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朽ちた研究所①

 プロローグ

 西暦2882年。
 世界は三度の核戦争と神樹戦争によって荒廃。
 人口の99%以上が死滅した。

 地上は汚染され毒素にまみれ、人間が生活することは不可能となった。
 生き残った人類はドーム都市と呼ばれる半球状のカプセルの中で息を潜めてひっそりと暮らす。
 もはや人が地上の代表者でなくなった、そんな時代である。



EP1 朽ちた研究所



 廃墟の建物が景色を埋める。

 真っ暗な空の下、北の廃墟区域を少女が一人歩く。

 外見年齢は十五歳、まだ幼さが残る顔立ちだ。黒い髪を後ろで一つに纏め、馬の尻尾のようになっている。癖毛のせいでウェーブした髪がユラユラと揺れていた。

 その小柄な体のラインがぴっちりと出る黒のライダースーツ。それに丈の短い漆黒のレザージャケット。さらに黒いミリタリーブーツを履いていた。

 黒く濁った瞳が前を見つめる。

 全身黒尽くめの少女の名を、ルージュと言った。

 ルージュはふと止まり、廃ビルの壁に背を預ける。

 時刻は午後三時。

 空を見上げると星と月が地上を照らす。だがあれらは自然の天体ではない。人工的に作られた偽物である。

 この街に昼はない。一日中あの月が都市の光となっているのだ。
 濁った空気も相まって空は安っぽいガラス細工のようだった。

 ここは戦争時代にできた瓦礫の区域。

 黒く汚れたコンクリートの残骸が目の前にはどこまでも広がっていた。かつては高度な科学社会の中、軍事都市として機能した建物達。それが今は無残に大地を散らかしている。夢の痕、空虚な雰囲気に侘しさが籠っていた。

 繁栄と崩壊、その歴史が凝縮されたような景色である。

 ガタリ――と近くで瓦礫の崩れる音がした。

「…………はぁ」

 ルージュは怠そうに息を吐く。
 そして壁から背中を離し、腕を組むのをやめた。

 男が廃墟の壁からその姿を覗かせた。ジーパンに紺色の上着、平凡を絵に描いたような普通の青年である。
 男はルージュを見ると目を細めて問いかけてきた。

「誰だ?」
「ごめんなさいね、化物に教える名前はないの」
「お前、ノワールか!」

 男は怒りの表情を見せたかと思うと、その胸の中央部から黒い影が噴出していく。そして吐き出された影に飲み込まれていった。
 邪気が空間で肥大する。
 影を得た男の体が見る見るうちに巨大になっていった。

 目の前の廃墟が盛大に崩れていく。
 コンクリートの粉塵の中から巨大な漆黒が見えてきた。
 小さなビルを軽く越える巨体。

 長くうねった黒光りする皮表。百を超えるような小さい足が、まるで一つ一つ生物かのごとくうねうねと蠢く。
 
 全身が漆黒の百足《ムカデ》のような化物だった。

 カタストル――そう呼ばれる怪物である。

 百足のカタストルの口が怪しい輝きを出し始めた。
 光は収束していき、紫の球体状と化す。

 不意にそこから閃光が、線となって放たれた。

 ルージュは左足で地面を蹴り、軽く右に体をずらす。しかし若干間に合わず左手の指に放たれたそれが触れてしまう。
 その指は一瞬で蒸発し、骨の芯にある神経までドロリと熔けて消えた。

「ふん」

 だが瞬時に失われた指が「ボコッ」と肉の泡を伴って再生していく。
 筋肉の赤い繊維、骨の白い細胞、血管の青さが、まるでビデオを早送りでも眺めるかのように創生されていく。

 一秒もしない内に指はすっかりと元通りに戻っていた。

 ルージュは右手をレザージャケットの内側に入れる。
 左脇下に位置するショルダーホルスターから黒い銃を取り出した。

 呪印銃――オートマチックのハンドガンと基本的な形状は同じである。
 しかし普通のそれより銃身が異様に太くて長い。

 ルージュは体内に流れる血流を感じるように、己の心臓から溢れる超力を呪印銃に流し込んだ。

 そして銃口をカタストルの顔面部に向け、引き金を引く。

 ルージュの超力が凝固され、紫色の熱線となって撃ち放たれた。

 それはカタストルの頭に見事に熱で赤くなった風穴を開ける。カタストルは呻き声をあげ、仰け反って横に倒れそうになる。
 だがその傷からドクドクと黒い球体が生まれ、それを塞ぎ固めた。瞬く間に治癒されたのだ。

 気が付けば呪印銃を受ける前と全く変わらぬ姿である。

 ――頭じゃないのね。

 ルージュは胸の内でそう毒を吐いた。

 カタストルはそのビルを押し潰す巨体にして、ルージュに特攻を仕掛けてくる。
 圧倒的な質量の暴力が襲いかかってくる。
 これを受ければルージュもただでは済まない。体ごと細切れ肉に《ミンチ》されてしまう。

