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第1話 色々な色

「白の数は一つじゃないんだ」

 かつて、養父は俺にそう教えてくれた。
 養父と言っても歳は70ほどで、俺は父さんではなく爺さんと呼んでいた。

「『白』と分類される色だけで100種類あるとも200種類あるとも言われているんだよ」

 爺さんからその言葉を聞いた時、俺はこう返した。

「もっとあるよ」

 その時、爺さんが嬉しそうに笑ったのを覚えている。


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 一口に白と言ってもホワイト・パールホワイト・スノーホワイト・ミルキーホワイト・アイボリーホワイト等々、多くの種類がある。
 俺はその全てを瞬時に見分けられる。
 白だけじゃない。黒も、赤も、青も、黄色も、すべての色を細かく見分けることができる。
 人の顔をイメージしてもらえるとわかりやすい。
 俺は色を顔のように捉えることができるのだ。色鉛筆の白とノートの白は違う。炭の黒とペンキの黒は違う。同じなのは肌の色と髪の色だけで、目も鼻も口も全然違う。だけど普通の人は肌の色と髪の色が同じなだけで『同じ色』と言う。正直、理解できない世界だ。

 俺のような人間を“色彩(しきさい)能力者”と言うらしい。色版の絶対音感とでも言うのかな?

 俺のこの才能は一体何に向いているだろうか。
 恐らく、80%の人間はある職業を思い浮かべたんじゃなかろうか。

――画家。

 少なくとも爺さんはそう考えた。
 爺さんは俺の才能を()かすため、5歳から俺を絵画教室に(かよ)わせた。5歳から14歳まで絵画に捧げた、その結晶がいま、目の前にある。

『優秀賞作“天馬の嘆き” 作者“イロハ=シロガネ(14)”』

 その一文を添えられた絵を見上げる。
 これが俺の渾身の一作だ。才能と、努力を捧げた一作。そして、この作品の隣にあるのが、

『最優秀作“未来カジノ” 作者“シオン=クロード(14)”』

 俺より上の、最優秀作。
 未来カジノと聞くと、ハイテクで夢に溢れたカジノを想像する。だけどこの絵は荒廃したカジノが描かれていた。壊れたルーレット、腐敗したコイン、腕の捥げたぬいぐるみ。散乱している緑色の謎の液体。実に想像力を掻き立てられる。
 正直、色使いは下手。俺の方が『色』という1点なら上だ。
 だけど絵は色彩や明暗だけで決まるわけじゃない。

 構図、形態、動勢、物語性。

 そして観覧者の予想を超える、あるいは予想を裏切る『なにか』。
 色彩と明暗以外の全て、俺は劣っている。
 問題なのは負けたことじゃない。負けたのに、俺の胸に悔しさや嫉妬が湧かなかったことだ。この絵の作者に対して純粋な尊敬心しか芽生えなかった。
 これから先、どれだけ頑張ってもこの絵の作者には(かな)わないと思ったし、それでもいいと思ってしまった。競争の世界に生きる上で絶対に抱いてはならない感情だ。

「いくらセンスがあっても、プライドが無いんじゃな……」

 染みた油を拭うように、手をズボンに擦りつける。
 きっと、俺の才能を最大限活かせるのはコレじゃない。そう確信した。
 これから先も絵を続けていけばそれなりの職には就ける気がする。でもそれでいいのか? この『勿体ない』という気持ちを引きずり続けて絵の世界に残るのは失礼ではないだろうか。

 わからない。 

 そのまま美術館を歩き、ある絵の前に立ち止まる。

「レオナルド=ダ=ヴィンチ作、モナリザ……」

 正確にはモナリザのレプリカだ。
 モナリザ……長髪の女性が体の前で手を組んでいる絵だ。
 不明瞭な表情。穏やかに笑っているようにも見えるし、作り笑いにも見える。
 敢えて下半身を描写しない画面の作り方。
 立体描写の繊細さ、ぼかしを利用した色の使い方、卓越した技術を下地に斬新な描き方を取り入れている。
 この絵は、一言で言えば『謎』だ。
 彼女の心、彼女の視線の先にあるモノ、なぜ微笑んでいるのか、下半身はどうなっているのか、雰囲気もミステリアスで……とても惹かれる。

 決して会うことのできない、俺の初恋の相手である。

 もしも、彼女が目の前にいたなら交際を申し込むだろう。断られてしまったら、俺はストーカーになってしまうかもしれない。彼女の家に忍び込んで、下着を盗んでしまうかもしれない。俺はモナリザという女性に心を丸ごと抱かれてしまったのだ。
 無論、絵に惚れるなんて……現実にいない存在に惚れるなんて異常であるとは理解しているさ。

「……美しい……」

 つい絵に触れそうになる手を止める。 
 モナリザをはじめとして、絵画を鑑賞するのは大好きだ。美術というものを俺は心から尊敬している。
 だからこそ……自分の美術家としての底を、測れてしまった。(いち)鑑賞者として、作家イロハ=シロガネの底が見えてしまった。

「なんか……つまんないな。世界」

 恋の相手は物理的に手の届かない存在。
 ずっと頑張ってきた美術も、頭打ち。
 今の俺には何もない……趣味も夢も友人も家族も。
 持ち腐れの色彩能力(才能)があるだけ余計に空しいな。

