6.もう、いらない。
「ミリア、俺たち別れよう」
私は今サイラスに別れを告げられている。
彼の瞳は私を好きで仕方がないと言っているのに、おかしな話だ。
「私は、あなたと一緒に逃げるつもりで来たんだけれど、サイラス、あなたにはその気持ちがないってこと? 誰から何を言われたのかしら?」
私は彼を責めるような言葉を紡いだ。
父か姉が手を回したのだろう、公爵家の圧力に彼が勝てるわけがない。
「アーデン侯爵と結婚するんだよね。彼ならミリアを守れるよ。ミリアは絶対幸せになれる。俺も陰ながら応援するから⋯⋯」
サイラスが名残惜しいように私を見つめてくる。
帝国貴族として感情を隠す訓練をしていた私たちだが、2人の時は感情を露わにする約束だった。
彼がいたから、私は頑張れた。
枕に顔を埋めて泣くのではなく、何度も彼の前で泣いて悩みを聞いてもらった。
「私って誰からか奇襲攻撃にでもあう予定でもあるのかしら? 私は誰かに守ってもらいたいなんて思ったことはないわ。私が支え合いたいと思う相手はあなたなのよ」
昨日のレナード様と言い、なぜ二言めには守ると言って来るのだろうか。
サイラスが私を守ると言っている理由は実のところわかっている。
私は父から多くの不正や横領をしていること告げられ、カルマン公爵となる時はその負の遺産も継がなければならないことを知った。
カルマン公爵家が皇家と同等と言えるまで力を持ち、他の公爵家を潰したことには裏があったのだ。
「正義の味方になりたいんじゃない、公爵になりたい。でも、もし不正の事実が露見したら、どうなるのか怖い」
私は当時心を通わせ、すでに本物の彼氏に昇格していたサイラスに涙ながらに打ち明けた。
「その時は国外に一緒に逃げよう。俺はミリアのためなら全てを捨てられるよ」
そう言って、私の額に口づけをして抱きしめてくれたのを覚えている。
「ミリア、覚えている? 俺がカモフラージュ彼氏に立候補した時のこと。君は他の男が俺に勝てると思ったら寄って来ると言って最初は断ったよね。寄って来ちゃったよ、誰も勝てないよアーデン侯爵なんて⋯⋯」
彼が自重気味に笑うのに、私は怒りを感じた。
私が彼に惹かれたのは私にはない自信に溢れた瞳だった。
優秀さを武器に中央で成り上がってやろうという野心に溢れた瞳だ。
今、目の前にいるのは私の好きなサイラスじゃない。
アカデミー時代も問題にぶつかると彼は時々こう言った目をした、その度に私は自分の好きな彼に戻して来た。
「私もその他大勢の女みたいに、アーデン侯爵に夢中になるとでも思っているの? あんな欠点のない男に興味はないわ。私は時々自信をなくして弱みを見せてくれるあなたが好きなの。だからこそ、私も自分の弱さを見せられてきたのよ。どれだけ私たちが一緒に過ごしてきて、支え合って来たと思っているの? 私は私を必要としているあなたと一緒にいたいの。私が必要でしょ、サイラス!」
私は最初彼が私に手を出した時のように、握手をしようと手を出した。
「アーデン侯爵に本当に惹かれなかった? ミリア覚えている? 君が唯一アカデミーで名前を覚えていた金髪碧眼の王子様、レナード・アーデンだよ」
彼は私の手を取ろうとしない。
しかも4年も昔のことを持ち出してきて、私がレナード様に惹かれたのではないかと疑っている。
「少しでも惹かれたら浮気なの?それで私とは一緒にいられないと言ってるの?私のことは、もう必要ないって言ってる? 父に将来、要職につけてやるとか言われたりした? 私を売ったの?」
私は自分で言っていて泣きそうになってきた。
帝国貴族は涙を見せていけないというルールはなんなんだろう。
私はとても泣き虫で、サイラスの前だとすぐに泣いてしまう。
「ミリア、君はアーデン侯爵夫人として幸せになれるよ。君がカルマン公爵になる未来があったとしても、俺たちは一緒にはなれなかった。最低でも伯爵以上の相手じゃないと、君の父上は結婚を許さないだろう。君も本当は分かっていたよね? たとえ夫婦として寄り添えなくても、必ず君を支えるよ。君が俺と一緒にいるために持っているものを全て捨てると言ってくれたことを一生忘れない」
彼が私が泣かないように、私の目元を押さえながら話してくる。
いつもなら自分の前なら思いっきり泣いてよいと言ってくるのに、わざと距離を置いている。
「嘘だったのね。私のためなら全てを捨てると言ったこと。私を振るの? それなら嘘でも私に嫌われるように振る舞いなさいよ、卑怯者!」
私は声を絞り出すようにして彼に言った。
「嘘をついてもミリアには分かってしまうから、本当のことしか言わないよ。俺はこの世界の誰よりも君に幸せになって欲しい。俺が一番尊敬する男の妻になって、幸せな姿を見せてよ」
サイラスはレナード様のようになりたいと常日頃から良く言っていた。
レナード様は成人すると同時に爵位を継承できるほど優秀で、確実に将来は帝国の中枢で力を持つだろう。
人望もあって、誰からも尊敬されている男だ。
そんな完璧な彼に憧れはするけれど、彼の妻になり側で寄り添っている自分を想像することができなかった。
私はサイラスとの関係で、人から必要とされる喜びを知ってしまっていたからだ。
レナード様が口でなんと言おうと、彼に私が必要だとは到底思えない。
「今まで散々頑張ってきたのに、結局、私は高位貴族のご夫人になるのね。サイラス、あなたと一緒に帝国を出て自分の力を試す選択肢もあると思っていたのよ。なんだったのかしら、私たちが高めあってきた日々って。ずっと、紅茶を入れる練習でもしておけば良かったわ」
声が震えてくる、泣いてもサイラスは私を抱きしめて慰めてはくれなそうだ。
私の言葉に何かが込み上げていたのか、彼は何も言わずに見つめてくる。
もういい、彼の元から去ろう。
彼は私のことを好きだからこそ私の幸せを願って別れるのが、最善だとでも思っているのだろう。
身勝手な男だ、もういらない。
「これだけは忘れないで。勝手に私の幸せを決めないで。何様のつもりよ。さようなら、サイラス・バーグ」
私は今にも泣きそうになるのをじっと耐えて彼の元から去った。