探偵
ズサッ。
スリムな足の第一歩で、ひざ下に沸き立つ土煙。二歩目がその雲文を薙ぐように優雅に、やがて踏み落とされ革靴のラバーソールが大地をつかむ。
探偵は島の波止場に降り立った。
はたと逆巻く、つむじ風が、コンクリートで舗装された岸壁の砂を巻き上げた。
「ぅわっ」
思わず右腕を顔前に上げ、まぶたを閉じる。
「もう~……なんだよ、ったくぅ……」
いたずらな風の精霊が纏わりつくのをやめ、上空に舞い去るのを察してから、おもむろに…目をしばしばさせ、反対の手でポケットからハンカチのような布切れを取り出す。
チェック柄の帽子と短めのコートで、まるでホームズ気取りの探偵ファッション。どこか大人になり切れぬ子供っぽさを残した顔立ち。帽子をかぶり直すと共に、手ぐしでサッと黒髪を整え、わずか目を細めながら、深いブルーのまなざしで見上げる。その困ったように口を結んだ様は、美しいと言えなくもない。
小さな港につけられた40メートル級のハイグレードクルーザー船から、続けて数名の男女がタラップを渡り下りて来る。
その中の一人、初老の男がチラリ、一瞥したスマートフォンの電源を黙って切った。
一団が降り立ったこの島は、公的交通手段無し、通信手段無しの……
絶海の孤島。
彼らは、じっくり辺りを見回す探偵を尻目に、緩やかな坂を互いに距離を保ったまま無言でとぼとぼと上って行く。誰もが初めての土地ではあったが、進むべき方向は考えるまでもなく明らかな一本道あるのみ。
すべての客が降りたことを確認して、船は島を離れる出港の準備に入った。
コクピットに座る船長が軽く会釈して、サイドスラスターを起動した。船は離れていく。もうこれにて海路で島から脱出はできない。
坂を上る途中、杖をつく真白な髪の老婦人が一度振り返った。
自分たちを名も知らぬ小さな島へと置き去りにしたクルーザーが、波を立て滑るように(逃げるように?)勢いを増して小さくなっていく。
彼女は海からやや視線を下に、埠頭に戻し見つめている。どこか冷たい瞳で……。
探偵も、ぶつくさ言いつつ、半ばあきれ気分で見つめていた。
まるで初めての旅行で無邪気にはしゃぐ少年だ! ピョン、ピョンっと、飛び跳ねて手を振るクリス。
「ばいばい! ばいば~い。 ありがと~なぁ~船長さ~ん。また、乗せてな~」
「おいおい、まったく恥ずかしい~観光気分はやめてくれよ」
「いいやん。だ~れも、ここまで乗っけてくれたお礼を言わないなんて……もう。ちゃんと感謝せなあかんのっ!」
「……ま、まあ。確かにそれはそうだが。だけどお前と違って、そう易々とは能天気にはなれない。この少々可笑しな状況下……みんなナーバスなんだよ、繊細なんだよ」
探偵は助手に思いを巡らす。
(こんなゴシック調のフリフリ衣装で着飾った、ちんちくりんな少女を連れてる、なんて頭のおかしい奴……嫌々、ダメだ、そ、それを自ら思っちゃあ!)
うつむき加減で、頭痛を抑えるかに、額にスラリとした指を添え苦悩。
(だが現実は……そう現実は、あの人ヘ、ヘンタイ?! なんじゃ……なんて思われているだろうな……きっと。まあいつもの事……仕方ないが…………。そう! こればかりは仕方がない)
(なぜなら探偵には助手がつき物なのだから……)
少し肩をすくめ、吹っ切れた笑顔を浮かべた。
「さあ~うちらも行こう! 手ぇ繋いだりなんかせぇへんよ~きゃはははっ。ほらぁ、みんなからかなり遅れてる~探偵さん」
「へいへい」
「どんな事件が待ってるか…わくわくするなぁ」
(どんな事件? またまた、それは違うよクリス。何も事件現場に呼ばれて来たわけじゃない。僕たちはただパーティに招待されただけ。とても奇妙でとても謎めいた素敵なパーティに…………それとも……この僕が間違ってるのだろうか)
他の乗客たちが上って行った道を、ゆっくり歩いて行く。
小高い丘になった辺りで道はカーブする。その場に一人の男が待っていた。首を垂れるタキシード姿の紳士。探偵の前に立つと、先ほど皆にもしたであろう挨拶を述べる。
「よくお越しくださいました。わたくしは、お客様方の世話役を言いつけられました執事のクロミズと申します」
いかにも冗談の通じそうも無い、真面目を絵に描いたような執事らしい執事。
他の客から遅れることで、二度手間をかけさせてしまうことになった。その少々の申し訳なさが胸に過ぎり、言葉がよどむ。
「そ、それはそれは、どうぞよろしく……クロミズさん。僕が探偵の…」
っと言いかけ、少し首を振り「いやいや、それは正しくないな」
右手を胸に当て姿勢を正し、真っ直ぐ前を。
自信に満ちた二眼、人間の能力を超越した知性が蒼い炎になってほとばしる。
「名探偵! マーヴェルです」