第20話 『駄目人間』が失敗した実験
壁にひびの目立つ廊下を歩きながら立ち止まって敬礼をしてくる部下達の前を通り過ぎた。高梨渉参事、クバルカ・ラン中佐の二人はそのまま管制室へ向かうエレベータに乗り込んだ。
沈黙が支配するエレベータを降りたラン達の前に広がる管制室の機器の壁が見える。その中でラフなつなぎ姿で小さなキーボードをいじっている女性下士官がいた。
「どうだ、ひよこ。準備の方は順調か?」
声をかけたランに、ひよこは何も言わずに振り返るとそのままキーボードで端末への入力を続けていた。
「準備は順調です。誠さんの体調にも問題は有りません。とりあえず非破壊設定での指定範囲への砲撃を一回。それから干渉空間を設定しての同じく非破壊設定射撃。どちらも隊長が失敗した課題ですね」
モニターに目を向けたまま語るひよこの言葉に高梨は眉をひそめた。
「嵯峨さんが失敗ですか?あの完璧超人の兄さんが……」
高梨にとっては腹違いの兄、嵯峨惟基が失敗をするということが信じられないことだった。キャリア官僚で財務関係の知識の豊富さから切れ者と軍内部で見られている高梨でも嵯峨は越えられない壁だと信じていた。その嵯峨が法術実験に失敗すると言うことが有り得ると言う事実に高梨はこの実験のハードルの高さを思い知った。
だが、その言葉を聞いて作業を中断したひよこの顔はきわめて冷静だった。
「隊長の法術能力は確かに最高の部類に入るんですが、制御能力には著しい欠点があるんです。まあ法術能力の封印をろくに解除の技術も無いアメリカ陸軍が興味本位でその封印を解いたものですから……どうしても制御にかかる負担が大きすぎるんですよ。だから制御に高度な精神力の要求される今回の非破壊兵器の実験にはそもそも向いていないんです。人にはそれぞれ向き不向きがありますから」
そう言ってまたひよこはモニターに向き直る。ランは周りを見回す。目の前には巨大なモニターが三つ。一つは背後から誠の乗る05式の姿を大写ししている。その隣のモニターには演習場全域に配置された法術反応の観測の為のセンサーの位置が映っている。どれもまだ緑色で法術反応を受けていないことが表示されていた。そしてその隣の一番左のモニターはコックピットの中で静かに腕組みをしている誠の姿が映されていた。
「しかし、この指定範囲。ホントにここすべてを効果範囲にするのか?やりすぎじゃねーの?技術者の連中、いくら予算がかかってるからってここまでの効果を期待するのは……ただ実戦で使うとなるとさらに広範囲への威力の到達が期待されてるわけだ。神前、テメーは大変な兵器を任されちまったな」
手元に並ぶ小さなモニターで巨大な演習場のすべてを映し出しているのをランは見つめた。演習場の各地点に置かれた法術反応を測定する機器のマーカーが正面の画面に映されていた。そこに映る地図がこの演習場の全域を表示しているのはすぐに理解できた。
「この範囲を活動中の意識を持った生物に法術ダメージでノックアウトする兵器か。確かにこれは脅威ですね」
高梨のそんな言葉にランは自信があるような笑みを浮かべながら頷いた。
この二ヶ月間。時にCQB訓練やシミュレータを使っての訓練と言う名目で機動部隊の訓練を続けてきたランから見ても、誠の干渉空間制御能力の上昇は著しいものだった。
それにしてもこの数万ヘクタールにわたる地域を一気に無力化する兵器を発動させると言う開発者の発想にランは誠への過信を感じていた。
「神前……失敗しても責めねーよ、アタシは。こんなもん作った馬鹿が悪りーんだ。そんなに法術は便利なもんじゃねー。だが実戦は待ってくれねーんだ。厳しいが……なんとか乗り越えて見せろよ」
ランはそれだけ言うと観測室の隊長の椅子に腰を下ろした。