本編
「お前との婚約を破棄させてもらうっ!」
この瞬間がついに来た!
常識的に考えてありえない宣言をかました元婚約者をじっと見据えてアリアは口を開いた。
「かしこまりました。殿下のおっしゃるようにいたしましょう」
アリアには生まれた時からこの世界の記憶があった。
前世というやつだ。
侯爵令嬢であるアリアはその生を授かるまえ、日本という島国の一般的な20代女性の生活を送っていた。
普通に大学を卒業して、普通に就職をして、普通に働いていた、おおよそ平均的で平凡な人生。
趣味が乙女ゲームだったところも平均的なのか。
平凡な人生の次の生がその乙女ゲームの悪役令嬢になるなんて神様もびっくりだ。
自分が悪役令嬢に転生したことに気づいたアリアはまず思った。
断罪回避だ! と。
ヒロイン虐めの首謀者として断罪されるのがアリアの結末だ。
何か投獄されてたけどその後どうなるのか描写すらなかった。多分よくて獄中生活、悪くて処刑か。
そんなの冗談じゃない。せっかく乙女ゲーの世界に生まれ変わったんだから、断罪回避からのスパダリ溺愛ハッピーエンド。悪役令嬢のロールモデル。これを目指そうじゃないか。
アリアの目標は定まった。
乙女ゲーの展開どおり、アリアは第二王子の婚約者となった。
そして学園に入学し、婚約者である第二王子は庶子であるヒロインに惹かれて、そのうち公然と二人はいちゃつくようになった。
途中で、王子の婚約者になるのを回避すればよかったんじゃないの? と思わなくもなかったが、アリアは王子の婚約者としての義理を果たしつつ、たまには人目もはばからずいちゃつくことに苦言を申し入れつつ、そうやって学園生活を送った。
当然ながらヒロイン虐めには加担しない。いじめていないのを証明するため常にアリバイを作ることに余念はなかった。
そして迎えた卒業式の後のプロム。
バカ王子はシナリオどおりにアリアに婚約破棄を告げたのだ。
(よかった。途中で改心しちゃったらどうしようかと思ったのよね)
アリアが何もしなくても、ヒロインはえげつない嫌がらせをされていたし、第二王子はそんなヒロインを守るために奮闘していた。さすがにえげつなさすぎて、首謀者に対してアリアもストップをかけてしまったが、そんなアリアの暗躍はバレていなかったようである。
アリアの目標はこの婚約破棄の先だ。こんなアホ王子に用はなかった。
あっさりと承諾をしたアリアが意外だったのか、呆気にとられたような表情を見せる王子に、アリアは言葉を重ねた。
「破棄を希望される理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「お前は、このマリーナに繰り返し嫌がらせをしていただろう! 仮にも王子妃となるものがそのように浅ましい真似を――」
「しておりません」
「何!?」
口上を聞くのがもう面倒で、第二王子の言葉を遮るようにきっぱりと言い切った。
「ですから、いやがらせなどしておりません。証拠もございます」
「し、しかし、マリーナが――」
「それよりも、婚約者がいながらも、別の女性と四六時中一緒におられるのはどうかと思います。二人きりで放課後の生徒会室で過ごされていましたよね。わざわざ申し上げるのもどうかと思い口をつぐんでおりましたが、お二人で何をされていたのでしょう」
何をしていたのか、の証拠も用意してある。
これはアリアの独擅場である。この場で婚約破棄を突き付けた時点で王子の負けは確定していた。
そうやって、婚約破棄大逆転が成功したのであった。
「婚約者として第二王子の行動を諫めることができなかったそなたにも責任はある。よって、アリア=オーラント侯爵令嬢を修道院送りとする」
はあ!?
声に出さなかっただけ褒めて欲しい。
一体この低能王は何を言い出すんだ。
今からアリアを待っているのは、王と年の離れた王弟か第三王子か、はたまた公爵令息とのロマンスのはず?
だが、王より沙汰を申し渡されたアリアには誰も寄ってこない。
両親や、兄や姉といった家族すらも。
「って、やってられるかああああ!」
カウンターに空になったジョッキをたたきつける。
これが飲まずにいられるか、だ。
「お嬢様、もうそのへんで」
「もう一杯よ!」
学校も卒業した(卒業資格のはく奪はされなかったのだ)から酒を飲んだって問題はない。泥酔ぐらいさせろ。
子どもの頃からずっと夢見ていたスパダリ溺愛ハッピーエンドが木っ端みじんに砕け散ったのだ。もう夢も希望もない。
さすがに、王の沙汰があんまりだと思ったのか、王妃や家族たち、そして友人たちの嘆願のおかげで修道院送りは免れたものの領地で無期の謹慎である。
信じていた(ことになっている)第二王子に裏切られた貴族令嬢に対する仕打ちなのか、これが?
