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命乞い

「は、離せ! この俺を誰だと思っている! ハイリグス帝国第二王子、ギュンター=フェルスト=ハイリグスなのだぞ!」

 ギュンター皇子は必死に抵抗するけれど、万を超える帝国兵に取り押さえられたらどうすることもできない。
 それに、さっきは自分だけ助かろうとして、兵士達を置き去りにしたんだ。兵士達のギュンター皇子に向ける視線には、侮蔑が混じっていた。

 さらには。

「は、離せよ! 俺が何をしたっていうんだ!」
「や、やめろ! やめてくれ!」

 皇宮内から次々と引きずり出される使用人や衛兵達。その中には、見知った顔も大勢いた。
 僕のお腹をいつも殴っていた料理人。事あるごとに嫌がらせをして、仕事ができなかった僕を叱りつけた執事。すれ違いざまに僕の足を引っかけたり蹴ってきた兵士。

 何より。

「わわ、私は何も悪いことはしてない! だから離しなさいよ!」

 ずっとお母さんの悪口を言い続けて、叩いて、折檻して、皇宮を追い出される時にも形見のブローチを踏みつけて壊した、乳母のポルケ夫人がいた。
 僕は今でも、あの人にされたたくさんのことが脳裏に焼き付いて離れない。

『……もう今さらじゃが、姫様のところに行くか?』
「はい……」

 おずおずと尋ねるコンラートさんに、僕は頷いた。
 あの人達が引っ立てられた以上、僕も傍観者ではいられない。

 メルさんだけに、こんな役目を押しつけたりなんてできない。

「メルさん」
『ギルくん……』

 上空から降りてきた僕を、真紅の瞳で心配そうに見つめるメルさん。
 きっと僕がこの人達と再会したことで、つらい思いをしてしまうんじゃないかと、そう思っているんだろう。

『あ……ギルくん……』
「大丈夫です。これまでつらくて悲しかったことは、メルさんと出逢ってからの、楽しくて幸せな毎日で全部上書きされましたから」

 コンラートさんの背中からメルさんに飛び移り、両手を広げ彼女の太くて大きな首を抱きしめた。
 竜の姿だから鱗でごつごつしているけど、メルさんの温もりはどんな姿でも変わらず、僕の心を優しく包んでくれるんだ。

「ちち、違うんだ! 俺はお前を虐めるようにと、頼まれてやっただけで!」
「な、なあ、俺はいつもお前のこと気にかけてたよな? な!」
「嘘を吐け! お前はギルベルト殿下のことを、『出来損ないの|役立たず《・・・・》』だと、酒を飲んではいつも言ってたじゃないか! わ、私はこの連中とは違って、いつも殿下を気にかけておりました! 本当です!」

 僕の姿を見た瞬間、兵士達によって引きずり出された皇宮の人達が、次々と僕に媚びを売る。
 この十年間、僕にしてきたことは全て棚に置いて、なかったことにして。

 ただ自分が助かりたいがために、他人を蹴落として。

『……醜いところは、竜もニンゲンも大差ないですね』
『ええ、貴様の意見に同意するわ』

 エルザさんが吐き捨てるようにそう言うと、メルさんが頷く。
 メルさんが『王選』に勝利し、平伏した竜達も自分が助かるためにひたすら卑屈に許しを乞うていた。

だけど……エルザさんってコンラートさんと違い、竜に対して容赦ないように感じる。
 ひょっとしたら、彼女の過去に何かあるのかな……。

「いいから離せって言ってるんだよ! あ……ああ……! ギルベルト殿下! ギルベルト殿下じゃないですか!」

 兵士に引きずられ、喚き散らしていたポルケ夫人だったけど、僕を見るなり白々しい笑顔を浮かべる。
 きっとこの女も、僕に助けてほしいんだろう。

「このポルケ、ずっと心配していたんですよ? こんな子供を暗黒の森に捨てるなんて……皇帝陛下は、なんて無慈悲な御方なのだろうかと……」

 これまで聞いたことのないような猫撫で声と、上目遣いで媚びる仕草。
 この女の本当の姿を知っている僕は、ポルケ夫人がまるで童話に登場するような、醜い怪物のように見えた。

「ですが殿下は、こんなにも立派な竜を従えて帰ってこられました! きっとあなた様こそが、次の皇帝になるのだと確信しております!」
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」」」

 ポルケ夫人のおべっかに同調するように、兵士達も拳を掲げて歓声を上げる。
 次の皇帝だともてはやせば、子供の僕なんて簡単におだてられてしまう。そう考えたんだろう。

 でも。

「メルさん。あの女が、お母さんの形見のブローチを壊したんです」
「っ!? ギ、ギルベルト殿下!?」

 きっと今の僕の顔は、何一つ血の通っておらず血の気が引いて青くなった、まるで仮面を被っているような顔になっているはず。
 あれほど僕につらく当たり、憎くてたまらないはずのポルケ夫人に、何も感じないんだ。

 多分僕は、眉一つ動かさずにあの女を殺すことができると思う。
 それくらい、僕にとってハイリグス帝国というところが、過去のもの……ううん、違う。無価値な存在になっていたってことなんだ。

『そうですか……なら、生かしておく筋合いはないですね』
「ひっ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!?」

 メルさんに真紅の瞳でぎろり、と睨まれた瞬間、あれだけ横暴に振る舞っていたポルケ夫人が、悲鳴を上げたかと思うと、泡を噴いて倒れてしまった。

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