷たさが、死の再接近を感じさせる。
薄れゆく意識を覚醒させたのは、もう一度叩き込まれた爪先だった。
「っご、ぁ……が」
意思に反して呼吸は遮られ、青年の意識は保たれたまま霞みを深めていく。
上から降ってくる言葉は、内容のほとんどを聞き取れない。幾度も蹴りつけられる痛覚が、他の感覚を押しのけて薄れさせる。
再び闇に蝕まれる視界で、どうにか捉えられたのは床に横たわった大鎌だった。
その柄を掴む両手は、もうない。
断続的に与えられる苦痛に慣れ始めたころ、女の手が青年の髪を掴んだ。持ち上げられた視界で、ナイフの刃が光る。
死を強く意識するのは、今日で何度目だろうか。今度こそ死神の指は青年の首に絡みつき、逃れようのないところにまで追い詰めている。
恐れるだけの気持ちは、すでに摩耗して消え去った。
死神がこの命を奪い去っていこうが構わない。
ただ──目の前の女を殺せるのならば。
「神に祈れ」
女の言葉に、青年の喉から掠れた息が漏れた。
動かない体の代わりに、青年は視線で声に応える。
まさか、それだけで相手を殺せるはずもない。だが、振りあげられたナイフは動きを止め、女の目は動揺に揺れた。
「お前、その目は──」
予想もしていない反応に、青年の眉がかすかに動いた。
それでも異常はすぐに知れる。月明かりに照らされた女の瞳に、あるはずもない色彩が映り込んでいる。
逆光であるにも関わらず黄金の色を放つのは、青年自身の虹彩だった。
見間違いではない。光の加減で片づけられるものでもない。女の動揺が、なによりの証拠になる。
だがなぜ──黒かった虹彩が金に変わっている?
「その目はなん──ッ!?」
驚愕に満ちた女の声は、半ばで途切れた。
青年が見たのは、目の前で止まる剣の切っ先。女の手から力が抜け、掴まれた髪が解放されると共にナイフが落ちる音を聞いた。