6
雰囲気を出すため、クラブの灯りは落としてあった。
なのにあんな近くで話をして、女と気づかれなかったとは。ライリーにとっては複雑な気分だ。
「まあ、そう腐るな。あそこに行くには女性の身なりでは門前払いされるだけなのだから、仕方がない」
クラブに出入り出来る女性は、オーナーが特別認めた者だけだ。
それゆえ、スティーブンは彼女に執事見習いの服装をさせたのだった。
「別に腐ってはいません。どう思われようと気にしませんから。悪評にも慣れています。これくらい大したことではありませんよ」
「まあ、君の言う悪評も、なかなか悪くないぞ。それどころか私は気に入っている」
「それはどうもありがとうございます。お役に立てるよう頑張ります」
ライリーはペコリと頭を下げてお礼を言った。
「ところで、どうだ? そろそろ二ヶ月になるが、例の件は着手できそうか?」
「はい。取り敢えず報告書を纏めました」
「仕事が早いな」
「私の嫌いな言葉は『無駄』です。それは時間にも当てはまります」
「確かにな。老い先短い身としては、一分一秒でも早いのは有り難い」
「時は金なりと言います。私としてはあのようにダラダラとお酒を飲みながら無駄話に興じているお孫さんが信じられません」
ライリーは、先程会ったばかりのナイジェルについて語った。
「有り余る財力があるなら、それを有効に使うべきです。クラブにとっては上客でしょうが、カモにされているとしか思えません」
「ナイジェルのことをそんなふうに言う女性がいるとはな、私の目に狂いはなかった。いや、長生きはしてみるものだ。おかげでいい縁が得られたのだから、神に感謝だ」
「そのように言っていただけて光栄ですが、彼が拒んだらどうします? もしくは本当に花嫁になる女性を連れてきたら?」
「その時は、君を別の形で雇うだけだ。きちんと給料は出す。君に取って損はない話であろう?」
「私にとってはどちらでも構いませんが、最初の提案の方は割が合わないと思います」
「次期レックス侯爵家の女主人の座が、割に合わないと?」
スティーブンは片眉をピクリとさせたが、その目は面白そうに輝いている。
「逆です。しがない男爵令嬢、しかも二十五歳の婚期遅れの私が、バハレイン国でも上位五本の指に入るレックス侯爵家の次期当主ナイジェル様と結婚など、どうみてもレックス侯爵家に利などありません」
ライリーも一応は貴族の出身だが、バハレイン国内では底辺に位置する弱小男爵だ。
対してレックス侯爵家は、かつては王族も降嫁したことがあるという名門。
「家格はどうでもいい。私は君が気に入ったんだ。家柄ではなく、君のその気概が気に入った。もう何度も言っているだろう?」
「それはそうですが…」
「自分の生き方に自信を持て」
「そのせいで婚約破棄された経験があっても?」
「本当の価値がわからない若造の戯言など、捨て置け。それとも今でも未練があるのか?」
「いえ、それはありません!」
それについてはライリーはきっぱり否定した。
「なら、その信念を貫け。ナイジェルには、有無を言わせない。もしあやつが、他に好いた女性がいて、その者と添い遂げたいと私に逆らう気概を見せたなら、それはそれで良いことだ。君には申し訳ないがな」
スティーブンの話を聞きながら、ライリーは心の中で祈った。
ナイジェルが他に誰か女性を連れてくるようにとと。
そうすれば、彼女は彼と結婚しなくて済むのだ。
そして彼女は給料のいい仕事にありつけるのだ。
スティーブン・レックスには申し訳ないが、あの放蕩者の孫息子の妻になるより、高額の給料をもらって任された仕事をこなすほうが、彼女には実入りがいい。
「ご期待に添えるよう、頑張ります」
「うむ。頼むぞ、『倹約令嬢』としての真価を発揮してくれ」
「倹約令嬢」
それはバハレイン国第二の都市、オルージェの社交界において、ライリーに付けられた呼び名である。
他には「始末屋令嬢」とか「締まり屋令嬢」とか、「しみったれ令嬢」などとも言われているが、彼女としては「倹約令嬢」という名称を自負している。
嫌いなものは「無駄」、口癖は「もったいない」だ。
幼い頃に親同士で決まっていた婚約者にも、ことあるごとに質素倹約を要求していたため、価値観が合わないと婚約破棄されてしまった。
それ以降、婚約者が決まらず、社交界ではとっくに行き遅れになっている。
彼女がなぜここまで倹約に拘るのか。
それには誰にも言っていない理由があった。