第36話 『駄目人間』への形ばかりの報告
「西園寺。とりあえず隊長に神前を迎えに行ったことの報告しといた方がいいな。どうせすることは無いとはいえ、持ち場を離れたのは事実なんだ。隊長の事だから許してくれるとは思うが」
そう言うとカウラはかなめの腕を引いた。勤務中に上司の許可もなく持ち場を離れて誠の迎に言っていたのは事実であった。仕方なくかなめはカウラに引かれてそのまま廊下を進んだ。
そうして向かった司法局実働部隊隊長室のドアは少し開いていた。香ばしい香が三人の鼻を刺激する。
「何やってんだ?叔父貴は。ここは焼肉屋じゃねえんだぞ」
そう言うとかなめはノックもせずに隊長室に入った。
「ああ、戻ってきたの?遅かったね。お前さん達も食うだろ?」
そこには意外な光景が広がっていた。そう言って司法局実働部隊部隊長嵯峨惟基特務大佐は七輪に牛タンを乗せていた。それは大衆向け焼き肉チェーン店の店内のような有様だった。
「隊長なにやってるんですか……」
誠は呆れながらそうツッコんだ。就業時間は終わっているとはいえ、職場で七輪を使って焼き肉をやるなどとは誰が考えても非常識である。いくら『特殊な部隊』で常識が歪んできていたとはいえ、嵯峨のそれはあまりに常軌を逸した行動だった。
「ええと、月島屋の春子さんからの紹介で最近肉食ってないから、冷凍でもいいから安い肉でも卸してもらおうとして会った精肉業者と意気投合しちゃってさ。それでたまたまオートレースで勝った大枚が手元にあったもんだからつい買っちゃったんだよ。食うだろ?お前等も」
そう言って嵯峨は立ち上がると後ろから取り皿と箸を用意する。
「まあ、隊長のおごりと言うことなら仕方が無いですね。ええと……じゃあお言葉に甘えて」
少しばかり驚いた後、カウラはそう言うとかなめと誠をつれて隊長室に入った。
嵯峨の娘、茜が主席捜査官としてこの庁舎に出入りするようになって、一番変わったのがこの隊長室だった。
少なくとも分厚く積もった埃は無くなった。牛タンを頬張る嵯峨の足元に鉄粉が散らばっているのは、ほとんど趣味かと思える嵯峨の銃器のカスタムの為に削られた部品のかけら。それも夕方には茜に掃き清められる。
『奇才』と称される嵯峨だが、整理整頓と言う文字はその多くの知識のどこを紐解いても見当たらない言葉だった。茜の配属以前は部屋の床は高名な書家としても知られる嵯峨が付き合いで頼まれた書の為の墨汁で彩られ、そこに拳銃のスライドを削った鉄粉がまぶされ、その上に厚い埃が層になっていた。
特にカウラは几帳面で潔癖症なところがあるので、この部屋に入るのを躊躇することもあったくらいだった。茜が掃除を取り仕切るようになった今ではとりあえず衛生上の心配はしないで済む程度の部屋になっていたので、誰もが嫌な顔せずに焼肉を楽しむことが出来た。
「ちょっとベルガー。レモン取ってちょうだい」
嵯峨はそう言うと七輪の上で焼きあがった牛タンを皿に移した。カウラは嵯峨に言われるがままに皿に有ったレモンを嵯峨に手渡した。
「ほら、皿。お前さん達も遠慮することは無いんだ。今回は大穴を当てたからな。結構上等な肉を買ったんだぜ。これでお前さん達も俺を『小遣い三万円の男』と馬鹿にしなくなるだろう」
そう言うと嵯峨は借りてきた猫のように呆然と突っ立っている誠達の手に皿を握らせる。接客用テーブルの上に皿に乗せた牛タンが並んでいる。量としてはおそらく二頭分くらいはあるだろうか。それを嵯峨は贅沢に炭火で焼いている。
「叔父貴、酒はどうしたんだよ」
嵯峨が焼いていた肉を横から取り上げたかなめが肉にレモン汁をたらしながら尋ねた。嵯峨は察しろとでも言うように横を見た。そこにはかなめをにらみつけているカウラがいる。かなめは肩をすぼめてそのまま肉を口に入れた。
「そう言えばクバルカ中佐は演習場から司法局本局へ出頭ですか」
カウラは大皿から比較的大きな肉を取って七輪の上に乗せた。
「まあな。法術関連の法整備とその施行について現場の意見を入れないわけにもいかないだろ?まあ俺が顔を出せれば良いんだが、俺はお偉いさんには信用無いからな。顔を出すと逆に藪蛇になる」
そう言いながら嵯峨は焼きあがった肉にたっぷりとレモン汁を振りかけた。