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第8話 高嶺の花

「断る」

 ハッキリと言い切る。

「……なぜでしょうか?」

「たとえどれだけかるなちゃまのファンだったとしても、この前綺鳴に会ったことはやっぱり駄目だったと思う。反省してるんだよ。俺たちファンは画面を挟んでVチューバーと接するべきだ」

「なるほど……合格です」

「合格?」

「私の誘いに対して下心丸出しで了承するようでは、トラブルシューターを任せられませんでした。あなた自身が新たなトラブルになるのは最悪のケースですからね」

「合格だろうが不合格だろうが、俺はトラブルシューターなんてごめんだ」

「今さら反省しても遅いですよ。あなたはもう関わってしまった。朝影綺鳴に、月鐘かるなに、6期生に……」

 麗歌が詰め寄ってくる。
 俺は麗歌から逃げようと後ずさるが、扉横の壁に押し込まれてしまった。麗歌は至近距離で俺の目を見上げてきやがる。僅かに伏せた二重瞼、長いまつ毛、綺麗な翡翠の眼。改めて思うが、すげー整った顔だ。

「おまっ!? 近いって!」

「昴先輩……あなたが思っている以上に6期生は薄氷の上に立っています。このまま見殺しにするつもりですか?」

「それは……」

「もっと6期生を見ていたいですよね? だったら、手伝ってください」

 それでも渋る俺に対し、麗歌はやや呆れた様子で、

「もしも昴先輩がここで断り、その半年後にでも6期生が全員卒業した場合を想像してみてください。その時、あなたはなにを思うでしょう」

 想像してみる。

『皆さん、これまで応援ありがとうございました! 私、七絆ヒセキは今日をもって卒業します!!』

 ヒセキ店長……!

『みんな、ごめんね。色々あって、私……エグゼドライブを辞めることにしたから』

 れっちゃん……!

『弊社所属タレントである天空ハクアは諸事情により本日をもって活動を終了いたします。byスタッフ』

 ハクアたん……!

『本当の本当に残念だけど、月鐘かるなは今日でエグゼドライブを辞めます。これまで応援ありがとうございました。みんなとの思い出は……永遠に不滅だよっ!』

 かるなちゃま……!!

 4人の卒業を見届けた俺はきっと頭を抱え、こう思うだろう。

「あの時、俺が麗歌の話を受けていたら、なにか変わっていたのだろうか……!」

「正解です」

「――ああ、もうちくしょう! わかったよ! やってやるよトラブルシューター! 6期生のためなら、この身すべて捧げてやる!!」

 麗歌は「そうですか」と距離を取る。

「それは良かったです。指令は改めて伝えます。一応、忠告しておきますが、Vチューバーはアイドル……不純異性交遊はご法度です。くれぐれも6期生の面々に手を出さないように」

「そんぐらい言われないでもわかってるよ!」

「もしも、彼女たちと接する内に性欲を抑えられなくなったら……」

 麗歌はクスりと、いつもの小悪魔な笑顔をして、また近づいてくる。


「私がお相手しますので、いつでもお申し付けください」


 麗歌は胸を、俺の下腹部に押し付けてきた。
 見た目は慎ましくも、しっかり重量感のあるやわらかい感触を腹に感じる。

「なにっ!? それってつまり――」

「なーんて、冗談ですよ」

 麗歌は後ろで手を組み、意地の悪い目で俺を見た後、屋上を去っていった。
 なんて、なんて――

「生意気な後輩だ……!」

 俺の方が年上なのに、終始ペースを握られてしまった。


 屋上から教室に戻ると、なぜか俺と綺鳴の席の周りに人だかりができていた。
 クラスメイトの口々から「かわいい」だの「天使……」だのと声が聞こえる。

「ちょい、通してくれ」

 人だかりを抜けると――座って眠っている綺鳴の姿があった。
 左頬を下にして、腕を枕にして気持ちよさそうに眠っている。腕に押し付けられ、ぷにっと潰れた頬っぺたが愛おしい。もっちもちの大福のようだ。つい指でツンと突きたくなる。

 妹は悪魔だが、姉は天使だな。


 --- 


 メイド喫茶〈MoonRabbit(ムーンラビット)〉。俺のバイト先である。
 その厨房で俺はフライパンを振っていた。米粒が宙を舞う。

「今日はオムライスばっかだな~。オムライス、オムライス、オムライス。さすがに飽きてきたぜ」

 そう俺の隣でフライパンを振りながら愚痴を零しているのはこのメイド喫茶の店長だ。26歳の男性である。大人の色気を持つ人で、男の俺から見てもカッコいい。普通にアイドルとかできそう。

 この店長と2人でメイド喫茶の料理を作るのが俺の主な業務だ。

「……」

「どうした兎神、今日は口数少ないな。なにか悩み事か?」

「えぇ、まぁ」

「お兄さんが相談に乗ってやろうか?」

「う~ん、そうですね。じゃあ聞いてもらえますか?」

「おう。暇つぶしにな」

 詳細を伝える気はない。
 あくまでぼかして相談する。

「俺には憧れの人が居て、その憧れの人に近づけるチャンスを貰ったのですが……なんか、気が乗らなくて」

「ほぉ、その相手ってのは女子か?」

「はい」

「それはあれだな、その相手のことを理解するのが怖いんじゃないか?」

「理解するのが怖い? そんなことありますか?」

「あるだろ。人間なんて解像度を上げるほどボロが出るもんだ。お前はその子と喋りたいわけでもその子に触れたいわけでもなくて、お前はただその子を眺めていたいだけなのかもな。深く知ることなく、不明瞭な彼女のままでいてほしい。ミステリアスってのは男女共に大好きだからなぁ」

「ただ眺めていたいだけ……」

「高嶺の花ってのは手の届かないところにあるから、美しく見えるのかもしれないって話だ」

 なるほどな。今の言葉は腑に落ちる。
 俺はただ、彼女を、彼女たちを遠くから見ていたいのかもしれない。
 手の届かない月だからこそ、美しく見えているのかもしれない。

「もちろん、逆のパターンもあると思うぜ」

「逆、ですか」

「間近で見たらもっと美しかったってパターンさ」

 そう言って店長は口に咥えたシガレット(棒状の砂糖菓子)を口に含んだ。

「パフェ2つお願いしまーす!」

 メイドさんの1人が注文してくる。
 ちなみにウチのメイドは全員頭にウサギ耳をつけているのが特徴だ。可愛いから、ぜひ一回ご来店してほしいね。

「ちっ、パフェなんて頼んでんじゃねぇよ。めんどくせぇな。おとなしくオムライスにしとけや」

「……さっきと言ってること違いますよ。いいっすよ、俺が作るんで」

---

 バイト帰り。
 5月の夜の寒さを舐めて、半袖で来たことを後悔していると、ポケットに入ったスマホがピロンと鳴った。

 スマホを見ると麗歌からメッセージが届いていた。

《昴先輩、大変です》

 その一文から嫌な予感が背筋を走った。
 そして予感はすぐさま的中する。


《このままでは、月鐘かるなは卒業してしまいます》


「な……」

 俺は手に持っていたコーラとポテチの入ったコンビニ袋を落とした。

「なにいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃっっ!!!!?」

《詳細は明日の朝、私たちの家でお話しします》

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