 ならば、とルージュは左目に宿った異能を発動する。
 ノワール、その種となった者が操る超力の業。

「魔眼解放――」

 ルージュの濁った左目が疼く。

「超感覚」

 魔眼が発動する。

 世界が遅れた。

 視界に映る物理運動が限りなくゼロに近いスローモーションになった。
 カタストルも、ルージュの動きも。

 だがその中でルージュの五感だけは正常に機能していた。
 スローモーションの世界を堪能する。

 その中で敵の動きを見極める。
 どんな軌道で攻撃はやってくるのか。どうすれば避けられるのか。
 それを頭の中で演算。

 超感覚の世界が終わる。

 ルージュは行った演算通りに体を動かす。

 即座に銃口をカタストルの頭に合わせた。

 スローの世界でのルージュの結論はシンプルだった。
 避けるより、当たる前に殺す。

 超力を腕に流して再び呪印銃の引き金を引いた。

 紫色の閃光が直線に疾る。

 それはカタストルの頭から胴体を貫き空を目指した。
 超力の弾丸によってカタストルの影のごとき黒い体が抉り取られる。

 その衝撃で中心部にあった、黒い種のような物が一つ空に放られた。
 黒い種は亀裂を生み、やがて真っ二つに割れた。

 シード、そう呼ばれている物体だ。

 超力の源であり、カタストルとノワールの命そのもの。

 それが砕けるとカタストルも、もはや再生しなくなった。
 黒い体が蒸発して消えていく。
 影が重力から解放されたのかの如く、天高くに帰って行った。

 数秒も経つ頃には、そこには塵芥一つ残らなかった。
 あるのは空虚な瓦礫の残骸のみである。

 風が吹いた。瓦礫の砂が宙を舞う。
 男の存在は、砂の質量すらもはやなかった。
 完全に虚無となったのだ。

 ルージュはその散り様を確認して銃をホルスターに戻す。

「ふう」
 そして一息付いて帰ろうとした。

「ルージュ」
 後ろから低い声が耳に入ってくる。よく知る声だった。

 振り返ると初老の男が一人、立っていた。
 スキンヘッドの頭に顔の右半分は火傷で機能していない。
 身長は高いが、痩せすぎでガリガリと言う言葉がよく合っていた。

 不吉で不気味、死霊を連想させる。
 この世ならざる雰囲気を身に纏う男だった。

「サイファー、何よ?」
 そうルージュが問いかけると、サイファーは残った左半分の顔で歪んだ笑みを浮かべる。

「今回の任務、よくやってくれた」
「わざわざそんなこと言いに来たわけ? 暇なの?」
「お前は一々、一言多いな。組織から新しい任務だ。十八時、旧生物工学研究所へ向かえ」
「一日に二件も?」
「ああ、済まない。お前程度では荷が重かったかな?」

 そう言われてルージュはムッとする。

「ハゲの分際で、この私を見くびらないでくれるかしら。それくらい余裕よ」
「それは頼もしいな。任務の内容はカタストルの撃破と共に、そこにいる少女を一人保護して欲しい」
「少女の保護? 治安警察にでも頼んだら?」
「馬鹿を言うな。超力を扱えない奴らではカタストルには対抗できん。それに仮にできたとしても少女が引き渡される頃には、奴らに散々犯された後に決まっている、それでいくらかの金銭も要求されるだろうな」
「それもそうね」

 この街の腐った治安警察ではそんなところだろう。

「では頼んだぞ」

 サイファーはにんまりと笑って去って行ってしまった。

「旧生物工学研究所か……」

 ルージュは軽く呟いて、その場を去るのだった。

                 *

 廃墟の街を抜けてすぐのアパートに戻る。
 二階建ての簡素な造りであった。
 ルージュの現在の家であり、組織から支給されているものだった。

 ルージュは階段を昇り、三つある内の一番置くにあるドアに向かった。

 ドアノブを握ると自動で生体認証がなされ、鍵が外される。ルージュはそのままドアノブを回して室内へ入っていった。

 ベッドが一つ、それに使われた痕跡のないキッチンがある。あまり物を置くのが好きではなかったのでシンプルな部屋だった。

 灯りも付けず、キッチン棚からカップラーメンを一つ出す。蓋を開いて水道の蛇口から水を雑に入れた。

 カップの容器に入ると水は独りでに沸騰を始める。
 五秒くらい水の沸騰を見せられると、すでに湯気が登り始め、調理は完了した。

 プラスチックの箸とカップラーメンを持ってベッドに座る。
 暗い部屋の中、ルージュはスープを一口飲んで、ずるずると麺を食べ出した。

 ベランダの窓の外には都市の中心部が遠くに見える。

 廃工都市ウーノ、それがこのドーム都市の名前だった。
 数あるドーム都市の中では中の下、あるいは下の上に入る都市だろう。

 ネオンとビルの光りが目立つ。
 乱雑に配置された高層建築物の群れは、優雅さの欠片もない。
 まるで濃すぎる化粧のようなケバケバしい醜さがそこにはあった。

 街を蟻の軍勢のように人が右往左往としている。この都市では中心部以外にまともに栄えているところもないので、人が一極に集中してしまうのだ。
 ビルに備え付けられた宣伝用の液晶が、淫らな格好をした女性を映していた。

