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魂の引越し編 4

 屋敷の地下。俺が数日前まで卵に入っていた部屋とは別の部屋に、俺は呼び出された。
 目の前には親父とお袋、左には使用人たちが一列に並んでいる。
 部屋は薄暗く、両親のさらに向こう側には祭壇のような飾り棚が見えた。
 その棚の上に立てられた小さな2つのろうそくが部屋を照らしているけど、そんなもんじゃ十分な明りは得られない。
 部屋の暗さが両親や使用人たちの顔を怪しく浮かせ、すっかり忘れていたけどマジでみんな魔族っぽい。

 そんなものものしい雰囲気だ。

 そして、俺は今からここで人間の血を吸うことになっている。

 ヴァンパイアが人間の血を欲する。
 これは至極当然のことだし、俺自身吸われる側としてそれを経験している。
 だからいつかこういう日が来ることも分かっていたし、心の準備もしてきたつもりだ。

 特に人間の血というのはヴァンパイアにとって特別な意味があるらしい。
 人間そのものを食べる種族もいるし、そのような種族の間では人肉が高値で取引されている。
 そういう文化もあるらしいんだけど、ヴァンパイアの場合は少し事情が違う。
 単純に空腹を満たすためとか、水分補給のために人間の血を吸うわけではない。

 魔力の補充。

 進化の過程でヴァンパイアがどういう理由でそのような体質になったのかは分からない。
 だけど俺たちヴァンパイアは定期的に人間の血を吸わないと、魔力が枯渇してしまうんだ。
 そして魔力の枯渇はヴァンパイアにとって死を意味するに等しい。

 直射日光に対する耐性。
 強靭な肉体と急速な回復力。
 これらを失うだけではない

 ドラゴンやケンタウルス、ユニコーンや麒麟など。
 そういう身体能力の高い魔族がひしめくこの国では、それらと対等に渡り合うための“戦闘力”が必要となる。
 しかしヴァンパイアはそもそも身体能力が高いわけではなく、それを魔力で補っている。
 その魔力が無くなれば個人としても殺される可能性が高まり、ヴァンパイア全体としても他の種族に対抗することができなくなる。
 つーか魔力が無い状態で街をうろつくと、人攫いならぬ“ヴァンパイア攫い”にあったりもするらしい。

 それどころか魔力は言語の違う他の種族とのコミュニケーションにも必要だから、これが無くなるとアルメさんと会話ができなくなるんだと。
 あと、親父やお袋もだ。
 生まれたばかりの俺が親父たちと意思の疎通が出来た理由であり、俺が声を出すたびに肺の奥から魔力がこみ上げてくる理由だ。
 言葉とは別に伝えたいことを魔力にも込め、相手の脳に直接伝えたりしてるんだ。
 だからこの国で生きていくためには、魔力が絶対必要なんだとさ。

 と、さっき上の階で親父に聞かされた。
 聞かされたっていうか、直前になって怖気づいた俺がアルメさんに蹴られたことによる体調不良を理由に延期を申し出たんだけど、そう言い聞かされた。

 おえっぷ……。

 でもダメだ。想像すると吐き気がとまんねぇ。

 やっぱ無理だってェ。
 そんなん無理だってェ。

 “血を飲む”って……。
 しかも事前に採取した血をコップに用意しておいてくれるんじゃなくて、直接人間の首に噛みつくって……。

 俺って生まれは秋田だけど都会で働くシティボーイだから、そういうの無理なんだって。
 牛肉も豚肉も食べるけど、精肉業者がそれを殺す作業とか見れないタイプなんだって。

「……」

 緊張と嫌悪感に心を乱され、俺が祭壇を見つめながら沈黙していると、親父が口を開いた。

「どうした? 緊張しているのか?」
「いえ、緊張というか……こう、回避策はないかなって……」
「回避策?」
「はい。人間をこの手で殺さなくてもいいように……」

「ばっかもーーーん! ヨール家の男がそんな体たらくでどうするッ!」

 うおっ! 急にキレやがった。
 突然キレる3700歳! 怖えェよ!

「ごごご、ごめんなさい……」

 挙句、使用人の列から飛び出したアルメさんに頭をひっぱたかれる始末。
 こっちはこっちで突然キレる240歳だ。
 ちなみにオオカミの獣人族の寿命は人間の10倍程度な。

「なんという情けないことをッ!? それでも誇り高きヴァンパイアですかッ! あなた様の教育者として、それだけは許せません!」

 おい、ちょっとまて。
 アルメさんって俺専属のメイドさんじゃなかったのか?
 勝手に変えんなよ。
 あと俺まだ他の使用人さんたちと仲良くなっていないから、アルメさんが唯一心を許せる友人だと思ってたんだけど。
 このタイミングでそんな俺の想い裏切るか?
 それと、頭ひっぱたくって……。

「ぐぅ」

 アルメさんの一撃が予想以上に重く、俺はしばし頭を押さえて痛みに耐える。

 バレン将軍、来ないかなぁ。
 あの人ヴァンパイアと人間のハーフらしいから、今の俺の気持ちも分かってくれるはずなんだけどなぁ。
 でもそれも期待できないし、ここはもうちょっともがいてみるか。

「ところで……あの棚に置いてある宝石は……?」

 暗がりの向こう。静かに揺らめくろうそくの灯に照らされ、見覚えのある宝石が視界に入っていた。
 あれ、あの色の宝石は――俺を襲ったヴァンパイアが首からぶら下げていた首飾りについていた物と同じ色だ。
 なんなんだろうな。なんか意味のある宝石なのか。

「あれは我がヨール家に伝わる家宝の宝石だ。全ての命の源を内に秘めるという言い伝えを持つ、大切な石だ。でも今は関係ない。人間ごとき簡単に殺せんでどうする? 覚悟を決めろ!」

 今、すっげぇ重要な情報をもたらされたような気がしたけど、話の流れすぐ戻されちまったわ。
 逃げ場はないってか?
 覚悟決めろってか?

