バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

―肆―

 さてどうすべきか。
 あの女生徒は、今にもトイレそのものから出てきてしまうだろう。既に用事が終了してしまっているというのに、もう一度トイレ内に誘導するのは流石に無理だろう。

 出て来た所を驚かすというのも、オバケ屋敷なんかじゃ良くある手だが、その方法をとっても良いものなのだろうか? なぜならコイツは――

「あくまでも『トイレの花子さん』だものな」

「廊下に出てから驚かすのでは、ワシの存在意義に関わってくるからのぅ」

「……いっそ、廊下の花子さんに鞍替えしてみてはどうだ?」

「アイデンティティーが崩壊してしまうわっ!」

 ダメだろうか? 『廊下の花子さん』斬新だと思うけど。
 まぁ、そうであれば仕方がない。今日のところはこのまま見過ごし、次の機会を待つしかないだろう。


 確かに、生徒達の精神的な平安は、できるならば早急に取り戻してあげたいものである。とはいえ、強引に事を進めてしまうのは、それはそれで別の問題が浮上してしまう気もするのだ。たとえば、平凡な国語教師であるはずのこの俺が、放課後の女子トイレを覗いて回るド変態という汚名を被せられるとか。

 まったく、我ながら面倒な役回りを引いてしまったものである。生徒の為に人知れず……などというのは、もっと熱血タイプの奴が行うはずだろうに。どうしてウチには年中手袋の地獄先生が居ないのか。

「そう言うでない。オヌシも、ワシのようにぷりちーな乙女に構ってもらえて嬉かろ? なんじゃったら、この後かくれんぼに付き合ってやっても良いんじゃぞ?」

「誰がやるか! ……あぁ、もう。無駄に疲れた気がする。あの生徒が居なくなるのを待って、今日はそれで終了だ」

「しょうがないのぅ。日を改めるとするか」

 そう言ってコイツは、俺のスーツの裾をちょこんと握ると呟いた。

「もうちょい遊んでくれると、思ったのにのぅ……」

 その声はなんだかとても物悲しく。置いて行かれるのを怖がる幼子のように、なんとなくだが寂しそうに感じてしまった。俺はそんな、初めて見るコイツの姿に、なんと声をかけて良いのかわからなくなる。

 考えてみれば、このちょっとだけしおらしげな妖怪は、もう長いこと誰にも存在を認識されない生活を送っていたのだ。例え相手が俺のように面白みの無い人間だったとしても、寂しいと感じる事があるのかもしれない。
 コイツの最初から上がりっぱなしだったテンションが、久しぶりに誰かと会話する喜びとは全くの無関係だったなどと、どうして俺に言えようか。


 そして、何か言い返そうと口を開いたその時――

「キャーーーーーッッッ!!」

 唐突な甲高い声が、あたり一面に響き渡った。そのままバタバタと走り去る足音。

 思わずしりもちを付いてしまった俺が尻を押さえながら立ち上がると、女生徒が慌てて階段を駆け下りていく姿が見えた。
 今の悲鳴は、どうやら彼女のモノのようだった。一体なんだ? 何が起きたんだ?

「わからぬ。じゃが……ちらっと見た限りでは、なんだかとてつもなく怯えておったようじゃ」

「お前、なにかしたのか?」

「しとらんわい。むしろこっちが驚かされたわ!」

 何故かぷんすか怒っている。本来驚かす立場にいるはずの自分が、あんな大声にびっくりさせられてしまったのが、妖怪の矜持にでも触れたのであろうか? そんなものがあるとすれば、の話だが。



 その後、文句を垂れ続ける妖怪和服少女を置いて、俺はそのまま家路についた。いくら何かしてやりたくとも、肝心の脅かす相手が居ないのではしょうがないのである。

 なんにせよ。最後に良くわからないハプニングは起こったが、俺達最初の『学校の怪談・復興活動』は失敗に終わったようだ。最初から都合の良い展開が待っているなどとは思ってもいないが、中々思い通りに行かないものである。
 今できる事は、今回の失敗を良い経験に、次の機会に生かす道を考えるべきであろう。

 アイツ等の存在が、生徒達の安定に繋がっているのだ。明日からもせいぜい、小さなトイレの守り神様に協力するとしよう。
 俺はそんなことを考えながら、眠りに付くのだった。


§§§§§

§§§

§


 そして翌日。

「オヌシ……こりゃどういったわけじゃ?」

「俺にもさっぱりわからん」

 学校に着いた俺を待っていたのは、思いもよらぬ『トイレのおばけ』の噂であった。
 何をどうしてそうなったのかはわからないが、尾ひれどころか背びれ胸びれまで付いて、今にも泳ぎだしそうなほど誇張された花子さんの噂話が、学校中のいたる所で噂されていたのである。

 あそこにはトイレで死んだ女生徒の怨念が巣くっているだの。返事をすればあの世に引っ張り込まれるだの。今も髪の長い少女の霊が、学校中を彷徨っているだの……。
 俺の目の前でしかめっ面をしているコイツとは似ても似つかぬ恐怖の存在が、まことしやかに話されているのだった。一部、微妙にカスっている話も無くはないのだが。

「原因は、昨日俺達がやったことで間違いはないと思う。だが、どうしてこんな怪談話になったのかは、さっぱりわからないな」

「ワシもじゃ。中には、ワシがトイレの中に引きずり込むなどという話もあったのじゃ。まったく、誰がそのようなマネをするか!」

 とは言え、コレだけ噂になっていれば、コイツが消えてなくなるという心配はなくなるだろう。同時に生徒達も、この良くわからない不思議な話に夢中になり、いつもの苛立ちが少しだけ解消されているようにも思えた。

「これで、お前の問題は解決か?」

「うむ。今朝方より随分力が戻ってきておる。コレならば、今後はオヌシに頼らずとも生徒達を脅かしていけるじゃろう」

「そうか……色々あったが。まぁ、めでたしめでたし、だな」

「そうじゃな。……オヌシのおかげじゃ、礼を言う」

「気色悪いから勘弁してくれ。持ちつ持たれつ、なのだろう?」

 俺達はそう言って笑い合い、最後に軽く手を合わせた。


 今にして思えば、最終的には楽しい時間だったように思う。
 なんだかんだとちょっかいをかけられて冷や冷やしたが、それでも今後は関わらなくなると思えば、多少なりと寂しいと思う気持ちもある。

 けれど……今後も俺は教師として、そしてコイツは学校に巣くう妖怪として、これからも生徒たちを見守り続けていくのだろう。二度と交じり合うことのない道だとしても、それぞれの場所で同じ方向を向いているのだ。それは多分、嬉しいことなのだと思う。


 そして俺は、これまでと同じく、学級運営と授業進行に追い回される毎日に戻った。今日も今日とて、終わりの見えない仕事の山に、ため息をつく日々を送っている。
 だが、俺がこうしている今だって、誰も知らない所で学校を守っているヤツがいるのだという事が、なんだか少しだけ救われた気分にしてくれるのだった。


 いつかまた、あのクソ生意気で、アホみたいに偉そうで……それでも憎めない学校妖怪を見かけることがあるならば、一緒に過ごした騒がしい日々を思いだすのかもしれない。
 それはきっと、とても楽しい思い出として――――

「おっ! 今日も残って居ったな? それでは早速、次の妖怪に会いに行くぞ。……何をグズグズしておるのじゃ、学校の七不思議は後六つ。オヌシには、まだまだ働いてもらうからのぅ」

 どうやら俺の騒がしい日々は、まだまだこれからも続いていくようだ。

しおり