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魂の引越し編 1


 次に意識が戻った時、俺はぬるぬると気持ちの悪い液体に体を包まれていた。
 不思議な空間だ。
 手を伸ばすと壁に遮られ、両手両足を満足に伸ばすこともできない。
 ぺたぺたと周りを触ってみると、俺が閉じ込められている壁は卵のような形をしていることが分かった。

 どうやら卵型の容器に閉じ込められているようだな。
 壁の向こう側には、炎のような明りがゆらゆらと揺れているのが透けて見える。
 そんなに厚い壁ではないのだろうし、これを壊して脱出するのは容易に出来そうだ。

 とはいっても、のんびりしている場合ではない。
 この容器の中はぬるぬるした液体で満たされていて、呼吸が出来ない状態だ。なので脳内の酸素が切れる前に壁を破って脱出しなければいけない。

 ってか、息がきつい。
 意識を取り戻す直前までの俺、どうやって酸素を取り込んでいたんだ? 無呼吸症候群で耐えていたのか?
 まぁいいや。脱出しよう。

「ぐっ」

 声が出せないので心の中で叫び、壁に殴りかかった。こぶしをぶつけるたびに壁にひびが入り、ピキピキと小気味のいい音を立てる。
 5発目でその壁を壊すことに成功した。

「ぷはぁ!」

 壁の割れ目からぬるぬるした液体がドロドロと流れ出て、換わりに外気が入ってきた。
 それを勢いよく吸い、これにて呼吸の問題は一件落着だ。
 呼吸を整えるように深く息を吸い、そして吐く。

「……」

 意識を取り戻したと思ったら、よくわからない容器の中にいて、しかも呼吸すらままならない状況。にもかかわらずなぜ冷静に動けたのかは自分でもわからない。
 でもこれも生存本能のなせる技なのだろうと呼吸を整えながら考え、無理矢理自分自身を納得させる。

「さて……」

 ぬるぬるした液体があらかた外に流れ出たのを見計らい、次はこの容器からの脱出を試みることにした。
 なんか大事な事を忘れているような気がするけど、まぁそれを思い出すのは後にしておこう。

 ……

 じゃなくて、俺死んだ!
 そうだ! 死んだんだ!!
 仕事帰りに怪しい奴らに襲われて!
 しかもそいつらがヴァンパイアっぽくて!
 そんで血をチューチュー吸われた挙句、壁に投げつけられて、俺死んだはずだ!!

 しかも投げつけられて壁にぶつかった時、体中の骨がぼきぼき折れる感覚もあったから、絶対死んだはずなんだ。
 なのに……なぜ俺は生きてる?

 うーん。考えよう。

 どうやら俺の体は無事のようだ。
 それは断言できる。
 痛みもないし、首の傷もない。
 それどころか風邪気味だった体も治っているみたいだし、むしろいつも以上に体が軽いような気もする。

 いや、ちょっと待て。“軽いような気もする”じゃなくて、これ実際に体が軽くなってねぇ?
 手足が細くなっているし、胴回りも細くなっている。ということを体中をぺたぺた触りながら確認しているけどその手も小さいし、手足の長さも短くなっている。
 さっき俺が壊した容器の割れ目から強い光が入っているので視覚でも確認できるけど、見た感じもそんなんだ。
 これはもう小学生って言っても差し支えないぐらい幼い体なんだけど、どういうことだ……?

 あとどうでもいいとは思うけど、今の俺は素っ裸だから“男の証”が股の付け根についているのも見えた。
 ただでさえ小さかった俺の証が……いや、止めておこう。

 さて、考えれば考えるほど――調べれば調べるほど、疑問が増えていく。
 こういうときは……そうだな。外に出てみるのはどうだろう。
 正直な話今すぐここで泣き叫びたいのも山々だけどそれは我慢するとして、俺が壊した割れ目の向こうからかすかな話し声が聞こえているんだ。

