15話 心音
それから程なくして、青い宝石を首につけた白い鳩が部屋の中に舞い降りた。羽根をふわりと広げたその姿は、沈みゆく陽の余韻に染まり、暁の彩りが重なったことで、一層神秘的な輝きを放っていた。
「初めまして、ウタ様。私は帝国情報部室長、アイマンと申します。」
鳩が人のように口を開いた瞬間、空気が凛と引き締まる。昼間に見た時とは違う。その透き通る低い声は、冷たさと威厳をまとっていた。
ルネは音を遮断する光アセントを起動し、軽い挨拶を交わすと、本題に入った。
「アイマン、今朝の話だけど、いくつか聞きたいことがあるの。」
「お答えしましょう。」
アイマンの声は冷静で、どこか機械的な響きさえ持っていた。
「失踪した部員に何か手がかりはないの?」
「あるとすれば……全員が同じ時期に消えたこと。それ以外には、まだ。」
ルネは眉間に皺を寄せ、深く考え込む。その様子を見て、アイマンが続けた。
「組織的に捕縛された可能性が高いと見ています。処刑されているとは考えにくい。」
「情報を吐かせるために?」
ウタが念を押すように問いかける。アイマンは短く頷いた。
「それが自然な推測ですね。」
「あなたやルネの情報が漏れている可能性は?」
「私に関してはともかく、ルネさんの存在が露見しているとは思えません。」
それを聞き、ウタは服の中から黒い石が飾られた首飾りを取り出した。その艶やかな黒曜石に似た石が光を反射してきらりと輝く。
「これはリュッカ村の村長から聞いた話です。亜人の中には、瞬時に魔核の有無を判別できる者がいるようです。」
「それは…驚きですね…災厄の日からもう300年以上も経っているというのに、そんな話は初めて聞きます。」
アイマンは首飾りをじっと見つめながら言った。
「そして、この首飾りが魔核の役割を果たし、人間であることを隠せるはずです。」
「確かに、それならかなりのリスクを減らせるかもしれませんね。」
ルネも首飾りを取り出し、指で石を軽く撫でながら、どこか懐かしげに微笑んだ。
「しかし…その首飾りが本当に効力を発揮しているかどうか、確かめる方法がないのでは?」
アイマンの疑念に、二人はしばらく黙り込んだ。沈黙を破ったのは、ルネだった。
「そういえば、今朝に片腕の暴風に会ったわ。」
「…聖騎士グリアナのことですか?」
「そう、そのグリアナよ。少し世間話をして、明日もまた会う予定。」
アイマンはサイドテーブルの上を歩き回りながら話す。
「グリアナは共和国でも一二を争う実力者だと聞いています。そして、冷酷無比とも。」
「そうね。でも、私は無事よ。」
ルネは両手を広げて、自分が無事であることをアピールするように笑った。
「グリアナが魔核の有無を判別できないとは考えにくいですね。」
「そういうこと♪ 」
アイマンが足を止め、二人を見つめる。
「分かりました。正式にお二人に、失踪した部員たちの調査を依頼しましょう。」
「ありがとう、アイマン♪ 」
「...いえ、お礼を言うべきなのは私かもしれません。」
「え?」
ルネとウタが顔を見合わせる。そのとき、アイマンがふと思い出したように口を開いた。
「ひとつだけ、手がかりになるかもしれない情報があります。」
その言葉に、ふたりは再びアイマンへと視線を向けた。
「実は、失踪した部員の中に私と……個人的に親交のあった者がいます。その者の潜伏先を調べれば何か掴めるかもしれません。」
「名前は?」
ウタの問いに、アイマンは一瞬ためらったように見えた。
「アイシャ……首都ではエマと名乗っていたはずです。」
その後、アイシャの潜伏先について詳細を聞き出し、調査の方針が決まった。
「アイシャ、そして他の部員たちの救出をお願いします。」
「分かったわ。任せて。」
窓を開けると、深く一礼してから踵を返し、白い鳩は夜空へと飛び去った。
その姿を見送りながら、ウタはぽつりと呟く。
「個人的な親交って、何だろう?」
「きっと恋人だよ。」
「恋人……」
ウタがその言葉を反芻したとき、窓の外には三つ子月がひっそりと輝いていた。
「ほら、閉めるよ。」
ルネが声をかけると、ウタは小さく頷き、窓を閉めた。
──恋人がいるって、どんな感じなんだろう?
◇
本日二度目のお湯をアリサが持ってきてくれたので身体を拭くことにしたふたり。ルネはどこかいつもより楽しそうにしていた。
「ねえ、ウタ! 背中、拭いてあげよっか?」
「え? じゃ、じゃあお願い...」
全て脱ぎ終わった瞬間にそんな提案をしてきたので、実は見ていたのではないかとウタが戸惑いながらも応じると、ルネは急に張り切った様子で近づいてくる。ドロワーズだけの姿になりながら、悩みが無くなったかのように妙に楽しげな気配をまとっている。
観念してウタは背中を差し出し、少し緊張しながら待つ。
「し、失礼しまーす...」
── あれ、恥ずかしくなってきた...?
