配信始めます
「店長、俺バイト辞めます！ 今までお世話になりました！」
一年半勤めていたコンビニバイトを辞めたのは昨晩のこと。
高校を卒業してから、転々と色んな場所で働いてみた中で、一番長く続いたバイト先だった。
店長も先輩もみんないい人で、丁寧に仕事を教えてくれたし、居心地はよかったんだ。
ここでならずっと働ける……でも、それでいいのか。頭の中に、その疑問が一度でも浮かんでしまえば、二度と消えることはない。
俺――後藤勇太の日常は、ルーティン化されてつまらないものだった。
朝起きたらまずストレッチ。
リビングへ行くと、テーブルの上には母さん手作りのご機嫌な朝食が用意されている。
レースのカーテンを通して柔らかくなった朝の日差しに包まれながら、優雅に食事ってわけ。
朝食を食べ終えたら歯磨きの時間だ。歯ブラシは極細毛で硬めというこだわりがある。強烈ミントの歯磨き粉が、口の中を爽やかな香りで満たし、一日の始まりを感じさせてくれるんだよな。
そして、お洒落好きな俺は、毎朝シャワーを浴びる。お気に入りのフローラル系の香がついたボタニカルシャンプーで髪を洗うと、とても気分がいい。
鏡の前で髪を乾かしながら、マットなヘアワックスで髪形を自然に整えて、バイト先の近所のコンビニへ向かう。
そんな毎日に嫌気が差した。
「失敗したかもなぁ……。けど、いいんだ。決めたんだから」
バイトの安い給料でも、実家暮らしの俺なら必要最低限の生活は出来る。
食って寝て仕事して、たまに趣味に金を使う。平凡な生活の中に、ささやかな幸せを感じるのが人生だと頭では理解している。
でも、俺は変えたかった。
「これ見ちゃったら、もう戻れねえよ」
今は、ベッドの上で寝転んで束の間の無職を満喫している。体にチップを埋め込むことで人体をコンピュータ化するヒューコンのシアター機能を使い、とある配信を見ているところ。
世界最大の配信サイトであるワールドキャスト――通称ワーキャスの、日本キャスターランキング一位、タイキンさんの異世界配信だ。ワーキャスで異世界配信する人をキャスターと呼ぶ。
五万人以上の視聴者が常駐しており、多い時には同時視聴者数が三十万人を超える。そんなタイキンさんの年収は十億円以上らしい。
夢のある職業なんだよな。
世界に魔素エネルギーが満ち、技術の進歩によって長距離ワープが可能となったことで、日本からアメリカだろうが異なる世界だろうが、自由自在に飛べるようになってしまった。
科学的な証明はなされていないが、地球から異世界へとワープするタイミングで、スキルと呼ばれる特殊能力が得られる。一説では、地球の大気圏から異なる惑星の大気圏を通ることで、肉体が変質するらしい。ゲート理論なんて名前が付けられている。
タイキンさんは、イグドラシアという異世界にワープし、『炎の勇者』というスキルを授かった。
主な配信内容はダンジョン攻略で、派手な火属性魔法と勇者の身体能力を活かした迫力のある戦闘が視聴者を
時折、異世界の商品紹介なんかも混ぜながら、見ている者を飽きさせない工夫も素晴らしい。
キャスターの収入源は、広告掲載料、広告が流れなくなる有料サブスクライブ、配信者に読まれやすくなるマネーチャットだ。
ダンジョンのボスにトドメを刺す瞬間に広告が流れでもしたら、臨場感が台無しになってしまう。
戦闘メインの配信では常に何が起きるか分からないので、お気に入りの配信者のサブスクに入らざるを得ないのだ。
非常に良く出来たシステムだと思う。
そして、俺が踏み出そうとしている新しい一歩がキャスターなのだ。
日本では既に数百人のキャスターが居るけれど、遊んで暮らせる程の金額を稼いでいるのは一握り。当たればでかいが、いつ死んでしまうか分からない世界に行くのは危険が大きすぎる。
でも、挑戦してみたい。
「やっぱリセマラかなぁ」
実は、始めるにあたって悩んでいる事がある。
現在キャスターには三パターンあり、一つがリセマラと呼ばれる手法だ。
不思議なことに、異世界から地球に戻ると、スキルを失う。またワープすると、新しいスキルを獲得する。
この仕組みを利用し、異世界へ行ってスキルを確認。ハズレだった場合は地球に戻ってリセットし、アタリのスキルが出るまでこれを繰り返す。
ハズレが出ても笑えるし、アタリが出たら盛り上がる。
手に入れたスキルでどんな活躍をするのかと期待する固定の視聴者がつくというやり方だ。
二つ目が、お願いガチャと呼ばれる手法で、配信の始めにリセットしない事を宣言して異世界へワープする。
この場合は、アタリスキルだとあまり面白くないが、ハズレを引いて悪戦苦闘する様を見せると人気が出る。
三つ目が、ぶらり旅配信だ。
色々な場所へ行き、美しい景色を見せたり、美味しい物を食べて上手にレポートする。
この手法で人気のキャスターは、容姿がいいか表現力が抜群かの二択なので、俺には難しいかもしれない。
リセマラかガチャのどちらを選ぶかが勝負の分かれ目だと思っている。
結局は配信を切り抜かれたり、掲示板で話題にあがったりと、それがバズるかどうかの運要素が強いという話なので、とりあえず始めてみないとなんとも言えないのだが。
伸びやすいのはガチャだと言われているけど、やはり危険の少ないリセマラの方が安牌だろうか。
