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第8話 実在した悪魔

 自分の中にあるインキュバスの力を何とかしてほしい。そう言うオウマ君に対して、そもそも悪魔の存在を信じていない私達。
 どうやらこれ以上話を続けるには、この根本的な溝を埋めるところから始めなければいけないようだ。

「もし悪魔が実在するのなら、見たって人も沢山いるでしょうし、何か事件でも起こして騒ぎになっているんじゃないですか?」

 頭を抱えるオウマ君に、お父さんが質問する。
 悪魔の目撃例や、それによって引き起こされた騒動も、かつては割と頻繁に起こっていたと記録されている。だからこそ、うちの先祖のような悪魔祓いが活躍してたんだ。

 だけど今の世の中、そんな話は滅多に聞かないし、あっても嘘や勘違いはばかり。そうしていつの間にか、みんな段々と悪魔の存在を信じなくなっていき、かつて事実とされていた記録も、近年ではその信憑性が薄れてきている。

 もしも悪魔が実在するなら、現代でもそんな話があっておかしくないんじゃないかな。
 だけどオウマ君は、それに対してこう答えた。

「それは、悪魔達が人間との戦いに疲れたからです。かつては悪魔祓いをはじめとする人間達と争ってきた悪魔ですが、ある時いつまでも戦いを続けても不毛だと考える者が出てきました。そんな彼らは、人間の社会に溶け込むことに決めたのです」

 ちょっと待って。なんだか話が大きくなってきたような気がするんだけど。
 そんな私の思いをよそに、オウマ君の話はまだ続く。

「ほとんどの悪魔は、自分が悪魔であることを隠し、人間として生きる事を決めました。そして一部の者は、自らの持つ悪魔の力を使って国や有力者の役に立つ代わりに、貴族の地位を得ることができました。オウマ家も、元はそうやって地位を得る事のできた悪魔でした。かつてこの国が隣国との戦争を繰り返していた頃、先祖はその力を駆使して、騎士として武勲を立てたと伝えられています」
「武勲、ですか」
「はい。インキュバスは、吸い取った生気を自らの力へと変えることのできる悪魔です。高い身体能力、不思議な魔法、それに、魅了した相手を自在に操ることもできたと聞いています。俺自身にそんな力はありませんが、それらは戦いにおいて有利だったのでしょう。他にも何人もの悪魔が、その力を使って、陰ながらこの国を守っていたそうです」

 オウマ君の話はそこまで話すと、小さく息をつく。どうやらだいたいの話はこれで終わったみたいだけど、こっちとしては、そう言われてもねって感じだ。

 かつて戦争があった時代、一部の騎士達が一騎当千の活躍をしたと言うのは、歴史にも記されている。
 だけどまさかその正体が悪魔だったなんて、いくらなんでも受け止めきれないよ。

 とりあえず、これまでの話を聞いて思ったことは一つ。

「オウマ君、やっぱり中二病なんじゃ……」
「だから、違うって言ってるだろ!」
「いや、でも……」

 再び怒鳴るオウマ君だけど、いきなりこんな話を聞かされて、信じろって方が無茶だよ。

 私だけでなく、お父さん達も、とても信じられないようだった。

「し、しかしですね、いくら仰られても、内容が内容なだけにそう簡単に受け入れられるものではありません。失礼ながら、何か今の話を証明できるようなものでもありませんか?」
「はぁ──分かりました。俺が悪魔だって証拠を見せればいいんですね」

 えっ、証拠なんてあるの?
 だけど、ちょっとやそっとの事じゃ今の話を信じようなんて思えない。いったい何を見せてくれるのだろう。

 そう思っていると、オウマ君は何を思ったのか、右手を上げて私達の前につき出した。

「では、これから起こることをよく見ていてください」

 すると、つき出されたその手の甲に、紫色の、シミのような模様があることに気づく。

(さっきまでこんなものあったっけ?)

 一瞬そう思ったけど、そんな疑問はすぐに、目の前で起こる更なる異常によって塗りつぶされることになる。

 ついさっき気づいた、紫色の小さなシミ。それがまるで、生き物のようにオウマ君の手の中を動き始めた。

「なに……これ……?」

 気がつけば、自然とそんな言葉が漏れた。その間に、いつの間にか紫色のシミは形を変え、だんだんと大きさを増していった。そして最初はほんの小さなものだったそれは、いつしか手だけではなく、腕全体を覆うまでに広がっていった。

 こんなことになって大丈夫なのだろうか。不安になって彼の顔を見上げたけれど、そこで私は更に息を飲む。

「────っ!」

 今まで腕ばかり見ていて気づかなかったけど、オウマ君に起きている変化はそれだけじゃなかった。
 いつからこうなっていたのだろう。彼の頭の上には二本の突起が──山羊の頭にあるような、丸まった角が生え、背中には小さな蝙蝠のような羽が出現していた。

 声もなく驚いている間に、右腕にあった黒いシミのような何かは、もはや体全身に広がり、全身を灰色に染め上げていた。顔の形そのものは、変化する前と同じオウマ君のものではあるけれど、もはや異形と言っていいくらいの変貌だ。

