ある日の朝に
カルファ、ドンテツ、チィコの三人のそれぞれが日本という国で生活を始めて二ヶ月が過ぎた。
雨の降る日が多く、衣服が乾きにくい梅雨の時期。
そんなある日の休日。
早朝、勇者の住まいにて。
トールは、いつものように鼻歌を交えながら全員分の朝食を対面式のキッチンで調理していた。
しばらくはカルファに買い出しを頼んでいたが、どうしてもポップとタイムセールの誘惑に勝てないので、現在はトールが買い出しから調理までこなしている。
とはいえ、手を抜くことはなく。
どの献立も工夫を凝らし、出来るだけ季節にあった物を使用している。
今日の献立は、ジメジメした天気でもツルっと食べれる氷水で締めた素麺に、前日から仕込んでいた鰹と昆布の合わせ出汁をかけた一品だ。
トッピングには刻んだ大葉とみょうがと練った梅。
あまり強い匂いの物が得意でない、チィコには錦糸卵と細切りにした胡瓜が用意されている。
「よし、ええ感じや」
綺麗に盛り付けられた皿を見て満足気に言う。
知識欲の塊、エルフの女王カルファはというと、ダイニングテーブルで膝を抱えスマホのショート動画の夢中だ。
傍から見ると、ただ、自分の欲望を満たす為に見えなくもない。
だが、根は真面目。
友達である舞香から紹介されたこと。
書店に勤めて二ヶ月経過したこともあり、責任感が芽生え、日本の書物をショート動画で宣伝する方法がないか真剣に考えていた。
「時代は常に流れていますね……さて、どうしたものでしょうか……」
「また、動画を見ておるのか。儂からすると全部同じに見えるわい」
カルファに声を掛けるは心優しきドワーフ、ドンテツ。
ドンテツはリビングの奥、ワンカップ酒から冷えたビールに変え、ぐいっと一飲みするとあぐらをかき鍛冶道具の手入れをしている。
これがドンテツにとっての贅沢であり、至福の時である。
今も月乃屋商店の見習いではあるが、最近ではフォークやスプーンなどの食器類を任されるようになっていた。
ちなみに、この住まいにあった食器類は全てドンテツが打った物に代わっている。
「何を言いますか。全て工夫されていますよ。まぁ、ガサツな貴方では気付けないとは思いますが」
「……うむ。反論したいが、こればっかりはわからんな」
二人の間にいるボクっ娘のチィコは、フローリングでうつ伏せとなり足をバタつかせてながら宿題をしている。
ようやく数字の意味合いを理解し始め、今は日本特有の漢字と英語の授業に苦戦している真っ最中だ。
「あー、だめだー! 意味がわかんないよ。なんで違う漢字で同じ読み方があるのー!? てかさ英語って違う国の言葉じゃん! これ覚える必要あるの?」
「ガハハハ! 確かにのう。儂もよくわからん。英語うんぬんの前だの」
「ほんとそれだよー!」
「うむ。魔法のおかげで読めることは出来ても書けんからの。儂も書類を書く時は苦戦しておるし」
「だよねー、ボクもようやく自分の名前をカタカナで書けるようになったくらいだよ。それなのに、漢字に英語だよ? わけわかんないよ!」
「そうですか? 漢字は割と覚えやすいですよ? それぞれに意味がありますし」
「むう……それはそうかも知れんが。お主のような本の虫と比べられてもの――そういえば、カルファよ。話は変わるが振り込まれた賃金はどうするのだ?」
「ああ、先日振り込まれた初任給ですね。私は約束した分のお金をトール様に預けて。残りは小説と漫画でも買おうかと!」
「ほう! 書物の類か、違う世界に来たと言うのに変わらんの」
「そういう貴方は何か使い道を決めていたりするのですか?」
「儂か? 儂も約束した分の賃金をトールへ渡してだな。あとは鍛冶道具を整備する物と、やはり酒だの」
そう、今日は初めて全額支給された日の翌日。
言うまでもなく、大人二人は心躍らせているのだ。
ちなみに各自の口座については、トールによりネットバンクを開設済みである。
「貴方も何も変わらないじゃないですか」
「ん? そうかの? いや、そうかも知れんな。結局、儂らはどこにいようとも同じだということだの。ガハハハッ!」
「ふふっ、そう思いましたよね? ですが、私は違います! この世界のBLってとても造詣が深くてですね! あ、BLというは――」
「――平たく言えば男色の話だったかの?」
「おお、貴方にしては察しがいいですね。ええ、そうです。さまざまなジャンルがあるので、その言葉で一括りにしてもらいたくはないですが……」
「むう……やはり変わらんではないか。いや、悪化しておるな」
「悪化ではないです。進化、いえ深化です。私達の世界のように固いだけの文章だけではなくて飲める文章ですし、絵師様もすご――」
「凄いのだろ? 耳にタコができるほど聞いておるんだ。わかっておる」
「そうですか……残念です。新作が出たので話したかったのに……」
カルファは書店に勤めたことにより、日本への理解が深まり、元々持っていた趣味趣向が深くなっていた。
これもまた、エルフ特有の探究心とカルファの持つ真面目さの賜物でもある。
それが良いか悪いかは別として。
