事故った
悪運だけは強かった禅雁だが、四十を越えたあたりで少しばかり運気は落ちたらしい。それでも身内には「十分強運」と言われるが。
が、それもここまでか。全員がそう思った。
何せひき逃げ。しかも意識不明の重体。
意識が戻ったのはそれから二週間後だったが、そのあとは脅威の回復力で一般病棟に行くまで一週間とかからなかった。
「……ふぅ。兄さんもいけずですね。大部屋じゃ楽しみがありません」
AVを見れるネット環境でもなければ、酒も置いておけない。
「ふざけんなっ。お前を個室に置いておく金なんざない」
「えぇぇ? ひき逃げ犯見つかりましたよね? 保険入ってましたよね? 私も傷害保険やら医療保険入ってますよね?」
「黙れっ! 檀家さんにどんくらい心配かけたと思ってんだ? お前に払われる医療費は必要最低限以外、檀家さんへの振る舞いに使う!」
「鬼ですよ、兄さん」
「禁酒・禁煙に励め」
まったくもって酷い兄である。
結局、暇すぎて写本と書道に勤しんでいた。
「こうやって見てると、普通のお坊さんなんだけどねぇ」
「あんたから強運取ったら何も残んないからねぇ」
見舞いに来てくれるだけありがたいと思うが、言い方というものがあると思ってしまう。
警察も来て、色々話をしたものの、腑に落ちなかった。ひき逃げ犯、他のやつじゃね? そう思うとだいぶ楽になるのだが、どうやら警察までその男を犯人にしたいらしい。
「と言うわけで、兄さん。『こっそり』調べてもらえませんかねぇ」
「ふざけんなっ」
「いえいえ。私、ちらっと顔を見たんですがあの方でなかったと思うんですよ。地元の方なら私が夜目きくことを知ってますからねぇ。
ほら、あの方地元の人じゃなかったでしょう。夜だからと思ったんじゃないですか? 私が『顔を見たかも』って言ったら犯人が現れたみたいですしねぇ」
「調べておく。警察がそうしたいって事は権力者が絡んでいるんだろうな」
「でしょうねぇ。私の『知り合い』に頼むのはちょっと……」
「暴対法で寺を駄目にするつもりはないぞ。俺は」
「私もですよ。ですから、兄さんよろしくお願いします」
「分かった」
「それでですね、兄さん」
「?」
「煙草と酒、持ってきてもらえないでしょ……」
「お前はっ! こんなときくらい少し煩悩抑えろ!!」
無理。そう言った瞬間、兄が禅雁の首を絞めかけた。