生きる覚悟はなくても
社会人になってしばらく経つが、私はもしや社会不適合者というやつではないかと思った。
「多少の無理を効かせて、社会(というか会社員という労働形態)に適合できる人」が大半だろうから、”不”適合者という言葉選びが絶妙に好きじゃない。
ということもあり、自分がそうであると真剣には疑わず、社会に参戦した。
まあ、よくわからんけど、がんばればいけるっしょ。
そんなノリ。
そもそも、私の育った環境からいえば、高校なり大学なりを出たらどこかしらの会社に入る、もしくは公務員になるというのが定石だった。
それ以外の生き方に触れてこなかった。
「楽な仕事なんてない」
「金は時間と労力を売って稼ぐもの」
「将来に備えて貯金するべし」
そんなことは言われるまでもない、常識だった。
が、働き出して数ヶ月。
私は体調を崩した。
体調管理には気を配っていたし、原因に心当たりがなかった。
ただ、「働きたくねえ」という率直な思いと、「いや、仕事はせねば」という矜持を抱えて。
それから、「この働き方はたぶん無理だな」とぼんやり直観した。
このままいくと死ぬんじゃないかと思った。
少し前にものすごぉく嫌な経験をしてからというもの、まるで堪え性がない。
「人間って思っていたよりも少しのことで死にかねんな」
「そんなに脆いなら、我慢なんかしている場合じゃない」
そんな風に考え、しかし社会性は担保しておきたかったので、「いかにストレスを減らしながら希望の状況をつくるか」に重きを置いて行動することにした。
社会的望ましさと、個人的に望ましい生活を両立するべく、少しだけ頑張ってみた。
生活に困らない程度の収入を安定的に得て、仕事終わりのお出かけと休日を楽しみに、テンポよく日々を消費していく。
初めのうちは良かったが、そのうち明らかに飽きてきた。
クソつまらん。
仕事は楽しい。
仕事じゃなくて、生活がつまらん。
もう嫌気が差して、朝起きるのも夜寝るのも、食事も遊びも億劫になっていた。
考えてみれば、私は学校が嫌いだった。
毎日決まった時間に起きて、決まった通学路を行き、半日勉強して、放課後は塾か部活か遊びに勤しむ。
また通学路を戻り、明日に備えて寝る。
たまの休日を待ち侘び、後ろ髪引かれながら学校生活に戻る。
大人の理不尽な理屈は「そういうもの」として飲み込み、無力さをたびたび自覚する。
会社員の生活と異なる点といえば、収入があるかどうかくらいでは?
こうした生活が嫌で嫌で仕方なくて、やっぱりたびたび調子を崩していたことを思い出して笑ってしまった。
比較的時間の自由がきく大学生活をはさんで、ルーティンをこなすつらさが薄れていたらしい。
そして自分の”常識”に基づき、当たり前のように会社員を志してしまったものだから、同じ轍を踏むのは当然といえば当然である。
学校生活にすら苦労する奴が、社会生活に難なく適応できるはずがない。
幸か不幸か、嫌なことも気合いでできていたのが、ある経験を通して「嫌なことはできない」くらいに何かが変化していたので
そろそろ、自分の人生に本気で向き合おうと思った。
誤魔化し誤魔化し生きていたら、生きたくなくなる。
痛いのも苦しいのも好かないのだが、私の知る限り、現状楽に、かつ他人に迷惑をかけずに死ぬ手段がない。
となれば、生きてもいいかなと思えるくらいの幸せを考える必要がある。
制限をかけずに考えて、「何もしなくても生活できるならいいかな」という結論を出した。
自分にとっての幸せが「何もしなくていい」だったとは。
仕事だけでなく家事も気が向いた時にしかしたくないけれど、そこは外注するか機械に頼ればなんとでもなる。
考えるべきは収入源のみ。
私は 「報酬を得るために用意された労働」が、とにかく嫌いなのである。
いい大学に入るための勉強。
健康のための運動。
美容のための諸々のケア。
サブスクリプションみたいな労働。
全てに意義があることは理解しているつもりだ。
けれど、それで得られるもののために頑張ろうと思える程には、人並みの生に執着できない。
当時の仕事はけっこう楽しかったが、求められる範囲というのが決まっており、また仕事のために生活を組むのが、首を絞めるような苦しさだった。
真剣に調べてみると、収入を得る方法は実に多岐にわたるようだった。
手始めに気になったものをやってみて、いくらか手に入れることができた。
趣味以上アルバイト未満といった緩さだったけれど、得られたお金は宝物のように感じる。
「会社のお給料以外の収入があるって、すごく嬉しい」と人と言い合えたことが、きらめかしく記憶に焼きついている。
お金は、しんどい思いをすることの対価ではないのだ。
好きなこと、楽にできることが、案外収入につながる。
ただそれだけのことを知っているかいないかで、世界はまるで様相を変える。
自分はどうなりたいのか。
生きる覚悟も死ぬ覚悟もないばっかりに、肝心なことをサボってきた。
多少の抵抗があろうと、自身の正直な気持ちを掬いあげなければ、誰のものかもわからない観念にとらわれたまま死んでいくことになる。
それはちょっと、恐ろしい。
生まれてきてしまったのだから、この身でしか味わえない幸せを享受したいんだ。