 その姿は、今まで彼の言っていた言葉が真実なんだと言外に突きつけているかのようだった。
 オウマ家は、悪魔の末裔という真実を。

 私は、呆然としながらその姿を見つめることしかできなかった。そしてそのすぐ隣では、お父さんとレイモンドが悲鳴をあげていた。

「「ヒィィィィッ!」」

 二人は揃って腰を抜かしながら、身を寄せ合ってガタガタと震えていた。

「レ、レ、レイモンドー、助けてくれーーーっ!」
「ムリムリムリムリ! 恐いーっ!」
「「ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」」

 ええい、うるさい!
 そのあまりの怯えっぷりを見てると、逆にちょっぴり冷静になってくるよ。




 それからどれくらいの間が空いただろう。もはや悲鳴をあげることすら忘れたお父さんとレイモンド。それに半ば放心状態になっている私を見て、オウマ君は軽く息をつく。するとそのとたん、悪魔そのものと言ってよかった彼の体が、少しずつ元の人間のものへと戻っていく。頭に生えた角が消え、紫色に染め上げられていた皮膚が元の色に変わる。まるで、今までの光景が全て夢のようにすら思えた。

「今見せたのが、悪魔インキュバスとしての俺の姿です。これで、今までの話も少しは信じてくれましたか?」

 そう言われて、ハッとしたように我に帰る。そして次の瞬間、お父さんが真っ先に声をあげた。

「信じます! 信じますとも! 今まで中二病だと思っていてすみませんでした!」

 やっぱりお父さんも中二病だと思ってたんだ。だけど目の前であんなものを見せられた今、そんな考えは微塵も残っていなくて、土下座でもしそうな勢いで頭を下げながら認めていた。レイモンドも、それに続いてコクコクと激しく頭を揺らしては頷いている。

 そして、彼の話を信じたのは私も同じだ。

「えっと……正直なところまだ全然頭の理解が追いついていないし、混乱してるけど、それでもオウマ君の言っていることが本当だってのは分かった」
「そうか、よかった」

 信じると言う言葉を聞けて、オウマ君もホッとしたようだ。ついさっきまで、みんなカケラも信じてなかったからね。今思うと、ずいぶん失礼な事をしたものだ。

 けれど、信じたところで一件落着とはならなかった。

「これで、ようやく依頼の話を進められる」
「えっ。依頼って、まだやるつもりだったの?」
「もちろん。さっきも言ったけど、今日俺がここに来たのは、あなた達アルスター家を悪魔祓いの名家と見込んだからだ。さっき見せた悪魔の姿と力だけと、俺は今、それを制御する方法を探しているんだ」

 いやいやいや、ちょっと待って。まさかとは思うけどオウマ君。今まで私達の体たらくを見ておきながら、まだ悪魔祓い的な何かを求めてるって言うの?

 そう思ったのは、どうやら私だけではないようだ。

「あの、本当にこの方達に任せて大丈夫なのでしょうか?」

 これまであまり喋らなかった、オウマ君のお付きの人。だけどとうとう我慢できなくなったのか、おずおずとそんなことを言い出した。
 はい、私も大丈夫じゃないと思います。

 するとお父さんも、耐えられなくなったように声をあげて訴える。

「無理ですよ。そりゃ悪魔は実在しましたし、我がアルスター家の先祖は悪魔祓いだったかもしれません。ですが私達は、今日の今日までオカルト的なものは何一つ信じてなかったド素人ですよ」

 そうだよね。今までさんざんないがしろにしてきたご先祖様には、後でしっかり謝まろう。もう二度と、胡散臭いとかホラ吹きとか言いません。

 オウマ君には悪いけど、こんな私達が何かの役にたつとは思えない。それでもなお頼もうと言うのなら、正気を疑うよ。
 そう思ったんだけどね──

「ですが、俺にはもうあなた達以外に頼れる人がいないんです!」

 どうやら、オウマ君は正気ではなかったみたいだ。

「いやいや、むしろどうして私達なら頼れると思うのですか? さっきまでの我々のビビリっぷりを見てたでしょ。それに悪魔祓いなんて、どうやっていいかまるで知りません!」
「だから、祓ってもらんうじゃなくて、俺の中にあるインキュバスの力を抑える方法を探してほしいんです。直接は知らなくても、先祖の残した資料か何かありませんか?」
「あっても無理です。だって怖いし、金策だってしなきゃいけないし、そんなことやる度胸も時間もありません!」

 必死で断ろうとするお父さんと、それでもなお頼もうとするオウマ君。両者共に、必死でそれぞれの言い分を捲し立てるけど、その終わりは実に意外な形でやって来た。

「とにかく、無理なものは無理……なん…………で……す…………」

 突然お父さんの声から力が抜け、その体がグラリと揺れる。

「お父さん!」

 声を上げる私の目の前で、お父さんは床の上へと倒れ込んだ。

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