ぼーっと考えながらヒューコンが映し出すビジョンを眺めていると、タイキンさんがダンジョンボスをあっさりと倒してしまう。
コメント欄では凄い数のマネーチャットが流れている。
数時間で何百万と稼いでしまう非現実的な光景を目の当たりにして、やる気が
「よし、そろそろやるか！ タイキンさんみたいに大金持ちになってみせる！」
ベッドから立ち上がり、両頬を叩いて気合いを入れた。
親には、バイトを辞めた時点でキャスターになる事を伝えてある。危険だからやめてくれと最初は反対されたが、説得を続けるうちに、どうせすぐ帰ってくると半ばあきらめた形でしぶしぶ了承してもらった。
だけど、俺に後戻りするつもりは無い。
ヒューコンの検索機能で、まだキャスターが降り立ったことの無い異世界を検索する。
人気キャスターになる為には、無限に存在する異世界の中から前人未踏の惑星を選ぶ事も重要なのだ。
俺は、ラドリックという世界を選んだ。
太陽のような恒星と月のような衛星があり、地球と環境が類似しているらしい。
それほど文明が発達していない世界だが、魔法やモンスターが存在し、地球とは異なる生態系になっている。
タイキンさんが活躍している世界と同じくダンジョンがある事も確認済みだ。
なぜそんなことが分かるのかって？
答えは、魔素エネルギーを全宇宙にリンクさせているから。
すごい技術だよな。
ワーキャスに接続し、自分のアカウントにログインして配信の準備をする。
タイトルは、『初キャスです。異世界ラドリックへ旅立ちます！』と無難な感じにしておいた。
これから配信を始めると思うと急に緊張してきた。
心臓が
「ふぅ、ふぅ、ふぅーっ。……いくぞ！」
意を決して配信をスタートした。
配信画面には、俺の視界に映る殺風景な部屋が映っているはずだ。
今始めたばかりなのに、視聴者が五人も来てくれている。
ここはやはり挨拶から始めるべきだろう。
「あ、あー、聞こえますか？ ちゃんと配信できてるかな？ えっと、初めまして。
"初見です"
"新人発見！ リセマラか？"
もうコメントが流れている。
誰も見てくれなかったらどうしようかと不安だったので、素直に嬉しい。
「今のところ、リセマラを考えていますね。俺、運動音痴だし、喧嘩もした事がないから、すぐ怪我しちゃいそうで……」
"その気持ち分かるわ。俺もキャスターに挑戦したことあるけど、初日で変な大男に殺されかけんよねw"
"アタリのスキルが引けるといいですね！"
初配信には、荒らしと呼ばれる心無い発言を連投する
荒らしがいたら、無視して即ブロックだ。放置したり構ったりすると、チャット欄で言い争いに発展してしまうからな。
「一応フルタイム配信なので、トイレの時だけミュート推奨しときます。切り抜きは自由にアップロードして頂いて構いません」
"体張ってますねw"
"切り抜き自由なら、配信内容しだいではすぐバズりそう！"
配信中に盛り上がった場面を短い動画にする切り抜きは、キャスターの人気に深く関わってくる。
ツイットパラダイス――通称ツイパラと呼ばれるＳＮＳにアップロードされる事が多いのだが、切り抜き動画でも収益が発生するので、視聴者は新しくバズりそうなキャスターを常に探している。
日常を包み隠さず放送するフルタイム配信では、戦闘の様子から寝言に至るまで、様々な切り抜き動画が作成される。
だからこそ、一番バズる確率が高いのがフルタイム配信なのだ。
ワーキャスには年齢制限だとかのレイティングは設けられていない。
極端に言えば、何が映ってもそのまま配信される。
以前、美しい景色をレポートしていたアイドル系のキャスターが突然モンスターに襲われ、宙に舞った首が崩れ落ちる自分の体を見ているという恐ろしい切り抜きを見たことがある。
何が起こるのか分からないからこそ、視聴者は食い入る様に配信を見るのだ。
さて、コメントと実際に会話出来るのはここまでだ。
異世界に行ったら、キャスターコメント欄を使用して視聴者と会話をするのがマナーとなっている。
向こうの人からしたら、俺が配信しているなんて知らないからだ。
一人でぶつぶつ喋っていたら変な目で見られてしまう。
周りに誰も居ない時なら会話してもいいのかもしれないが、基本的にそれをやっているキャスターは居ない。
「じゃあ、行きますね！ 街ランダムでやろうと思います！」
勇太：問題無くコメント出来てますかね？
コメ：見えてるよ！
コメ：行ってらっしゃい。
勇太：行ってきます！
ヒューコンの超長距離間ワープ機能にラドリックの座標を設定した。
何処かの街へランダムに飛ぶようにしてある。
完全ランダムだと、ワープ先が運悪くモンスターの目の前だったなんて事があるので、即死する可能性を考えてそれはやめておいた。
お願いガチャ完全ランダムワープが最も視聴者数が伸びる可能性のある配信方式らしいけれど、死亡率も同様に高いようなので、俺にはそんな危ない橋を渡る勇気はない。
ワープを起動すると、まるで体が溶けるような、今まで経験したことが無い不思議な感覚に包まれた。
これが魔素と肉体が融合している状態なのだろうか。
意識だけが宙にあるような気持ち悪さがある。
謎の浮遊感を感じると、眩い光で目が開けていられなくなった。
どうやら異世界に着いたみたいだ。
体に異常を検知しました。スキル『絶望的な滑舌』により、滑舌が悪くなりました……と。