 汚いでもなく寂しいでもなく、これほどまでに《《下品》》の一言の似合う都市も中々ないだろう。

 ルージュは光彩の欠けた瞳で、この下らない都市の風景を眺めながらカップラーメンを食べ終える。

 ゴミ箱に空の容器を投げ入れ、箸をスポンジで軽く洗うとシャワー室へ足を向けた。さすがにそこでは都市の光も、空の光も届かないので灯りを付ける。

 ブーツを脱いで脱衣所に上がると呪印銃の納められているホルスターを外して機械の箱の上に置く。次にレザージャケットを脱いだ。そしてライダースーツの首元にあるチャックを下ろし、それも脱いだ。

 一糸纏わぬ姿になる。

 身長は155程度の小柄な体に、つんと上を向いた小振りな乳房が露わになった。

 鏡で自分の姿を確認する。
 ノワールとなったあの日から十五歳の外見のままだった。
 何一つとして変わらない。

 ルージュは正方形の機械の箱、洗浄機の蓋を開ける。そこに脱いだ衣服を突っ込んだ。
 洗浄機は衣服を空気で回し、緑色の光を浴びせ始めた。
 これでシャワー室から出る頃には洗い終えているだろう。

 ルージュは最後に髪を縛っていたゴムを外してシャワー室に入った。

 シャワーの隣には浴槽もあったが、滅多に使うことはなかった。
 シャワーの栓を回すとお湯が出てきたので、それを頭から全身に浴びる。
 カタストルと戦闘した後は不思議とシャワーを浴びるのが癖になっていた。

 しかし今回の目的はそれだけではない。
 二戦目のために超力を回復しておかなければならないのだ。

 ルージュは太股に右手を置く。
 そこからじっくりとなぞるように自分の陰部まで手を滑らせる。柔らかい感触が官能的な刺激を持ってルージュを惑わす。

 右手で陰部の表面を上下させる。
 怪しい感覚が下腹部から徐々にせり上がってくる。

「んっ……」

 余った左手は乳房の先を摘んだ。指の力を入れてこねると、脳がジンジンと熱くなってくる。
 一人でも恥ずかしくて、声を出すのを我慢する。声にならないあえぎをシャワーの音が消し去る。
 陰部に触れていた右手の動きがもどかしくなってくる。

 ――もっと激しく。

 右手の動きが加速する。淫靡な波にもう我慢が効かなかった。
 口を開けているとシャワーのお湯が入ってくる。それすら舌を通して淫らな興奮を与えてくれた。

 いよいよ快楽の渦が沸き上がってくる。
 乳房の先を摘んでいた左手の力が強くなる。痛いほど、むしろ良かった。
 そして右手の動きも激しくなる。
 それに併せて股が外側にだらしなく開いていった。とても他人に見せられる格好ではない。
 くちゅくちゅと、激しくなっていく淫音が部屋に反響した。

「んうっ!」

 息が止まる。

 その快楽がピークに達した。しかしその余韻を逃すまいと、ルージュの両手はせわしなく動き続ける。

 そして快楽の波が落ち着くと、足の力が抜けてその場にへたりと座り込んでしまう。

「はあ、はあ……」

 床に手を着いて肩で呼吸をする。

 ――他にもっといい方法はないのかしらね。

 ルージュは顔を赤らめて、そう思う。

 シード――超力の源であるその物体は黒い種のような形をしている。

 シードを心臓と融合させて、超力を操る人間を《《ノワール》》と言う。ルージュもまたノワールであった。

 そしてシードの超力に飲み込まれ、異形の怪物となった存在を《《カタストル》》と言った。

 ノワールとカタストルはその根源は同じであり、極めて近い存在と言えるだろう。

 そしてシードの一番の栄養源は感情である。

 故にカタストルは人間を襲い、その脳と心臓を補食する。その人間の記憶と魂の感情を得る為である。

 ノワールもシードがある限り感情を必要とする。けれどカタストルと違い体が小さいので自分自身の感情をシードに与えるだけで生きていけた。

 またノワールもカタストルも、シードをその身に宿すものはそのシードが壊れない限り死なない。例え傷ついても再生し、老いて死ぬこともない。

 ノワールはそのエネルギーを食事などでも補えるが、やはり感情を刺激するのが一番である。

 そして一番の感情を刺激する行為が性的興奮なのである。消費した超力を回復するにはそれが一番有効なのだ。
 劇的な怒りや喜びは滅多になく、またコントロールできない感情の揺れは危険と言わざるを得ない。

 それと同等か以上の効果を持つのが性的興奮なのだ。

 望む望まないに関わらず、ノワールは性的衝動を呼び起こす手段を持たなければならない。体も普通の人間より敏感にされてしまった。

 この体になった呪い。

 ルージュは超力が回復したのを感じてシャワー室から出る。
 体を綺麗にバスタオルで拭いて、洗浄機からライダースーツをそのまま着る。ピッチリと肌にまとわりつく感触がした。チャックを上げて、ショルダーホルスターも身に付け、レザージャケットを取り出し羽織るのだった。

しおり