 しかし、ここで新たな人物が口を開いた。

「あなた? さすがにタカーシが可哀そうですよ」

 お袋だ。
 この感じだと、俺の味方になってくれるっぽい。

「そうねぇ。相手がすぐ死ぬように、子供にしてあげたら? いたわよね。人間の子供が……」

 味方じゃねぇわ!
 俺に子供殺せっていうのか!?

「あぁ、そういえば先月手に入れたのがいたな。でも子供だぞ? タカーシは一昨日火傷の回復に魔力を使っているから、子供じゃ血の量が足りないのではないか?」
「あら、でもあの子供たち、双子でしたよ? 男の子と女の子の……」
「あっ、そうだったな。じゃあ兄弟そろって生贄にしてやるか」

 おいおいおいおい! 話進めんな!
 さすがにきつすぎるわ!
 いや、老若男女誰が来てもきついけども!
 子供2人殺めろなんて、人の道踏み外しすぎだろっ!

 ヤバい。これは非常にヤバい。
 アルメさんの体罰が怖いけど、こればっかりはなんとかしないと。

「お、お母さん?」
「そうじゃないでしょ! “ママ”って呼びなさい!」

 どうでもいいわッ!

「ママ。ざ、罪人とかいないんですか……? 大人で……罪人……みたいな」
「あら、そんな穢れた魂でいいの?」

 “魂”ときたか。
 俺が頂くのは血じゃねぇのか……?
 このタイミングで新しい設定持ち込むなよ。

 くっそ。
 精神的にも物理的にも四面楚歌だ。
 どうするか……?

 その上、俺の提案を勘違いした親父が嬉しそうな表情を浮かべた。

「はっはっは! 母さんや。タカーシは犯罪を犯すぐらい屈強な男の血を願っているということではないか。
 おい、アルメ? 出来るだけ体格のいい男を連れてこい」
「はい!」

 親父のウザいテンションに、アルメさんもこれまたウザいテンションで答え、祭壇の奥にある扉の中に入っていった。

 その扉の向こうには血液補充用の人間たちが押し込められており、毎月両親が殺した分を補充しているらしい。
 特に戦争や盗賊退治といった有事の際には、定期的な血液の補充では魔力が足りなくなるため、常時5人程度のストックがあるとのことだ。
 アルメさんはその部屋に入ったのだ。
 でも多分30秒とたたずに出てくるだろうな。
 俺に殺される人間を連れて……。

 唯一の救いは……

「おおッ! 神よ! 私はこれからあなた様の元に向かいます! さぁ、聖なるヴァンパイア様! 我が血を存分にお吸いください!」

 血を吸われる側のこの反応だ。
 どうやらこの世界には“ヴァンパイアに血を吸われて殺されると、天国に行ける”と考える宗教が存在するらしい。
 だからこの反応だ。
 これもこれで狂信的すぎて怖いけど、血を吸われる本人がそれを望んでくれているのが、唯一の救い……やっぱ無理だわ。

 聖なるヴァンパイアって。
 どう考えても邪悪の象徴だろ。
 ばっかじゃねェの。

「今すぐ天国に逝かせてやる。人間よ、ここに座れ」

 親父の言葉に従い、20代ぐらいの体格のいい男が俺の前にひざまずく。
 手を合わせ、神を見るような目で俺を見ているけど、この視線すら辛い。

 あと、この宗教。
 これを広めているのは絶対ヴァンパイアだ。
 人間の血を確保しやすくするために、こんな宗教を作り上げたんだ。

 親父も俺には何も言わないし、アルメさんからも聞いていないけど、そういう社会の闇が裏に潜んでいる。
 そんな気がする。
 ふっふっふ! 俺の目は誤魔化せねぇぜ!

 ――じゃなくて、もう本当にヤバい!
 俺、マジで人殺しちゃう!
 どうしよう!

 しかしその時。
 男の首を一目見て、俺の心に変化が生まれた。

「ん……?」

 あれ……?

 これは……衝動だ。
 何の衝動だ?
 いや、分かりきったこと。食欲だ。
 生まれ変わる前の俺が日常的に抱いていた欲求だ。

 その欲求が……目の前の男……その男に流れる血液に向けられている。
 そして、口の中では違和感が生まれている。
 牙だ。口の中で俺の犬歯が伸びている。

 ちゅーちゅー……

 コミカルな擬音になってしまったけど、気が付いたら俺はその男の首に噛みついていた。
 この瞬間、俺は身も心も人間であることを捨てた。

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