 ここが天国への入り口なのか、または瀕死の重傷を負った俺を助けてくれた人たちが向こう側にいるのか。
 この体の変化といい、たいまつっぽい明りの揺れ具合といい、そこから聞こえてくる声の重苦しさといい、嫌な予感しかしない。
 だけどまさかあのヴァンパイアたちが向こう側に待ち構えているわけじゃないだろうし、とりあえずここから出てみよう。

 だけど……

 嫌な予感、大正解だったわ。

 窓もなく、石造りの重苦しい壁が四方を囲む20畳ほどの部屋。
 その部屋を2つのたいまつが照らしているけど、部屋に漂う空気すらも心なしか重い。

 ――そうじゃなくて! 部屋の雰囲気とかどうでもよくてっ!
 俺の目の前に、4人のヴァンパイアが立っていやがる!
 おい! これ、なんの嫌がらせだ!? なんでまたヴァンパイアやねん! もっかい血ぃ吸われろってか?
 ここはあの世に行くための受付とか、またはあんな危機的状態の俺の命を救ってくれた超レベル医療機関みたいなのちゃうんか?
 あと俺今すっぽんぽんだけど、じろじろ見んなや!

 と思ったけどどうやらこいつら、“Aさん”たちとは違うらしい。

「気分はどうだ?」

 恐怖が極限まで高まり、パニックのあまり悲鳴を上げようとしていた俺。そんな俺に対し、ヴァンパイアの1人が話しかけてきた。

 待て待て待て待て。
 日本語話せるのか?
 じゃあ、“Aさん”たちが喋ってた言葉はなんなんだ……?

 うーん。でもあの時とは何かが違うんだよな。
 こいつの言葉、なんとなく俺の脳に直接響いてきたような感じだ。

 声は間違いなく耳から入ってきたんだけど、それと一緒によくわからないもやもやした重い空気が俺の耳に入ってきた感覚。そんでもって、そのもやもやしたものが俺の脳の中で言葉に変わったような――そんな感じだな。
 なんなんだろうな。まぁいいか。

「べ、別に……」

 不機嫌な女優じゃあるまいし、自分でもこの返事はどうかと思う。
 でも今の俺の気分に良いも悪いもない。だからこれしか言えん。
 ただ、俺が返事を返した時も似たようなもやもやが俺の喉を通過した気がする。
 声を出そうと思った瞬間、その変な感覚が肺から喉、そして口を通過して声と一緒に吐き出されたんだ。
 吐き気でもないし、肺の中に溜まっていたぬるぬるした液体が出てきたわけでもない。
 なんだろうな。

 でもそろそろ俺の理解力が限界だ。
 この現象を解明するために、こいつらと世間話でもしてみたいけどすげぇ怖いし。
 この件も保留にしておこうか。

 そんなことより先に知っておかなきゃいけないのは、今俺の目の前にいるこの人物たちについてだ。
 先ほど俺に話しかけてきたのは、男のヴァンパイア。
 顔の様子から30代の半ばぐらいだと思うけど、肩まで伸ばした黒い髪は艶やかで、顔は白い。
 そんで例によって赤く光る瞳。あと質素ながらも小奇麗な服装の上に黒いマントを羽織っている。

 ヴァンパイアだけに黒マントってか。
 分かりやす過ぎるわ。

 でもその男の隣に立つ女も似たようなマントを羽織ってやがる。
 そのマントの隙間から花柄っぽいワンピースが見えるけど、腰まで伸びる長くて黒い髪と赤い瞳はヴァンパイアのものだ。
 “ものだ”って断言できるほど、俺ってヴァンパイアのこと知っているわけじゃないし、そもそもこいつらと“Aさん”たちがヴァンパイアだと確定したわけではない。
 でもこいつらは絶対にヴァンパイア。
 牙は見えないけど、肌も白いし、耳もちょっととんがってる。
 そういうのを総合的に考えると、まちがいなくヴァンパイアなんだ。

