第91話 敗戦から立ち直れない甲武
先の敗戦からの復興は進んだとはいえ甲武の経済は決して健全なレベルに到達してはいなかった。敗戦により、甲武のアメリカを中心とした地球諸国の資産凍結はいまだに続いていた。和平会議の結果発効しているアントワープ条約の敵国条項により、貿易・技術・学術研究などの分野での協力停止措置によるダメージは、復興を続ける甲武経済の足かせになってきていた。
そして来週には行われるアメリカの中間選挙。甲武の首を真綿で絞めるような資産凍結処置の延長を掲げる野党の躍進が確実視されている以上、現政権の強力なリーダーシップが発揮されている今のうちにバルキスタン問題と近藤資金と言う二つの負の遺産を清算するのが必要であると言えた。
東和と甲武を経て地球権に流れる麻薬や非正規ルートのレアメタルの存在は知られていた。それが地球でも犯罪組織やテロ組織、そして彼等の援助を受けている失敗国家の存立を助けていることは誰もが知っている話だった。
その大元であるエミール・カント将軍の身柄の確保とそれに連なる近藤資金の関係者の一斉摘発を敵国条項の解除の条件として地球が水面下で提示してきている事実がある限り醍醐も妥協は出来なかった。
敵国条項の解除による甲武の復興は同盟の利益となる。それが嵯峨の兄、西園寺義基首相の今回の作戦を提案した醍醐に言った言葉だった。だが、それが同盟司法局に対する越権行為になることは承知の上だった。
自国の犯罪者を自国で処分する。遼州圏の犯罪者は遼州圏で処分する。同盟規約にもある地球圏との不干渉ルールをいち早く打ち出して同盟の設立を提案した遼帝国が地球へのカント将軍の拉致を許すはずもなく、独自ルートで妨害工作を始めるだろうと言うことも予想していた。そしてそれに同調し同盟司法局が動き出すことも醍醐は覚悟していた。
「まあ、これが組織って奴なのかも知れませんねえ。お互い信じる正義を曲げるつもりはさらさらないと。少なくとも俺には譲歩するつもりは有りません。あとは、醍醐大臣……あなた次第だ」
そう言いながら再び嵯峨はタバコの煙を大きく肺に取り入れた。
「文隆!」
突然の声の主に醍醐は驚いたように振り向いた。醍醐文隆一代公爵の兄に当たる、地下佐賀家の当主佐賀高家侯爵が紫色の武家装束で通用口から顔を出していた。彼ははじめは弟、醍醐の顔を見つめていたが、その話し相手が嵯峨だとわかるとその笑顔が引きつって見えた。
「お兄さんがお呼びですよ……あの『官派の乱』では『空弁当』を食って『民派』を勝利に導いた殊勲者だ。あの時、主戦場に間に合わなかった情けない弟を叱りに来たんじゃないですか?ささ、行ってあげなさいよ」
嵯峨は予想外の闖入者の登場を歓迎するかのようにそう言うとタバコをふかした。