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予兆

「皆さん、こちらです! 足元にお気をつけて馬車をお降りください!」

 ツアーの添乗員を務めるアベルが、シュミット村の門に次々と到着する馬車に大きく手を振っていた。今日は王都を出発したツアー客の皆がシュミット村に到着する日で、村びと総出で朝一番に到着する旅行客を乗せた馬車たちを出迎えていた。アベルの号令で馬車の扉が次々と開かれて、騎士や神官、果ては貴族たちといった今回のツアーに参加してくれた人たちが笑顔で馬車を降りてくる。

(よかった、全員無事に村に到着してくれたみたい)

 王都からの道中で魔獣に襲われることもあったようだけれど、添乗員として同道していた聖騎士のアベルがひとりでほとんどの魔獣を倒してくれて、またツアー客として参加していた騎士や神官の皆さんも腕試しとばかりに参戦してくれたらしい。その甲斐あって、たとえ魔獣と遭遇しても、まったく不安になることなく気楽に村までの道中を楽しんでくれたようだった。

(やっぱり、アベルがいてくれてよかった……)

 彼と幼馴染であったのは、本当に役得というか、幸運だと思う。なんとなくアベルの姿を目で追っていると、『シュミット村ツアー御一行様』と書かれた添乗員用の旗を持った彼がツアー客の皆を引き連れて歩み寄ってきた。

「セシィ、ツアー参加者の皆さまをお連れしたぞ。このまま村の中にご案内したらいいか? 皆さん長旅でお疲れだと思うから、まずは宿にお連れするのが良さそうだな」

 アベルだって連日の魔獣との戦闘とツアー客の皆への気遣いで疲れているだろうに、彼は疲れを感じさせないさわやかな笑顔で言った。セシリーナはアベルを気遣うように彼の肩を軽く叩いて笑む。

「アベル、初の添乗員のお仕事お疲れさま! 無事にツアーのお客様を村まで連れてきてくれてありがとう。そうだね、まずは皆さまを本日の宿泊先にご案内しましょうか」

 そう答えてツアー客の皆さまに声をかけようとしたところ、すでに村の人びとが大歓迎ムードでツアー客の皆さまを取り囲んでいた。

「ようこそ、シュミット村へ! 遠路はるばるお疲れさまでございます」
「さあさあ、お疲れでしょうからうちの宿屋へお越しくださいませ。お荷物を置いて一休憩したら、村の中を存分に観光していただけたら嬉しいです! 村の者が総出で、皆さまをおもてさしさせていただくためにたくさん準備しております」
「夜は、村の広場で村一番の歌い手と弾き手が村に伝わる童謡を演奏させていただきますので、お時間が許しましたら夜はぜひ広場へお越しくださいませ」

 やいのやいのと村びとたちが観光客に積極的に話しかけている。村の少女がお手製の花冠を健気に観光客に手渡して、背を屈めて少女からそれを頭に乗せてもらった観光客が、ありがとうととびきりの笑顔になっていた。

(村の人たちも、一度にこんなにお客さまが村に来るのは初めてだからとっても楽しそう! 弊社の初のツアーを、シュミット村で企画させてもらってよかった!)

 様子を見守っていたケルヴィンが、セシリーナの隣に静かに並んで耳打ちする。

「お嬢様、初のツアー、上手くいきそうですね。とりあえずまずは皆さまに宿屋に移動していただきましょう。本日お泊りいただくお部屋の準備は終わっておりますので」

 ツアーに参加していた神官たちに挨拶をしていたヒースが戻ってくる。

「ウェルカムドリンクのブドウジュースの手配も終わっているよ。あと、簡単な焼き菓子も添えられるように、宿の女将さんがクッキーを焼いてくれてあるよ」
「えええ、本当に!? すごい……!」

 アベルが『シュミット村観光ツアー御一行様』と書かれた旗を上げた。

「それじゃあ皆さん、そろそろ本日の宿へ移動いたしましょう。私についてきてください。――あとセシィ、あとでちょっと話があるから、事務所で時間をもらえるか」
「え……?」

 突然のアベルの言葉に、セシリーナは首を傾げる。
 話ってなんだろう? 道中、なにかあったのかな……?
 気になる雲行きもありながらも、セシリーナたちの初ツアー企画が幕を開けた。



 それからの時間は、あっという間に過ぎていった。観光客は、村の中を見て回ったりシュミット伯爵に挨拶をしたり、雑貨店でお土産を物色したり料亭でブドウ酒とおつまみに舌鼓を打ったりと、思い思いの楽しい時間を過ごしてくれたようだった。
 セシリーナはというと、トラブルが起きないように村を見て回ったりツアー参加者の皆さまにお礼の挨拶をしたり、料亭の亭主が料理の注文が多すぎて手が回らないときは厨房やサービスを手伝ったりと大忙しだった。その間アベルとケルヴィン、ヒースとすれ違うことはあったけれど、おたがいに言葉を交わすこともままならず目線だけ交わして持ち場を走り回っていた。
 そしてくったくたになったころにやっと夕方がやってきて――セシリーナは、アベルと待ち合わせた時間に会社の事務所へと足を運んだ。

「……アベル、いる?」

 事務所の窓からは、日が落ちてきてこれから夜へ向かうのを連想させるように紫色に染まった雲が綿菓子を引きちぎったように伸びている。橙色の光が差し込む室内はやや暗めで自分の陰が壁に沿って伸びていた。

(あれ、アベル、まだ来ていないのかな……?)

 返事の返ってこない事務所内を見回していると、突如、奥にある書棚のほうからどさどさっと本が崩れる音した。

「アベル!? もしかして奥にいるんですか?」

 慌てて奥の書棚に囲まれた部屋に駆けつけると、床に雪崩のごとく降り積もった本たちの中からアベルの金の髪がひょっこりと覗いた。

「お、おう。驚かせちまってごめんな。ちっと先に事務所に来て調べものしてたんでな」
「調べもの?」
「ああ。俺が調べてたものなんだが、おまえに話したいことと関連しててな。じつは――」

 アベルの話は、王都からシュミット村への馬車移動の最中に何度か魔獣と交戦することがあって、そのときにいつもと違う違和感を覚えたのとことだった。どうも魔獣全体が以前よりも手強くなっていると感じたのだそうだ。現在、竜王は不存在だから、魔獣の力は弱まっていてアベルのとっては他愛のない相手のはずなのに、遭遇した魔獣の中には手加減のできないものもいたとのことだった。
 思っていたよりも深刻な話に表情を強張らせているセシリーナに、アベルも決して楽天的ではない真剣な表情で言う。

「……それで、気になったものだから事務所にある書籍を調べてみてたんだ。ここにはローランド家から持ってきた本もあるからな。それで魔獣が活性化の兆しを見せている原因を調べてみたんだが……」

 セシリーナは息を呑む。魔獣が力を持ち始める――その原因は、おそらく……。

「……竜王の復活が、近いかもしれない……?」

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