 特に、俺に話しかけてきた男のヴァンパイアなんて、“Aさん”と若干似てるしな。
 2人並んだら兄弟だと間違われたりすると思う。

 あと見た感じ、女のヴァンパイアは男の妻か恋人っぽいな。
 男に寄り沿う立ち方といい、2人の距離感がそういう関係を匂わせている。

 なんかそう思った瞬間に、俺の心の中に原因不明な負の感情が湧き出たけど、それは我慢するとして……。

「そうか。そりゃそうだ。そんな生まれ方したら、いい気分とはなるまい。でもまさか……自分から出てくるなんて……」

 俺の返事に対し、男がさらに言葉を返してきた。
 どうやら会話が成立しているらしい。
 今の台詞にもいろいろと聞き返したいこともあるけど、少なくともいきなり俺に襲いかかろうというわけではないようだ。
 それなら、俺も少し落ち着こう。

「ふーう……はーあぁ……」

 ここで俺は軽く深呼吸し、周りを見渡す。

「ここは……どこですか……?」
「俺の家の地下だ。当たり前だろう?」

 なにが“当たり前”なんだろうな。
 ちょっとイライラしてきたぞ。
 こちとら状況がまったくわかってねぇんだ。
 言葉に気をつけろよ、おっさん。

 なんてことは、口が裂けても言えないけどな。
 こいつらを怒らせたら何をされるかわかったもんじゃない。
 “首チューチューの刑”
 あの忌まわしき事件は2度と起こしてはいけないんだ。

 でも隣に立つ女のヴァンパイアだったら、それもいいかもしれない。
 ヴァンパイアっていうぐらいだから彼女は日本人離れした顔立ちしているし、ぶっちゃけめっちゃ綺麗な顔だ。
 ハリウッド女優でも太刀打ちできないんじゃないかってぐらいだな。

 そういえばヴァンパイアって人間を魅了する能力があるって話を聞いたことがある。
 今の俺もその能力に魅せられているのだろうか。
 なにはともあれ、非常に魅力的な外見だ。

 あと、その女とは別の人物。俺から見て1番左端に立っているヴァンパイア。
 こいつも女だ。
 なぜかこいつだけ甲冑姿なんだけど、細かいことはスルーしておくとして、こっちも見事な顔立ちだ。
 鎧の隙間から見える手足の肉付きが非常にいい感じで、俺としても“うひひ!”なヴァンパ……

 いや、やっぱスルー出来ねぇよ。
 なんのコスプレだ!?
 かっこいいけども!
 シルバーにきらめく甲冑が黒いマントといい感じにマッチしてすっげぇかっこいいけども!
 なんで鎧姿やねん!?

 それともう1人の方もだ!
 今さらだけどこの部屋にいた俺以外の4人、全員が全員ヴァンパイアってわけじゃなかったわ!

 右端というか、他のやつより1歩後ろに下がっているというか。
 むしろ部屋の隅に“控えている”って感じだけど、そいつだけヴァンパイアじゃねーわ!

 つーか首から上が犬なんだけど!
 それ、かぶり物か!? 特殊メイクの極みか!?
 でも今の俺はまともな判断ができないから、見たままお前を“獣人”と見なすぞ!?
 可愛い猫耳とかセクシーな尻尾とかそういうのに興奮する以前に、めっちゃ犬だけど!
 犬が二足歩行の体勢でメイドっぽい服着てるだけだから、“女”である前に“メス”だけどぉ!
 お前はそれでいいんだなぁ!?

「あの……皆さんは……?」

 くっそう! ここで強く出れない俺の根性無し!

 ――でもやっぱり怖いから、ここは大人しく聞いておこう。
 どう考えても立場が弱いのは俺の方だし、特に鎧を着た女が異常に怖い。
 立ち姿から滲む雰囲気というか、俺を見る眼力というか、そういうのがなぜか怖いんだ。

 だから変なことは考えずに、大人しく話を聞こう。
 こいつが何なのかは、向こうの方から教えてくれるはず。
 俺とおっさんヴァンパイアの会話はそういう雰囲気だからな。

 案の定、俺の問いに対しておっさんヴァンパイアが即座に答えてくれた。

「あ、あぁ。それじゃ紹介しようか。俺はお前の父親だ」


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