チノイロ
――ギャアギャアと、アタシは只、ギャアギャアと泣いていた。
白い灯りの方へ進む。母のお腹から飛び出した、ソコがアタシの生きる世界だった。父と母が創り上げた、壮大な愛の結晶のアタシ。母は、涙と汗に塗れながらにアタシを産んで呉れた。
薄紫の、小さな身体を叩かれて、産声を上げた肺に空気が送られる。ソレはもう小さな、小さな手脚を、頭を、全身を、ジタバタと動かして「此の世へ産まれい出たよコンニチハ」と、存在を示す。
サクラ色の、柔らかな母の両の手に、アタシの身体はマルっと抱きかかえられた。眠たく成るような、甘く薫る乳の匂いにアヤされながら、希望か絶望か、安らぎが畏れか、ハッキリ理解できないまま、泣き喚くだけ。
銀のボールペンで、サラサラと父がアタシの名前を書いた。麻希。それがアタシに付けられた名前。危なっかしい手付きでアタシの機嫌を伺い、ダッコしてみたり、ガラガラを振るうてみたり……べろべろばあと、戯けてみたり……三人の間には、穏やかな笑顔が溢れていた。
青空の下、ヨチヨチ歩くように成ったアタシの手を引いて、散歩に出る父。
アタシは決まって、薄汚い駄菓子屋の前で駄々をコネる。スコシ困った顔をして、巾着から小銭を出して、アタシに握らせる。ホントはね、アタシは駄菓子が欲しかったのでは無くて、ほれヨシヨシと、父に抱き上げて欲しかったの。
オレンジの街灯の下、セーラー服を揺らして、子供の頃の懐かしい記憶を辿って居た。十六とも成れば、駄菓子屋の前で駄々をコネたり、ましてやダッコをせがむなど出来るはずもない。一つ深い深い溜息をついて、今しがたアタシがやった事を考える。
青い顔をして、アタシの云うことを聞く父と母。生きているのが苦しいと、暴れたアタシが投げた、ナニカが当たって、派手に割れた硝子窓を、拾い集めながらシクシク泣いて居った母。
置き物の様に突っ立って居るだけの父。アタシの憎悪を込めて吠えた叫び声すらも届かないのかと、悲しく成った。
茶色い封筒に入れられた、所謂レールを敷かれたアタシの未来。父母の希望通りに生きられないと、嘆くアタシの言葉には「コレが貴方の幸せよ」と、耳を貸して呉れない。
ソレが足枷に成って、アタシが壊れて行ったと云うのに。ドンドン心にヒビが入り、ソコから腐って臭いがし始めたのも何時の頃からか。テーブルの上の果物ナイフを握り締め、振り上げながら、腹の底から愛憎を捻り出した。
黒く染まった夜の町、星のヒカリを頼りに、アタシは何処へとも無く駆けだした。雨の降った冷たい空気は、胸の毒を消して呉れる気がした。水溜まりに脚を突っ込んで、水をハネさせて駆ける。
座り込んで、一段と深い水溜りに、ジャブンと汚れた手を入れた。切れた手の平に雨水が染みる。泥で汚れたセーラー服も雨に濡れてゆく。
アタシは自由を手に入れたかった。ここ迄苦しんで、やっと聞き入れて呉れたアタシのこの思い。父母への愛と、自分への憎しみで未だ、脳も心臓も捏ね繰り回される気分。アタシが産まれてコなければ、良かったのだろうかと、何度も叫んだ。
イッソ、この世界を消して仕舞おうと、握ったナイフは父に叩き落とされた。
赤い血の色、手を染めて、アタシの涙を跳ね返す――
どれだけ憎んでも、父母を殺す事は出来なかった。アタシが自殺することも出来なかった。何時の頃からか、死にたいと消えたいと思い始めたのも、何がキッカケだったのだろうと思う。父母を殺してしまった未来に何が見えるんだろうか。今よりモット酷い未来しか浮かばない。
ソンナ、アタシの後ろから「麻希」と呼ぶ声がする。振り向くと、傘もささずにズブ濡れの母と、血の垂れた手を抑えた父の姿があった。アタシはこの二人を消して仕舞いたかったんじゃ無かった。只、分かって欲しかった。そう気付いた。
「麻希、帰ろう」笑顔をつくるのが下手な父、泣くのを我慢しきれない母。二人並んだ父母の手を取りアタシは口を開く。今なら素直に言える気がする。
「お父さん、お母さん、アタシ、ダッコして欲しいんだ……」
――ギャアギャアと、アタシは只、ギャアギャアと泣いていた。