 呆れたように欠伸をし、俺は美術館を出た。

「いらっしゃい」

 帰り際、果物を売っている露店に寄る。
 ふむ。今日はリンゴが安いな。
 18個のリンゴの色を、よく観察する。

――品質は色でわかる。

 物は腐ると明度が高くなるか低くなる。言い換えるなら、カビが生えて白に近づくか色が抜けて黒に近づくか、大体この二択だ。
 リンゴのベストな品質は濃い赤、ルビーレッドだ。ルビーレッドのリンゴはないが、できるだけそれに近いリンゴを選び、商人に渡す。
 別に品質に強くこだわるタイプじゃないが、同じ値段ならできるだけ良いモノを買いたいのは誰だってそうだろう。

「あいよ、1ドルね」

 財布を開く。するとちょうど値段分しか入ってなかった。
 いつの間にこんな金欠に……俺は1ドル紙幣を商人に渡し、リンゴを受け取る。他にもパンやら色々買う予定だったが、仕方ない。このまま帰ろう。

「ただいま~……って誰もいないんだけど」

 二階建ての一軒家。爺さんが遺した家。
 この広大なアメリカ大陸の端っことはいえ、良い家だと思う。キッチンも風呂もトイレもある。ただ1人だとちょっと広く感じる。
 腹が減った。けど飯を買う金がない。仕方なく、デザートに買ったリンゴを飯代わりに齧る。
 美術は金が要る。筆、絵具、諸々の画材。これまでは爺さんが買ってくれていたが、その爺さんはもう1年前に病気で亡くなった。

 今回の14歳以下対象のコンクール。最優秀賞の賞金は2万ドルだった。14歳以下なら余裕で最優秀賞獲れると思って油断したな……まさかあんな化物がいるとは。このコンクールのために高い画材を買ったのがミスだった。つーか、優秀賞にも5000ドルぐらいくれてもいいよな、普通。

 文句を言っても金は増えない。明日からは普通に絵を売って生きていこう。

 問題は売れる絵が出来上がるまでの生活費だな。画材を売るわけにもいかないし……、

「そうだ」

 爺さんのアトリエならなにかあるかもしれない。
 爺さんは彫刻家で、いつも郊外の森の中にある小屋で仕事をしていた。
 あそこなら金目の物があるんじゃないだろうか。

「……そういやあの小屋、入ったことないんだよな」

 爺さんは(かたく)なにあそこへ俺を入れなかった。多分、爺さん以外の誰も、あの小屋の中まで行ったことはない。
 小屋の前までなら行ったことがある。場所は覚えてる。ちょっと行ってみようか。ちょうどリンゴは食べ終えた。


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「久しぶりだな」

 40メートル以上の木々が並ぶ大木林。この中に爺さんのアトリエはある。
 早速森の中に入る。
 鹿の姿が多く見える。兎もリスもいっぱいいる。虫の鳴き声も凄いな……生命力に溢れた森だ。前来た時も同じ感想を抱いたっけ。

「あった」

 小屋を発見。一階建ての木の小屋だ。
 何の変哲もない小屋。なのに、教会や女神像が纏う神秘的なオーラを感じる。この感覚は、以前来た時にも感じた。あまりの威圧感に口に溜まった唾液が喉に下りた。

 入口扉のドアノブを掴む。どれだけ力を込めてもドアノブは微動だにしなかった。

「……鍵穴は見当たらないけど」

 蹴って壊すか? いや、さすがに気が引けるな。
 爺さんが大切にしていた場所だ、無暗に壊したくはない。

「ん?」

 すぐ目の前、扉の面に違和感がある。

「色の流れが違う……」

 色には流れがある。
 たとえば正方形に色を塗るとして、上から下に筆を動かして塗りつぶしたか、右から左に塗りつぶしていったかで色合いは変わる。色の流れによって、絵はまったく違う味を出す。
 木の色の流れは素直だ。木目に沿って綺麗に茶色や薄茶色が流れる。だけどこの木の扉の色の流れは一か所だけ、ズレている。
 他の人間じゃ気づかない程度の小さなズレ。でも俺は、こういうのを見ると我慢ならない。せっかくの味が台無しだ。真っ白な服に付いたコーヒーの染みのように許せない。

 俺はその場所を指で触れる。すると、紙のような感触が返ってきた。

「これは……」

 シールだ。シールが貼ってある。
 正方形のシールを剥がす。すると、手形が現れた。青(正確にはバレヌブルー)の手形だ。

「手形? 合わせればいいのか?」

 手形に右の手を合わせみる。

――バチッ!! ガチャン!

 雷が走ったような音と一緒にカギが開く音がした。

「仕組みがまったくわからん……」

 ドアノブは軽くなっていた。
 ドアノブを下ろし、中に入る。

「うわっ!?」

 扉を開けた瞬間に急に灯りが()いた。
 光源は宙に浮いた太陽の模型。なんだアレ? ランプ……なのか?
 奥にはガラスケースに入った虹色の枝。
 大量の試験管が試験管立てに掛けられている。試験管の中には様々な色の液体が入っていた。部屋の中心には巨大な窯だ。
 まるで、魔女が使うような窯。中を覗いてみると、銀色の液体が満ちていた。

「爺さん……一体ここでなにをやっていたんだ?」

 明らかに彫刻家の部屋じゃない。彫刻なんて一切見当たらない。
 部屋に唯一ある机、俺はその机の上の一冊を手に取る。
 タイトルは、『錬金術師アゲハの手記』――

「錬金術師……?」

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