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初夜の晩




「ジョエル?」
 レベッカは、急に変わったジョエルを見上げて、驚きながらもその名を呼んだ。
 態度が変わる理由が何かあったのなら、それを教えて欲しいと思ったからだ。
「馴れ馴れしく名を呼ぶな」
 しかし、返って来たのは信じられないような言葉だった。

「え?」
 驚き戸惑うレベッカを置いて、ジョエルはさっさと踵を返し屋敷の中へと入って行ってしまう。
 レベッカは遠ざかって行くジョエルの背中を茫然と見送っていた。


「レベッカ様」
 どれくらいそこに居ただろうか。
 一人のメイドがレベッカを呼びに来た。
「お部屋にご案内します」
 まだ茫然自失なレベッカの手を取り、メイドは歩き出す。
 レベッカが案内されたのは、女主人の部屋ではなく、北向きの、主人の部屋からは最も離れた部屋だった。

 広さは有るその部屋に、レベッカがジャイルズ伯爵邸から持って来た荷物が全て置かれていた。
 嫁入り道具として両親が持たせてくれた家具や宝飾品、ドレスなども全て。

「とりあえずそのドレスを脱いでしまいましょうか」
 メイドはレベッカの着ているウェディングドレスを脱がせ、落ち着いた色味の上品でお洒落なドレスをレベッカに着せた。
 とても初夜の晩に着るドレスではない。

 レベッカが着替え終わった頃合いで、部屋の扉がノックされた。
 メイドが返事をすると、お茶の道具の載ったワゴンを押しながら、メイドが入って来る。
「気分の落ち着くハーブティーをお持ちしました」
 メイドは慣れた様子でお茶を淹れる。
 ハーブティーの良い香りが部屋の中へ広がった。


 少し落ち着いたレベッカへ、メイドの二人は自己紹介をする。
 二人はレベッカ付きの専属侍女で、ドレスを着替えさせたのが「アン」、お茶を淹れたのが「リズ」だと名乗った。

「私達はレベッカ様専属ですので、何でも我儘言ってくださいね」
 リズが明るく宣言する。
「明日、専属の護衛二人もご挨拶させていただきます」
 アンが静かに告げる。

「護衛?」
 レベッカが疑問を口にした瞬間、また部屋の扉がノックされた。
 アンとリズの表情が一瞬険しくなる。
 中からの返事を待たずに、扉が開けられた。


「旦那様がお呼びです」
 扉を開けたのは、ブーケ家の若い執事だった。
 今までも、レベッカが屋敷を訪れた際に目の前を平気で突っ切ったり、挨拶もせずに通り過ぎたりと、無礼な態度が目立つ執事だった。

「トーマス。返事の前に女性の部屋の扉を開けるなど、貴族としての常識も無いのですか? あぁ、すみません。平民でしたね」
 アンはトーマスと呼んだ若い執事を注意した。悪意を込めて。

 注意されたトーマスは、一度悔しそうに顔を歪めてから、レベッカを睨みつける。
「メイドの躾も出来ないのかよ」
 ボソリと呟いてから、トーマスはもう一度旦那様がお呼びです、と告げた。


 トーマスに案内されたのは、夫婦の寝室だった。
 主人の部屋と女主人の部屋の間に有り、廊下側の扉の他に、それぞれの部屋から出入り出来る扉のある部屋。
 扉の前で、レベッカは廊下の先にある一つの扉を見つめる。
 そこは女主人の部屋の扉だった。

 そこにある部屋に、案内されるものだとばかり思っていた。
 今、目の前にある扉ではなく、その部屋から入る扉を使い、夫婦の寝室へ入るものだと。

 トーマスがノックをし、部屋の中からの返答を待ってから扉を開けた。
 先程、レベッカの部屋の扉を返答を待たずに開けたのは、どうやら嫌がらせを含め(わざ)とやったようだ。

 しかしトーマスの嫌がらせ行為など、今のレベッカに気付く余裕は無かった。
 案内された寝室の中には、夫であるジョエルの他に、もう一人居たから。
 ベッドの上で息を荒らげる二人は、(まさ)しく今、情事の真っ最中だった。


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