一度でいいから、胸を張ってみたい
「んう……あ、あれ……?」
目を覚まし、ゆっくりと身体を起こす。
たしか僕、傷だらけの竜を治療して……っ!?
倒れる前のことを思い出し、僕は慌てて振り返った。
そこには。
『…………………………』
真紅の瞳で見つめる、あの大きな黒い竜がいた。
ただ、治療をする前と比べて息も整っているみたいだし、|呻《うめ》き声を上げたりもしない。
「少しは効果があったのかな……」
そう呟きながら、僕が近づこうとすると。
『グルルルル……ッ』
竜は低い|唸《うな》り声を上げた。
やっぱり僕は、警戒されているみたいだ……って。
「いやいや、何を考えているんだよ」
竜からすれば、僕なんてただの餌でしかないんだ。
それを無警戒に近づこうとするなんて、それこそ自殺行為だよ。
なのに。
「その……少しだけごめんね」
恐怖心を抑え込み、僕は竜に近づいて傷がどうなっているのか確かめる。
|剥《は》がれていたはずの鱗が元に戻っているし、目立った傷痕があるようには見えない。
それでも、竜の身体には乾いた血の跡が残っていて、見ているだけで痛々しかった。
「ね、念のため、もう一度だけ回復魔法をかけさせてね」
言葉が通じるのかどうかは分からないけど、一応断りを入れてから、竜の身体にそっと触れる。
そして、倒れる前と同じように回復魔法をかけた。
残念ながら傷のある個所が分からないので、身体全体に手を当てる。
淡い光が触れると、怖い顔の竜がどこか気持ちよさそうに目を細めている……ような気がした。
「ごめんね……僕の回復魔法が、もっとすごかったらすぐに治せるのに……」
本当の魔法使いだったら、きっとあっという間に治療して、竜もすぐに飛び立つことができるはず。
この竜がこうして動けないままなのは、僕の回復魔法が弱いせいだ。
「……本当に僕は、|役立たず《・・・・》だなあ」
十年間過ごした皇宮で、毎日言われ続けていた言葉。
いつも怒られて、叩かれて、蹴られて。
それも全て、僕が子供で何もできないから。
全部、僕が悪いから。
「え、ええと……どうしたの?」
『…………………………』
どうしてなのか分からないけど、気づけば竜は、悲しそうな瞳で僕を見つめていた。
ああ、いけない。余計なことを考えていたから、ひょっとしたら僕の気持ちがうつっちゃったのかも。
「そ、そうだ。実はこの近くに、綺麗な小川があるんだ。ちょっとお水を汲んでくるね」
まるで誤魔化すみたいに、僕は無理やり笑顔を作ってその場から離れた。
◇
「よくよく考えたら、これっぽっちじゃ足りないよね……」
森に生えている木の大きな葉っぱで作った器に水を汲み、僕は肩を落とす。
僕みたいに身体が小さかったら充分だけど、黒い竜は寝そべっていてもこの森の木と同じくらいの高さがある。どう考えても釣り合っていない。
「ま、まあその時は、僕が何回も運べばいいや」
自分自身にそう言い聞かせ、竜のいる場所へ戻ろうとして。
「ほう……この森でニンゲンを見かけるとは珍しい」
「っ!?」
後ろから聞こえた声に驚き、僕は思わず振り向く。
そこには……灰色の髪と同じく灰色の瞳をした、二人組の男がいた。
男達はどちらも彫刻みたいに端正な顔立ちをしていて、どこか人間離れしているように見える。
「おいニンゲン、貴様に聞きたいことがある」
男のうちの一人が、ぶしつけに声をかけてきた。
どうしてかは分からない。けど、男の声も態度も、横柄で|傲慢《ごうまん》。僕のことなんて、石ころ程度にしか思っていないみたいだ。
(まるで、あの皇帝陛下みたい)
皇帝陛下も、同じように尊大に振る舞っていて、すごく偉そうだった。
きっとそれは、王国で一番偉いから……というだけでなく、一番強い人だからなのかもしれない。
なら、この二人組の男達も、皇帝陛下のように強い人なんだろうか。
「この森で黒い竜を見かけなかったか?」
「あるいは黒髪の紅い瞳の女だ」
男の一人が尋ねると、続けざまにもう一人の男が言葉を付け加える。
だけど……この人達、あの竜を捜してる……?
そうなると、考えられることは二つ。
あの竜の仲間か、竜をあんな目に遭わせた張本人か、そのどちらかだ。
「……知りません」
「おいおい、あれだけの図体なのに、気づかないはずないだろ。……まさか、隠してるなんてことはないよな?」
「ひっ!?」
男から殺気のこもった鋭い視線を向けられ、僕は軽く悲鳴を上げる。
でも、これで確信した。
この二人は、あの竜を傷つけた人達だ。
「し、知らないです! 僕は見てません!」
「本当かぁ? 言っとくが、嘘ついても何の得にもならないぞ」
「そうだな。命が惜しくば、素直に吐け」
「だから、本当に知らないって!」
さらに脅しをかけてくる二人に対し、僕は大声で否定した。
場所を教えたら、この二人組はきっとあの竜を殺してしまう。そんなことはさせない……って。
(どうして僕は、そんなことを考えたんだろう)
あの竜がどうなろうと、僕の知ったことじゃない。
むしろ身の安全を考えるなら、話してしまったほうがいいに決まっている。
なのに僕は、それを頑なに拒んだ。
(だけど、そんなの決まってるよね)
僕は二人の男を見据え、くすり、と笑う。
回復魔法の効果がなくて、結局は死んじゃうかもしれない。僕がこの二人組に殺されて、その後に見つかってしまうかもしれない。
それでも僕は、あの竜を救いたいんだ。
生まれてからこれまで、何もなかった空っぽの十年間。
|役立たず《・・・・》と言われ続けた、悲しいだけの毎日。
そんな僕でも何かができるんだって……誰かを救うことができるんだって、たった一度でいいから胸を張ってみたいんだ。
だから。
「やっぱり僕は、竜も女の人も知りません。仮に知っていても、お前達になんて教えてやるもんか」
僕は、はっきりと言ってやったんだ。