「新作って、前教えてくれたやつだよね! 確かトールにそっくりな人とヒロおじみたいな人が仲良くする話! 確か……【尊敬から愛へ 〜その形、千差万別〜】とかいうやつだったよね?」
「そうです、よく覚えていますね! さすがはチィコです」
「えへへ〜! ちゃんと覚えているよー! なんと言ってもトールにそっくりだし、穂乃花も騒いでいたしね!」
「穂乃花ちゃんですか! あの子もさすがですね」
「うん、またカルファに会いたいって言ってたよー!」
「そうですか。ふふっ♪ また宜しくお願いしますねと伝え下さい」
「おっけー! 言っておくね!」
チィコに至っても初めて出来た友達、穂乃花の影響もあり、少しずつだが確実にそちらの方の見識を深めていた。
もちろん、今話題に上がっているBLは全年齢対象作品なので、特段問題はない。
いくらカルファであっても、そこは弁えている。
「まーた、そないなもんを子供に見せてるんかいな。僕、人の趣味趣向に関して寛容なつもりやけど、ちょっと引いてるわ……」
トールはキッチンから、呆れた声をあげる。
いくらオカン級に思いやりがあり、心が広いトールであっても悩んでいた。
幼い子供達にこのような趣向を見せていいのかを。
だが、自分の意志で好きな物を見つけることもまた大事。
結果、薦めたカルファに対して、やや嫌悪感を抱くことになっていた。
「そんな引かないで下さいよー! ほら、トール様も絵柄を見れば気に入りますよ!」
当のカルファは呆れているトール、ドンテツの気持ちに気付く気配すらない。
仲良く手を繋ぐトール似の主人公とヒロインとなる宏斗似のイラストを堂々と見せている。
「いやいや。スマホ見せて来ても、キッチンか見えへんから! そもそも自分に似てるだけならともかく、相手がヒロおじやで? なしよりのなしや」
「のう、カルファ。お主、働いている時と随分雰囲気が違わないか? 儂が見た限りではもっと大人びた雰囲気を感じたのだが」
「あー! それボクも思った。なんか初めの頃って感じだよね! 綺麗で賢いお姉さんって感じの」
「髭モンジャラはともかく、チィコまで。何を言うのですか、私は今も綺麗で賢いお姉さんです」
「とうとう、ドワーフとも言わんくなったの……これのどこが、賢いだ」
「なんです? 文句ありますか? 貴方なんて魔法さえ自由に仕えたら、一瞬でおしまいですよ?」
カルファは、右手人差し指に魔力を集中させ、魔法を発動しようとする。
部屋の中に、緑色のマナが渦巻く。
「その言葉遣いやめんか。お主、BL以外となるとそればかりではないか」
それに対してドンテツは左手へと魔力を込め対抗しようとする。
渦巻く緑色のマナに土色のマナが覆い被さり、二層となったマナが部屋中を満たす。
「ええ、漫画にて真の帝王学を学んでおりますから!」
「真のって……あの白いやつだな、確か宇宙の帝王だったかの?」
「そうです、宇宙の帝王様! 主人公二人に負け続け、情けを掛けられ惨めな時を過ごしてきた。ですが、彼はついに修行をし、そしてその修行の果てに成し遂げるのです! 主人公を交代するという大偉業を! 私はああいう存在になりたいのです」
カルファがハマってしまった漫画は、七つの願いを叶えるボールを巡る戦い。
地球育ちの宇宙人と地球を侵略しにきた宇宙人との戦い。
それらを面白おかしくも、感動させる家族愛なども描いた国民的漫画だ。
「だめだ、儂はついてはいけん……」
カルファの過度な熱量に当てられてしまい、ドンテツは集めていた魔力を霧散させた。
「あ、消えた……」
それを目にしたことで、カルファ本人も集めていたマナを散らす。
「そらの……すっかり馬鹿らしくなってしもたわ」
ドンテツが馬鹿らしくなるのも、無理はない。
実はこのやり取りも何度も繰り返されてきたのだから。
それに後ろから反省しないカルファに刺さるような視線を向けているトールにも気付いていた。
ここまま勢いと場の雰囲気に飲まれ、魔法を使うことがあろうものなら、今度こそ容赦なく強制送還させる。そんな意味合いを含んだ視線に。
ドンテツは、再びビールを手に取ってクイッと飲んだかと思えば、目の前にある鍛冶道具を磨き始めた。
「ふぅ……やはり、落ち着くの」
状況を把握し自分の世界に入ったガンテツとは違い、何も気付いていないカルファとチィコは会話を楽しんでいた。
「ボクは好きだよ。あの魔王みたいに高笑いする小物感とか」
「っさすが! チィコ〜! わかってるー!」
「当然だよ! この日本では有名なキャラクターだもん……ちょっと古いけど」
「えっ……古い? 古いって言いましたか?」
「えーっと、あはは!」
「うわーん、チィコが笑って誤魔化した〜!」
「盛り上がってるとこ悪いけど、この家の王からの言葉や、早くご飯食べてくれる? 冷めるんやけど」
冷たい視線に満面の笑み、そして花柄エプロン。
アンマッチな感じが凄みを演出する。
「ぐすっ……は、はい。いただきます。我が王よ」
「……もう、儂はツッコまんぞ」
「はーい、僕もトール王の言うこと聞きますー!」
こうして今日も賑やかな一日が始まるのであった。