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第13話 月の鐘、鳴らすのは兎④

 俺が言うと、綺鳴は呆けながらも頷いた。
 テーブルに置かれたタッチパネルを手に持って、ある曲を入れる。

 それはとある恋愛ドラマの主題歌で、一世を風靡(ふうび)した歌だ。

 かるなちゃまの歌枠で聞いた中で、俺が一番魂を打たれた歌。
 タイトルは“Red(レッド) Heart(ハート)”。

「この歌……」

 綺鳴は口元を笑わせ、ギュッとマイクを握った。
 顔から緊張は抜けている。

「お! 俺の好きな歌じゃん」
「綺鳴ちゃんの歌声楽しみ~!」

 男子たちは盛り上がる。女子たちはいや~な笑みを浮かべている。

「よく聞きなよ。コイツの歌声、マジ笑えるから」

 君津楠美は悪役の顔をする。この女……男だったら即座にボコしてるとこだぜ。
 と、いかんいかん。穏便にいくんだった。
 もう俺がすることはない。 
 ここから先は綺鳴の……いや、月鐘かるなの独壇場だ。

 イントロが終わり、歌が始まる。
 綺鳴は小さな口を開き、歌い出す。


「~~♪」


 歌が始まった瞬間、空気が一転する。
 全員が、さっきまで綺鳴に敵意剥き出しだった女子たちも、彼女の歌声に呑まれる。

「うっま……」
「なにこれ」

 バカにした笑いではなく、称賛の笑みが零れる。
 これが素人とプロの差だ。プロは歌で空間を支配する。
 体の芯から震えるこの感覚……! 画面越しで聞くよりももっと、心に響く。

「……想像、以上だぜ」

 この歌はダンスも有名だ。
 ノリに乗った綺鳴はダンスも踊りだす。もちろん、ダンスもプロ級だ。Vチューバーは本物のアイドル同様に歌って踊るライブをすることもある。キャラの動きは裏でプログラマーが動かしているわけではなく、全身をモーションキャプチャーで捉え、前世の動きに合わせてVチューバーが動いている。
 つまり、綺鳴が踊れなければ月鐘かるなも踊れないのだ。
 月鐘かるなは歌もダンスも評価が高い。それはつまり、綺鳴も歌って踊れるということだ。

 圧巻とはこのことを言うのだろう。

 プロのパフォーマンスを前にして、君津以外の面々は合いの手まで入れ始めた。中には一緒になって踊り出す者もいる。

 歌が終わる頃にはみんな彼女のファンになっていた。たった1人を除いて。

「……お前の言う通り、マジで笑える歌声だな」

「っ!!」

 君津は悔しそうに顔を歪める。

「もうアイツには近づくなよ。笑えねぇことになりたくなけりゃな」

 駄目押しの一言。
 こういう時、このヤンキー面は役に立つ。俺が睨みを利かせて言うと、君津は顔を青くした。

 綺鳴は拍手をする面々にペコペコと頭を下げる。

「聞いていただきありがとうございました! あ、あの、すみませんが、用事があるのでこれで失礼します!」

 綺鳴はそそくさと脱兎の如く抜け出す。

「マジ!? もっと聞きたかった~!」
「また時間ある時カラオケ行こうな~!」

 俺は部屋の扉を開け、綺鳴を待つ。
 綺鳴は満面の笑みで近づいてくる。

 俺たちは2人でカラオケ館を出た。


 --- 


 夕焼けの空の下。
 プンスカ顔の綺鳴と商店街を歩く。

「もう! 麗歌ちゃんってば勝手に昔の私の話して! 兎神さんも兎神さんです! 勝手なことばかり!」

「悪かったよ。なにも相談せず動いて」

「まったくです!」

 プンプンな綺鳴、これはこれで可愛い。

「綺鳴、これ受け取ってくれ」

 財布から千円札を抜き取り、頭を下げつつ差し出す。

「え? なんですかこれ」

「スパチャ」

 スパチャとは! スーパーチャットの略である!
 チャットと投げ銭を同時にする行為のことを言う! 

「さっきの歌、素晴らしかったので」

「リアルスパチャなんて受け取れませんよ!」

 何度渡そうとしても受け取ってくれないので、仕方なく財布にしまう。

「……ほんっと、兎神さんはおかしな人ですね」

 朝影家の前までたどり着いたところで、綺鳴はこっちを向く。
 晴れやかな顔つきだ。朝とは大違いだな。

「兎神さん、また目を閉じて、屈んでくれますか?」

 これは、勉強会の時と同じ……ご褒美タイム!!!

「わ、わかった」

 ドキドキとワクワクを胸に瞼を閉じ、膝を折る。
 すー、と、息を吸う音が耳元で聞こえた。

「ありがとね、だいふく」

 前と違って、耳元囁きパターンだとぉ!!?
 かるなちゃまの声を、こんな耳に息が当たる距離で聞くなんて……!!

 これは破壊力がやば――



「だいすき」



 ボソリと、耳元で呟かれたその言葉は、俺の心臓をギュッと掴んでシェイクした。
 夕方を告げるチャイムの音が、間を置かず耳に流れてくる。
 チャイムの音が遠く、遠く、なっていく。自分の胸の音が大きく大きくなっているからだ。

 瞼を開くと、夕陽の明かりを浴びているせいか、顔を赤くした綺鳴が立っていた。

 綺鳴は人差し指を唇に当て、麗歌がするような小悪魔な笑顔を浮かべる。


「リップサービス……です」


 そう言って、綺鳴は足早に家に入っていった。
 俺は暫く、その場を動けなかった。


――この胸の高鳴りは、月鐘かるなに対してなのか、


「それとも……」

 耳に残った熱は、夜が明けるまで冷めることはなかった。

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