第二王子とヒロインは市井に落とされたという話だった。ヒロインが断罪されるとは思わなかったが、アリアにしてみればあまり興味がない。
ひょっとしたらヒロインがアリアのせいで断罪されてしまったから、その罰だとでもいうのだろうか。バカバカしい。
控えめにビールが注がれたジョッキをひったくるように受け取りアリアはジョッキの中身を一気に飲みくだす。
ぬるい。あんまり好みじゃない。
もう、恋愛諦めて知識チートでキンキンに冷えたビールを売り出して一財産築いてやろうか、と一瞬だけ脳裏を横切った考えを打ち消して大きくかぶりを振る。
まだだ! まだ終わらんよ!!
アリアのスパダリ候補であった王弟と公爵令息はヒロインにぞっこんで、毎日下町までヒロインを口説きに通っているらしい。
(例えば、例えばよ、下町でばったり出会って一目惚れからの溺愛開始はあり得るんじゃないかしら?)
出会えば、出会いさえすれば、溺愛が始める可能性はある。
アリアはポジティブだった。
謹慎中の身だ。
そうとわからないように粗末な服に着替えて馬を駆り、王子とヒロインが暮らす村に向かう。
一昼夜走り続けてたどり着いた村では――。
「やめて! わたしのために争わないでえ!!」
何かが起こっていた。
剣を構えている二人の真ん中でヒロインが泣き叫んでいる。
対峙しているのは王弟と公爵令息だ。元王子はどこにいるのかわからない。
「勝ったほうがマリーナを連れて帰る。それで構いませんね」
「恨みっこなしだ」
「やめて! わたしは彼とこのまま一生ここで幸せに暮らしたいのっ!」
あ、これはダメなやつだ。
状況を見るや否やアリアは踵を返す。
いくら顔がよくても誘拐はだめだ。犯罪はダメ。
元王子からの略奪もダメ。
物珍しいのか人がどんどん集まっていくその場から逃げるようにアリアは馬に飛び乗り去った。
「こんなことなら幼少期に孤児でも拾っておけばよかったなあ」
領地に戻ってきて、自分の部屋である。
ヒロインが愛されすぎていて太刀打ちできないし、あんなスパダリは嫌だ。打ちのめされていた。
逆光源氏計画だ。市井で行き倒れの孤児を拾って忠誠をつくす味方もしくは将来の伴侶として育てる。
小さい子どもを洗脳するようであまり気が進まず子どもどころか犬猫も拾ったりしなかったが、幼いうちに手を打っておくべきだったか。
「育てる、ね」
前世でよく聞いた言葉だ。
いい男は自分で育てろ!
「そうだ!」
いまいちぱっとしない男でも、手を加えることによって素晴らしく自分好みの男に育てあげることができる。そういう理屈だ。
だが、謹慎中のアリアにはぱっとしない男すらも入手は難しい。
と、なれば――!
「作ってしまえばいいのよ!」
人体生成に挑戦だ。
幸いなことに魔術は得意だ。
黒魔術も趣味でちょっとだけかじっている。
趣味で集めた怪しい呪術の本にあった。人体生成。はやる気持ちを抑えながらページをめくる。
材料は水やら石灰やら炭素やら。そういえば前世でハガ〇ン大好きだったなあ。あれ等価交換だったっけ。そんなことを思いながらもアリアは自らの手で材料を買い集めていく。
屋敷の庭に置かれている、物置小屋にすべての材料を並べ、さっそく本を片手にレッツ生成である。
材料を大鍋に入れて混ぜ、呪文を唱えながら魔力を注ぐ。
黒い物体が大人のヒトの形へと少しずつ変わっていく。
(あと少し)
人体が出来上がっても、魂は入っていないただのでくの坊だ。
これに、魂を宿らせればお手製スパダリの完成である。
今回は特別に、空気に存在するという精霊を宿してみることにした。
精霊ダーリン! 最強だ!
本に書かれている呪文を唱え指を組んで、祈りをささげる。
(どうかわたしにスパダリを授けたまえー!!)
ドクン
鼓動がやけに大きく響いた。
目の前のでくの坊だった人体がゆっくりと立ち上がり、その姿を変えていく。
黒髪の長髪。赤い目。美形だ。
なぜか服まで生成されていてそれが黒一色なのが気になるが。
「成功したのね」
「我を眠りから呼び覚ましたのは貴様か」
「そうですそうです! さあ、できあ――」
そこまで言ってアリアは気づいた。
乙女ゲーのラスボスって魔王だったよね?たしか黒一色の中の唯一の赤い目。美形だけど、冷徹なヒトに見える魔族の長。
「やっべ、魔王降臨させちゃったわ」
ゲームではどうやって復活したんだっけ? あんまり記憶がないけれど、ヒロインの不思議な聖なる魔法でドガガガーって感じで倒したはず。
どうしよう。ヒロイン不在なんだけど。
「我を復活させた褒美にお前は残してやろう。ニンゲンどもには滅亡という名の絶望を与えてくれる!さあ、地獄のはじまりだ!」
(残してくれるのか。ってことはワンチャン魔王の溺愛始まるかも? 誰もいなくなった破壊された世界でロマンチック~って、んなわけあるかい!)