そんな事を考えるウタをよそに、恐る恐る拭き始めたルネの手つきは、意外にも優しくて丁寧だった。しかし、次第にその動きが止まり、ルネが興味を引かれたように声を漏らす。
「あれ、ウタの首の後ろ...これ何?」
「...それは、コネクタの部分だよ」
ウタは少し躊躇しながら答える。首の後ろ、頚椎と胸椎の間には、F型の大型コネクタ差し込み口がある。それはアンドロイドである証のひとつだとウタは知っていた。
──ルネといると、アンドロイドであることを忘れそうになる
「コネクタ? すごくきれいな金属だね...触っても平気?」
「え? う、うん...でも中に指を入れないでね」
思いがけない反応にウタは戸惑いながらも注意する。しかし、ルネはその言葉にクスリと笑った。
「なにそれ...なんか、えっちだね」
ルネが耳元でからかうように囁き、コネクタの表面を撫でた瞬間、ウタの体は思わず反応してしまう。普段なら決して出さないような声が、思わず漏れてしまった。
「ふ、普通に触って?!」
「ご、ごめん! でももうちょっとだけ...ね?」
ルネの手つきはどこかおどけているのに、妙に慎重だった。その動きに耐えるウタは目を閉じ、なんとか気を逸らそうとする。だが次の瞬間、ルネがさらりと口にした言葉で目が覚める。
「あ、これ...真ん中、動く。フタみたいになってるんだね」
「なっ...?! もうダメ!」
ウタは慌ててコネクタ部分を両手で覆い、くるりと振り向いた。しかし、勢いよく振り返ったせいで胸元を隠すものが何もなく、ルネの視線がそちらに引き寄せられてしまう。
「あ、きれい...」
「...あ...」
◇
着替えを終えて、部屋に静けさが戻ると、ルネは小さな声でぽつりと呟いた。
「ごめんね、あんなに興奮しちゃって。見たことないものばっかりで、ついテンションが上がっちゃったけど…嫌だった?」
ウタは少し考えてから、素直に答えた。
「嫌じゃないけど…びっくりするよ。」
ルネは少し困ったように眉を寄せ、そしてふにゃりとした笑顔を見せた。
「だよね…。ウタはいつも、なんでも許してくれるから、つい甘えちゃう。」
その言葉に、ウタは思わずむくれた表情を浮かべた。
「都合がいいってこと?」
「ちがっ! そうじゃなくて、安心しちゃうんだよ。」
ルネが膝を抱えて、じっとウタを見つめる。その仕草に、ウタの胸がほんの少しざわつくのを感じた。
「ダメだよね…?」
「ダメじゃないよ。むしろ、私もルネに触れたいって思うし…。」
思わず口にしたその言葉に、ルネは目を丸くしてウタを見た。
「いいよ、触れても。」
その言葉にウタの心臓が一瞬止まったように感じたが、すぐに口を開く。
「まだ早いかな?」
「まだ早いね。」
二人の声が重なったその瞬間、思わず笑ってしまった。
「そろそろ寝ようか。」
「うん。」
ルネがそっとサイドテーブルのガラス玉に触れると、白い光が指先に吸い込まれるように移り、ガラス玉の中で回転する黄色い宝石も徐々にその動きを遅くしていく。
やがて、光は完全に消え、部屋は深い暗闇に包まれた──
その濃密な闇は、全てを飲み込み、視界から何もかもを奪った。ひとつのベッドに、二人は向かい合わせに静かに横たわる。
暗闇の中で、互いの気配だけが微かな温もりとなり、ウタは目を閉じ、心の奥でひっそりと問いかけた。
──好きって、なんだろう…?
その問いが、心の中で形を成し始めた瞬間、不意に隣から声がかかる。
「ほら、おいで。」
ウタは暗視を起動し、ルネが手を広げているのが見えた。少し戸惑いながらも、そろりとその手に近づいていく。すると、ルネはやさしくウタを抱き寄せる。
その柔らかな感触とふわりとした匂いに、ウタの心は自然に緩んでいった。
キャンディ博士の懐かしい匂いとは違う、けれどどこか心地よい初めて知る匂い。ウタは一瞬戸惑ったが、すぐにその温もりと安らぎに包まれ、思考が次第に柔らかくほどけていった。
やがて、まどろみの中で、ウタは静かに意識を手放した。
ルネの心音が静かに響く──
それは、ウタの世界を満たす優しい音だった。