第59話 いつも事件になる『駄目人間』の帰国
四条畷港の超空間転移式港湾警備本部。その真新しい壁にしみ一つ無い廊下を一人の甲武海軍の少佐の階級章をつけた細身の高級将校が早足で歩いている。そのつややかな短髪の金の髪はこの人物の中性的な表情をより美しく飾り立てた。
甲武海軍の女性将校の制服はタイトスカートが基本であるところから考えれば、スラックスの姿であるこの人物が男性ということになるが、その胸の大きな塊がその可能性を否定した。
彼女、日野かえで少佐の機嫌は最悪だった。
検疫か、それとも輸出入薬剤などの分析班の職員と思われる白衣の女性達が一目で見るものを魅了する美しい彼女の横顔に熱い視線を送っていた。いつもなら軽く笑顔を浮かべて黄色い歓声を浴びることを楽しみにしている彼女だが、今日はそれどころではなかった。
彼女が立ち止まったのは『機動特務隊』と書かれた部屋の前だった。そうするのが当然のようにノックもせずにかえでは踏み込んだ。
防弾ベストに実弾入りのマガジンをいくつも入れている臨戦態勢の部隊員が一斉にかえでを見据えた。百戦錬磨の室内戦闘のプロににらまれている状況は、普通の軍人でもかなり威圧感を感じるところだ。しかし、かえでは怯むことなくただ彼等をすごむような調子でにらみ返すと、ついたてで仕切られた部屋の隅の休憩所のようなところへと足を向けた。
「よう、かえで。遅かったないの。お前さんが押さえてくれたシャトル。乗り心地は最高なんだが俺には貧乏が骨身に染みていてどうにも疲れたよ。次回はエコノミーで頼むわ。俺本当に貧乏人だから。月3万円で暮らしてるから。ああ、四畳半のアパートの家賃は茜から出してもらってるから、月5万円で暮らしてる男か」
そこに居たのはさも当然のように天丼を食っているのは着流し姿の叔父嵯峨惟基だった。いつもと同じように、食事中だというのに隣におかれたガラス製の大きな灰皿には吸いかけのタバコが煙を上げていた。
「叔父上……今度と言う今度はあきれ果てました」
姪を一瞥した後そのまま天丼に箸を伸ばす叔父を見ながら、かえでは疲れが出たように真向かいのパイプ椅子に腰を下ろした。
「やっぱり米は東和の方が旨いんだな。宇宙の米は大地の栄養を吸ってないからどうにも味気なくていけないね。……で、今の時間は勤務中じゃないのか?お前さんは」
そう言いながら嵯峨は口元に付いた米粒を指でつまんで口に放り込む。その動作がさらにかえでの怒りを駆り立てた。
「その勤務中の僕に身元引受人を頼んだのは誰ですか!子供じゃないんですから来るたびに警察に迎えに来させる必要は無いと思いますよ!それに法術を使用して空間転移を行った上に容疑者を斬ったそうじゃないですか!」
「かかる火の粉は払わにゃならぬ……って昔から言うじゃん。そんなところだよ」
嵯峨の表情には今回『粟田口国綱』を抜いたことに一切の反省は無いことがうかがえた。
「東和だけではなく、甲武でも違法法術使用は厳罰に処されるところですし、士族を斬るとあとで父上に色々と面倒をかけることになります!少しはご自分のお立場をわきまえてくれても良いんじゃないですか?今は憲法改正をめぐり『官派』と『民派』が対立を深めている難しい時期です。その時期にこんな事件を起こすとは!」
そうまくし立てたかえでは力任せに机を叩く。ついたての外の隊員達はこの二人のやり取りは嵯峨が帰国するたびに発生する恒例行事なので、すっかり慣れて、この身内の喧嘩にまるで口出しをするつもりは無いように沈黙していた。
「前のお盆の墓参りの時はここには来てないのにな……あん時は誰も俺を襲撃しなかった。やっぱり兄貴は人望無いんだわ。政治家なんか早くやめた方が良いよ、うん。政治家なんかやってると人間性格が悪くなって人に嫌われる。損なだけだよ」
もぞもぞとそう言う嵯峨だが、かえでの一睨みでおずおずと下を向き、重箱の中に残った飯粒をかき集め始めた。
「例外の話はいいんです!この三年で四回ですよ!叔父上がここに世話になるのは。この前は爆発物を仕掛けたテロリストを袋叩きにするし、その前は……」
かえでの怒りは事件について話せば話すほど激しいものになった。先ほどまでの美貌はどこへやら、そこにはまるで『鬼女』と呼ばれる彼女の母、康子の面影を見るものに思い出させるほどのすごみを与えるほどだった。
「そんなに怒らなくても良いじゃないの。その四回とも死人は出て無い……まあその四回の襲撃者とそれを支援した連中は全員切腹を命じられて今はこの世には居ないから……死人が出ていると言えば出ている。でもそれは俺が殺したんじゃなくって士族だから自ら命を絶った訳だよね。俺は悪くない」
嵯峨は口答えをするが、再びかえでの射るような視線におびえたように黙り込む。
「大体、今回もあそこにスナイパーがいるのはわかってたんじゃないですか?どうせもう上層部には今回の事件に関係する組織の名前を送付済みで、今頃国家憲兵隊が協力者のアジトの摘発に動いてたりとか……」
かえでは嵯峨がすべてをお見通しでわざと襲撃されるのを楽しんでいるようなので思わず強い調子でそう言った。
「そこまでお見通しか……全部知ってた。連中の連絡系統には穴が多すぎる。元諜報担当将校としてはちゃんと指導してやらなきゃいけなかったかな……ああ、これから全員逮捕されて切腹して墓の下に行く訳か。それは失敬」
明らかに呆れ果てたようなかえでの視線が嵯峨を射抜き、彼を黙らせる。
「特に今回は叔父上にはちゃんと殿上会での勤めを果たしていただかねばならないのですから!大事な体なんですから無茶はしないでくださいよ」
そう言うとかえでは彼女を無視してきょろきょろと周りを見回す叔父を見ていた。
「なんですか、叔父上」
「ああ、お茶をお願いしたいと思って……」
そう言った叔父の前の机をかえでは思い切り叩いた。嵯峨の表情が一変して泣き顔に変わる。
「そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないかよう」
再び睨みつけられた嵯峨は仕方なく空の湯飲みをテーブルに置くと、席を立った姪の後ろに続いた。
「また来ますねー」
拳銃の手入れをしているかえでと同じぐらいの年の女性隊員に嵯峨は手を振った。当然のようにかえでの鋭い視線が飛んで来た。女性隊員はと言えば嵯峨ではなく怒りに震えるかえでに目をやって恍惚の表情を浮かべていた。