一人ツッコミをしてアリアは魔王に向かって手を伸ばした。
「待って、行かせるわけにはいかないわ。ハッピーエンドはこの世界の平和とともに! よ。世界が壊されたらそれはもうハッピーエンドじゃないもの!」
「生意気な女め、死に急ぐか」
覚悟を決めるしかない。
アリアは己のこぶしを握りしめた。
「来なさい厨二病魔王! このわたしが相手よ!」
はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……!
静かな小屋の中にアリアの荒い呼吸を繰り返す音だけが響く。
「……殺ったわ!」
人体生成から魔王降臨まで魔力を大量に消耗していたけれど、何とか倒せたのは復活直後だったからか。
自分で復活させといて倒すってそこはかとなくマッチポンプ臭、アリアは気づかなかったことにした。
「どうして」
それよりなにより、とにかく悲しかった。
ただスパダリに愛されて幸せになりたいだけなのに。
そのために惜しみなく努力をしてきたというのに。
とにかく頑張って黒魔術すらも成功させたというに。
「どうしてうまくいかないのよぉっ!」
無理やりポジティブに変換して自分を奮い立たせてきたが、もう無理だと思った。
その場にひざまずくと、顔を覆って泣きじゃくる。
前世を合わせればかなりのいい年だが、まだ外側は十代の娘なのである。
長年頑張ってきたことが裏目に出たその時からずっとずっと泣きわめきたかった。
「ニンゲンの娘よ」
完全に死んだと思っていた魔王が口をはさんできた。
「貴様はずいぶんと面白い」
「おもしれー女枠に当てはめるな!」
最終奥義・ファイナルバーストストライク(命名アリア)をぶっ放して、魔力切れでアリアはその場に倒れた。
おもしれー女認定をする奴は好かん。
目を開ければ自室だった。
誰かが運んでくれたらしい。
「起きたか」
「なんで生きてるかな」
アリアの顔を覗き込んできたそれに、低い声でうめき声をあげれば、そいつも心底嫌そうな表情になった。
「生きたくて生きているわけじゃない」
「まだやるつもり?」
寝たから魔力は回復している。仕切り直しでもう一度やりあうことは可能だろうとアリアは一瞬で判断した。
「魔力が失せた。この体から出ることもかなわん」
「失せた?」
確かにアリアとは死闘を繰り広げたのだ。生まれたばかりの体で負担が大きかったのだろうか。
「出ることができないの?」
「……誰かの魔術が完璧すぎて、体が壊れない。これでは霊体に変化して周辺の魔力を吸収することもできぬ」
「ざまあ」
世界を滅ぼそうとなんてするからそういう目にあうのだ。
一度言ってみたかった言葉を口にしてアリアは笑った。
魔王が困っているさまは楽しいかもしれない。
「責任をとれ」
「はあ?」
「この世界にこの形の我を生み出した貴様が責任を取るべき。ニンゲンの世界では製造者責任というのだろう?」
「はあ?」
ここのところアリアの想像の範疇をはるかに超えることが起こりすぎて理解が追い付かない。
そもそも、この魔王はスパダリとはカテゴリ違いだし、こういう性格はアリアの好みではない。
(まあ、いいか)
どちらにしろ無期謹慎中である。
その割には好き放題やらかしている自覚はあるが、本来ならば大人しく過ごさねばならないのだ。
退屈だけはしなくて済みそうなのは、それはそれで。
「どうせ、あなたもヒロインに出会ったら好きになっちゃってここを去って行くのだろうし」
シナリオの強制力というか、あのヒロインの人を惹きつける力はまさしく神の手によるものとしか思えない。
ゲームでは魔王は倒されて終わりだったが、出会えば魔王だってヒロインに落ちるのは想像にかたくない。
そして、アリアはどこまで行っても悪役令嬢で、悪役令嬢ならばどんなひどい目にあってもいいと思われている節がある。多分神っぽいものに。
「それまでは面倒を見てさしあげましょうか」
「貴様が興味深すぎてどこかに行こうという気にもならんがな。この肉体が朽ち果てるまでは貴様のことを観察し続けてやってもいい」
「観察はヤメテ」
魔王の観察対象って、どれだけおもしれー枠なんだろうな。
首を傾げたってわかるわけがない。
本当に、最近の出来事は全てアリアの理解の範疇の外だ。
「ではまず、名を与えてくれ」
「はいはい、わかりました」
元魔王から差し伸べられた手をアリアはベッドに座ったまま両手でつかむ。
「そうね、あなたの名前は――」
その後、王国を独立をしたオーラント王国の初代女王の横には、夫である黒き赤い目の男が常に付き添っていたとかいなかったとか。
おしまい。